世界史の中の『日露戦争』⑫『開戦、日本の第一撃』緒戦の勝利で日本は奮い立つ』「ニューヨーク・タイムズ」
は「日露戦争をどう報道したか」⑫
『日露戦争開戦へ、日本の第一撃』―
『奇襲攻撃をロシアはだまし打ちというが、その根拠はない。
緒戦の勝利で日本は奮い立ちロシアは消沈する』
<『ニューヨーク・タイムズ』 1904(明治37)年
2月10日<開戦2日目>—
① アレクセーエフ提督は日本がロシアと国交を断絶したこと,戦争状態の存在を十分に知らされ
ていた。ペテルプルグではだまし打ちだと非難したというが,その根拠はない。
② 第1撃は奇襲だった。その結果.極東の海軍力で日本の優位は疑問の余地がない。
③ この緒戦の勝利の精神的効果は物質的な結果を限りなく上回るものだ。これで日本は奮い
立ち,ロシアは消沈する。
2日前のロシアと日本の戦列艦における戦力比較は,戦艦と装甲巡洋艦に限った近代分類法によれば,数の上で13対12でロシアがまさっていた。同国の保有檻は戦艦8、装甲巡洋艦5隻だったのに対し,日本は戦艦6,装甲巡洋艦6隻だった。日本の水雷艇が咋日朝,旅順港の攻撃に成功したため、数の優位は日本に移った。今や日本の戦列艦は12に対しロシアは11隻である。
アレクセーエフ提督が損害を報告した戦艦2隻の損害の程度については,われわれは知る手がかりがない。だが目下のところ両艦が行動不能で「戦闘から除かれた」のは明らかで,さもなければ同提督は損傷を報告しなかっただろう。
非公式報道によれば,両檻とも陸に「乗り上げた」といわれる。ロシアにはさらに大きな軍艦が3隻あるが,それらを除けば,損傷を受けた両艦はフランス製とアメリカ製で,ロシア海軍のどの鑑にも劣らぬ威力があり,威力のすべての要素を備えていた。これら両艦をロシアのすべての現有艦船から差し引くと、2隻以上を差し引くことになる。以前
のロシアの対日海軍力を13対12とすれば、今や11未満対12となったわけだ。
実際にはイギリス海軍の計算では,両国の艦隊が無傷だったときも,すべての要素を合わせた総合戦力と単純な物質的比較において,日本が19対14でまさっていた。
ロシアの最精鋭戦艦2隻の損傷で日本のこの優位がどれほど増大したかを確定するには,巧妙で綿密な計算を必要としよう。
しかし日本の優位が非常に増大したのは明白で,戦争の発端であり初回の作戦のほぼ終りと予想されている大海戦に,ロシアはきわめて不利な状況で臨むことになろう。
われわれはロシアの3隻目の軍艦の損傷を重視はしない。同艦は完全に破壊されたと伝えられるが,大鑑同士の戦闘において同艦は戦列艦ではなかったからだ。
パルラダはわが海軍の有名なオリンピアと大体同じクラスだが,オリンピアはマニラ湾でモントホ提督の木造艦に対し大戦果をあげたが,サンティアゴ海戦に参加していたら
セルベラ提督の新鋭の装甲檻の敵ではなかったろうし,その際は戦列から外されていただろう。
パルラダの所属した防護巡洋艦のクラスでは日本はすでにロシアに対し14対8で数の優位に立っていたし,全艦隊を構成する各艦の新鋭さと均質性においても同じく優位にあった。
海軍の戦略,戦術の面では,日本軍のこの敏速,巧妙かつ果敢な偉業は「駆逐艦」の戦闘の理論的価値を初めて実際に立証したものとして記憶されよう。
「めかじき対鯨」とは想像するだに痛快だが,これが現代の海戦において実際に初めてその価値を示したのだ。「現代」の海戦といっても,日中戦争と米西戦争の2つしかないが,いずれにおいても水雷艇は期待通りの役割を果たすには遠く及ばなかった。
サンティアゴでウェンライトが改造ヨットの砲でスペインの「駆逐艦」2隻をたたいて屑鉄にしてからは,駆逐艦に対する恐れは軽蔑に変わり,世界中の海軍士官は,この隠密の破壊機関に対し40年前のモービル湾海戦でファラガットが「水雷が何だ,進め!」という表現で下した評価に逆戻りし始めていたのだ。
日本の駆逐艦が中国戦艦のウェイハイウェイ【ママ]を攻撃し成功したことも,相手が中国だったという理由で,ほとんど顧みられなかった。
だが,魚雷は役に立たぬという考えは,今や日本の成果によって信用を失墜した。こうした自動弾丸を巧妙な敵が操っている場合には,その攻撃から艦隊を守るには厳戒態勢が必要なことがはっきりと示されたのだ。
アレクセーエフ提督は日本がロシアと国交を断絶したこと,またそれに加えて宣戦布告はあるまいと知らされていた。つまり彼は戦争状態の存在を十分に知らされていたのだ。ペテルプルグではだまし打ちだと非難したというが,その根拠はない。
だがそれはともかく,アレクセーエフ提督は,自分の戦艦群の250マイル以内にいるとは思ってもみなかった水雷艇によって.日本が国交断絶通告に次いで早速攻撃をかけてきたのに驚かされたのは明らかだ。
日本が1週間待ったなら,彼は海軍学がこうした攻撃に対し認めている予防措置をとり,金網など周辺防御を整備したことだろう。
だが第1撃は奇襲だった。その結果.極東の海軍力で日本の優位は疑問の余地がなくなり,ロシアの司令官は不利を覚悟で打って出て海戦で雌雄を決するか,それを避ければ日本の朝鮮半島の有効かつ完全占領を防ぐのに全く打っ手がなくなることになる。
1度そうなれば日本はロシアに対し,すでにロシアが遼東半島で日本に言ったよりもはるかに大きな自信を持って言うことができる。「さあ来たぞ,居座るぞ」と。
この緒戦の勝利の精神的効果は物質的な結果を限りなく上回るものだ。これで日本は奮い立ち,ロシアは消沈する。日本に希望を持たせることにより,自信を持って進ませる。ロシアに恐怖を抱かせることにより.そのサーチライトの照らない海域で真夜中に日本から受けた奇襲攻撃を,いっまた受けぬとも限らないと,浮足立たせずにはおかない。この第1撃こそまさに初回作戦を決定したものかもしれない。
関連記事
-
-
日本リーダーパワー史(926)-『良心と勇気のジャーナリスト桐生悠々の言論抵抗とは逆のケース』★『毎日新聞の「近畿防空演習」社説訂正/言論屈服事件の真相』
毎日新聞の「近畿防空演習」社説訂正事件 桐生悠々の「関東防空大演習 …
-
-
『オンライン/ベンチャービジネス講座』★『日本一の戦略的経営者・出光佐三(95歳)の長寿逆転突破力(アニマルスプリット)はスゴイよ➄★ 『徳山製油所の建設で米国最大の銀行「バンク・オブ・アメリカ(BOA)」からの1千万ドルの融資に成功』★『出光の『人間尊重』経営は唯一のジャパンビジネスモデル』★『独創力は『目が見えないから考えて、考え抜いて生まれた』★『87歳で失明からよみがえった「奇跡の晩年長寿力!」』
アニマルスプリット(企業家精神)を発揮 その後、出光はすることなす …
-
-
★「日本の歴史をかえた『同盟』の研究」-「日英同盟の影響」⑭ 1902(明治35)年11月8日『米ニューヨーク・タイムズ』 ●日露戦争開戦2ゕ月前『満州を条約をうまく利用して占領、開発したロシア』★『嫉妬深い日本ですら,ロシアの領土支配に武力で立ち向かおうとはしないだろう。ロシアの支配権はそれほど確立しているのだ。』
★「日本の歴史をかえた『同盟』の研究」- 「日英同盟の影響」⑭ 190 …
-
-
日本リーダーパワー史(116) 中国革命のルーツは・・犬養木堂が仕掛けた宮崎滔天、孫文の出会い
辛亥革命百年(18)犬養毅の仕掛けた中国革命・滔天と孫文との出会い …
-
-
『 2025年は日露戦争120年、日ソ戦争80年とウクライナ戦争の比較研究②』★『日露戦争でサハリン攻撃を主張した長岡外史・児玉源太郎のインテリジェンス②』★『山県有朋や元老たちの判断停止・リダーシップの欠如』
●山県有朋や元老たちの判断停止・リダーシップの欠如 日露戦争当時 …
-
-
『リーダーシップの日本近現代史』(310)★『明治維新の元勲・大久保利通の性格は典型的な武士気質の「寡黙不言・決断・断固実行型」―
2014/10/01 /日本リ …
-
-
『明治裏面史』 ★ 『「日清、日露戦争に勝利」した明治人のリーダーパワー,リスク管理 ,インテリジェンス㊶★『明治37(1904)/2/4日、日露開戦を決定する御前会議が開催』●『明治天皇は苦悩のあまり、10日ほど前から食事の量が三分の一に減り、眠れぬ日が続いた。』★『国難がいよいよ切迫してまいりました。万一わが軍に利あらざれば、畏れながら陛下におかれましても、重大なるご覚悟が必要のときです。このままロシアの侵圧を許せば、わが国の存立も重大な危機に陥る(伊藤博文奏上)』
『明治裏面史』 ★ 『「日清、日露戦争に勝利」した明治人のリーダーパワー、 …
-
-
『リーダーシップの日本近現代史』(36)記事再録/『東西冷戦の産物として生れた現行憲法』★『わずか1週間でGHQ(連合軍総司令部)が作った戦後憲法草案①』★『「マッカーサー憲法」草案は4日から10日までのわずか1週間の超スピード作業でつくられ、十二日に印刷されたが、この間、厳重な機密保持が成功して、日本側には一切知られることはなかった。』
2013/01/04   …
-
-
「ニューヨーク・タイムズ」など外国紙が報道した「日韓併合への道』の真実㉖ 「日本は朝鮮を吸収との言」ーハルバート氏,すべて良好とのラッド教授の意見に反論
「 英タイムズ」「ニューヨーク・タイムズ」など外国紙が 報道した「 …
-
-
日本リーダーパワー史(543)人質交換騒ぎで費やされる人的、政治的、経済的コストは天文学的
日本リーダーパワー史(543) ①サッカーアジアカップの準々決勝UAEでの敗北ぶ …