73回目の終戦/敗戦の日に「新聞の戦争責任を考える②」再録増補版『太平洋戦争下の新聞メディア―60年目の検証②』★『21もの言論取締り法規で新聞、国民をガンジガラメに縛り<新聞の死んだ日>へ大本営発表のフェイクニュースを垂れ流す』★『日本新聞年鑑(昭和16年版)にみる新統制下の新聞の亡国の惨状』
再録 2015/06/27 終戦70年・日本敗戦史(101)
『太平洋戦争下の新聞メディア―60年目の検証』②
前 坂 俊 之(ジャーナリスト)
3.新聞用紙制限、管理から一県一紙へ
昭和14(1939)年当時、新聞は全国に7670紙(このうち1ヵ月に一回発行かそれ以下のものが4300)あり、政府はこのうち約5000紙を整理し、日刊紙は人口10万都市に1つとする計画を立てた。
日中戦争が泥沼化し、国内の物不足が深刻化した昭和13年9月、商工省は新聞用紙供給制限令を出した。内閣情報部は「新聞を一元的に続制するために」は「新聞が多すぎる。
三つの全国紙が結合すれば日本全体の世論を形成する巨大な存在になる」との危機感を抱き、「東京、大阪は4、5社、名古屋、福岡は2社、あとの各県は一県一社に整理統合して、ニュース、報道は同盟通信に一本化する」という新聞統合案を内部作成した。
同部はまず弱小新聞や地方紙の整理統合に着手し、全国の特高警察に命じて、『廃業するか、監獄行きか』(8)と、強引に圧力をかけて解散命令をだして弱小新聞をつぶしていった。当時の新聞界は、大新聞の間、大新聞と弱小紙の間、地方紙との間で三つ巴、四つ巴のシェア争い、生き残りをかけた激烈な競争が行われていたが、これを内閣情報部は巧妙に利用した。
「大新聞には地方紙が団結して対抗する必要がある」との情報部の狙いと、部数減と大新聞の地方進出によって打撃を受けていた地方紙、弱小紙の思惑は完全に一致した。国策通信社・同盟通信社の設立や大新聞に追い詰められていた地方紙は団結し、情報局と一体となって、新聞統合へと向かった。
昭和一六年二月に、新聞連盟から一県一紙と同時に全国紙を合同して1会社にする「全国一社」案が出されると、朝日、毎日、読売は絶対反対、報知、名古屋新聞は賛成、その他、全国のブロック紙、地方紙はことごとく賛成した。
軍部の威光を背景に古野伊之助同盟社長らはあらゆる手段を使ってこの「全国一社」案を通そうとしたが、朝毎読は「例え、廃刊になっても死を賭して反対する」として絶対反対の共同戟線を組み、正面衝突し最後には、この新聞共同会社実はつぶれて、全国紙の企業独立はからくも守られたと同時に「日本新開会」が誕生した。
太平洋戦争開始後のわずか二ヵ月後の昭和一七年二月のこと。
新聞統合は結局、施行され、東京では報知が読売に、国民が都に、日刊工業が中外商業に合併せられ、それぞれ『読売報知』『東京新聞』『日本経済新聞』と看板を変えた。名古屋では多年ライバル同士の『新愛知』と『名古屋新聞』が合併して『中部日本新聞』となった。福岡日日と九州日報が『西日本新聞』、北海タイムス以下北海道の全新聞が統合されて『北海道新聞』となった。
新聞統合に最も強硬に反対した読売は報知と合併したため『読売報知』となって一挙に三十万部の増加で、東京第一の発行部数となり、もっとも利益を得た。
言論の自由を引き換えにした新聞の整理統合は、全国の新聞の経営状態を大幅に向上させた。地方紙の中には用紙、資材難、広告減から廃刊寸前のものが多かったが、大新聞の進出を阻止できて、一県一紙のカルテルによって守られた。
県内紙の統合のおかげで部数が一躍二、三倍に跳ね上がった新聞が少なくなく、経営は安定し、わが世の春を迎えた。昭和16年には日刊紙は104社に減らされ、18年には54社にまで整理統合された。昭和12年の大新聞は平均16頁あったが、太平洋戦争に入ると六頁となりついには四頁、最後にはベラ一枚となってしまった。 (9)
4.情報局の発足
戦時下における言論・報道・文化、マスコミ、世論を完全に統制した機関は昭和15(1940)年12月に正式に発足した情報局である。
総力戦体制の整備と挙国一致の世論の形成を目的に、従来の内閣情報部に外務省情報部、陸軍省情報部、海軍省軍事普及部、内務省警保局図書課を統合、拡充整備して発足した国家的情報宣伝機構である。
国策遂行の情報蒐集、報道および啓発宣伝、新聞紙、出版物などに関する国家給動貞法第20条に規定する処分(掲載の制限、禁止)、放送事項に関する指導取締、映画、レコード・演劇などの啓発宣伝上必要なる指導および取締などを職務としていた。
新聞関係は情報局第二部が統括し、新聞雑誌の用紙統制の実権を握り、報道一般に関する指導と取締りを担当し、現役軍人によって完全に掌握されていた。(軍人をふくむ7名、兼任をいれれば16名の専任情報官が配置)、情報局全体も軍部に完全にコントロールされていた。
情報局の下部組織は半官半民の日本新開会や日本出版会外郭団体として大政翼
賛会文化部・大日本言論報国会、日本編集者協会、出版報国団、文学報国会など多数の組織があった。(10)
1941年(昭和16)12月6日、真珠湾攻撃で太平洋戦争へ突入
情報局は昭和16年12月8日の太平洋戦争開戦と同時に各新聞、通信社に対し、「大本営の許可したるもの以外は一切掲載禁止」(戦況報道の禁止示達)という〝大本営発表″と「我軍に不利なる事項は一般に掲載を禁ず。
ただし、戦場の実相を認識せしめ敵愾心高揚に資すべきものは許可す」(陸軍省令に基く新聞掲載禁止事項基準) の二本立ての示達を出した。 同十三日に政府は、新聞統制を一層強化するため国家総動員法十六条によって「新聞事業令」を公布、それまでの新聞各社の自治的統制機構であった「新聞連盟」を解散させ、翌年二月に政府の統制機関「日本新聞会」を設立した。
一九日には「言論出版集会等臨時取締法」が公布された。「時局二関シ造言飛語、人心ヲ惑乱スベキ事項ヲ流布シタル者ハ懲役二処ス……」という内容で、これで戦争の実態は一切書けなくなってしまった。 新聞記者は自主的に判断して取材する自由を奪われた。極端な発表主義が横行し、記者は発表ものだけを聞き、その印刷物を血眼で運ぶメッセンジャーボーイと化した。 真実の追及は無用どころか、逆に厳罰を受ける危険な仕事となって、自己規制したのである。
当時の新聞社編集局内の様子について、戦後、読売新聞のコラム「編集手帳」の執筆者で鳴らした高木健夫は 「報道差止め、禁止が毎日何通もあり、新聞社の整理部では机の前に針金をはって、差止め通達をそこにつるすことにしていた。このつるされた紙がすぐいっぱいになり、何が禁止なのか覚えるだけでも大変。頭が混乱してきた。禁止、禁止で何も書けない状態になった」と回想する。(11)
厳重な検閲体制の中で、新聞社は前線から届いた原稿や写真(直ちに現像・焼つけして)すぐオートバイによって、陸軍省、海軍省、内務省にそれぞれ分けて、記事はゲラ刷りを二部、写真も二枚を提出した。 当局は厳しく検閲した結果、「許可」の場合は「検閲済」の判を押し、ダメな場合は 「不許可」にする。
ある部分を削ったり、写真などボカして修正し、使っていいケースは、「検閲済」となった。担当者では判断がつかず、翌日、専門家に判断をたずねる場合は「保留」となった。
つづく
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