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日本リーダーパワー史(680) 日本国難史の『戦略思考の欠落』(59)「日露戦争・日本海海戦の勝因は日英軍事協商(日英謀略作戦)ーバルチック艦隊は「ドッガーバンク事件」を起こし、日本に向けて大遠征する各港々で徹底した妨害にあい、 艦隊内の士気は最低、燃料のカーディフ炭不足で 決戦前にすでに勝敗は決まった。

   

 

日本リーダーパワー史(681)

日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(59)

「日露戦争・日本海海戦の勝因は日英軍事協商(日英謀略作戦)にありー

バルチック艦隊は「ドッガーバンク事件」を起こした。

日本に向けて大遠征する各港々で徹底した妨害にあい、

艦隊内の士気は最低となり、燃料のカーディフ炭の不足で

決戦前にすでに勝敗は決まっていた。

前坂俊之(ジャーナリスト)

巡洋艦「日進」「春日」の回航

日英軍事協商による目に見えない情報交換、サポートは、いろいろな形であった。日露開戦が切迫した明治36年(1903)12月、英国のギブス社から、「イタリア・ジェノバで建造中のアルゼンチン巡洋艦二隻を153万ポンドで買わないか」という話が舞い込んだ。海軍省は予算がないのを理由に断った。

この二隻の巡洋艦は世界最優秀の性能で、とくに装備砲は最大射程距離2万メートルもあり、日本、ロシアの主力艦を凌駕していた。

当時の両国の軍艦比率は、日本側は主力戦艦六隻、装甲巡洋艦六隻など総排水量二六万トンに対して、ロシア側は戦艦十二隻、装甲巡洋艦十隻など五二万トンと、二倍にのぼった。

この最新鋭二艦をロシア側が購入を計画している情報が海軍省に伝わると、日本側は態度を一変した。ロシアにわたれば海軍力の差は決定的に開いてしまう。

小村外相は同二十三日、林駐英公使に「百五十三万ポンドの言い値で購入せよ」と訓電し、三十日に林公使がロンドンで、アルゼンチン側との契約書にスピードサインし、あやうくロシアの手に落ちるのを防いだのである。

百五十三万ポンドといえば、当時の日本円で千五百万円になる。国家予算二億六千万円、海軍予算が二千九百万円の当時では、思い切った高い買い物を決断したことになる。両艦の所有権は日本側に移り、「日進」「春日」と命名された。

ところで、問題はどうやって両艦を日本まで無事に回航するかである。地中海にはロシア艦がウヨウヨし、いつ攻撃してくるかもしれない。ジェノバから日本までの回航は、英国のアームストロング社と契約し、英国人が船長となり二隻の乗組員四百人はイギリス人、イタリア人を雇用した。外舷を英国軍艦と同じ色に偽装して出発した。

日露開戦はすでに秒読みに入っており、東京からは一刻も早く帰ってこいの矢の催促で、両艦は弾薬の積み込みも完了しないまま、一月九日、ジェノバ港を出港した。

ジェノバから日本まで、どのコースをとるか。ロシア軍艦のなるべくいないコースと、帰る時間を計算した。海軍省からは「スエズ運河を経由して、地中海のロシア水雷艇に十分注意せよ。危険な状況になれば、最寄りのイギリス領の港に入れ」との打電がくる。

一月十三日、十四日にスエズ運河の地中海側の港ポートサイドに着いた。ここにはロシア巡洋艦、駆逐艦がいたが、英国政府の指示で「春日」にさきに石炭を積み込んでくれた。

地中海からインド洋までイギリス新鋭一等巡洋艦「キング・アルフレッド」が、「日進」「春日」に寄り添い、追跡してきたロシア艦隊のうしろにピタリとついて、護衛してくれたのである。

このため、ロシア艦隊は手も足も出なかった。アデン、コロンボと英国植民地の港に寄港したが、英国艦船が控えており、「日進」「春日」がシンガポールを出航した直後の明治三十七年二月六日、日本はロシアに最後通牒を発し、両国は戦争状態に突入した。

二月十六日、「日進」「春日」は無事に横須賀港に入港した。横須賀の町民は日英両国旗を掲げて大歓迎し、明治天皇は英国人艦長二人に勲章を授けた。

日進」「春日」は整備後、ただちに聯合艦隊に組み込まれた。

日本海海戦では「日進」は、「三笠」を旗艦とする第一艦隊の最後尾の殿艦として活躍した。聯合艦隊の作戦参謀の秋山真之中佐は「日本が主力艦12隻をすべて戦線に出すことができなかったら、勝敗はどうなっていたかわからない。「日進」と「春日」この二隻がいなかったらと思うと、私は今でも戦慄せざるを得ない」と述べている(『日本海海戦から100年』)。

この両艦の契約から回航の背後に英国側の並々ならぬ協力があったことがうかがえる。軍事協商によるイギリスから日本へのバックアップの3つ目であった。

「ドッガーバンク事件」を起こしたバルチック艦隊の裏で日英謀略作戦

もう一つ、日英軍事協商によると思われるのが、バルチック艦隊の「ドッガーバンク事件」である。

ロシア海軍は、陸戦の敗北をばん回するため、バルト海に駐留していたロジェストヴエンスキー提督率いるバルチック艦隊(ロシア第2太平洋艦隊、戦艦七隻を主力とした計五十隻、30万トンの大艦隊)を五月二十日、日本近海にむけて出撃させることを発表した。

しかし、バルチック艦隊の出航準備は大幅に遅れ、その兵力も減り、戦艦五隻を含む十五隻の艦隊に縮小して、半年後の十月十五日にやっと地球半周1万8000カイリの大航海にスタートした。

出発がのびのびになっている間に、同艦隊の将兵の士気は低下の一途。さらに日本艦隊の勇敢さ、神出鬼没ぶり、その弾丸の猛烈な破壊力などに尾ひれがついて伝わり、不安を募らせた。そこへ、途中の海で日本艦隊が奇襲攻撃をしかけてくるとのデマ、謀略情報が乱れ飛んだ。

同艦隊の将兵たちは疑心暗鬼になった。このため、ロシア側はルートの要所要所にエージェントを雇い入れて、日本艦隊の動向を監視させた。

なかには金欲しさのエージェントから日本の水雷艇が暗躍しているとの情報が寄せられる。日本側もこセ情報を流して撹乱する。バルチック艦隊は恐怖心をふくらませながらバルト海を出て、イギリスが制海権を握る北海に入った。

十月二十一日夕、バルチック艦隊は濃霧の中を北海のドッガーバンク付近にさしかかった。ドッガーバンクとは、古いオランダ語で「釣り舟」を意味する、英国の東方100キロ沖合の水深15メートルの広大な浅瀬である。タラやニシンなどの絶好の漁場で、毎日のように英国の小型トロール漁船四、五十隻が操業していた。

ここで操業中の英国漁船の暗闇に浮かぶ無数の灯火を、バルチック艦隊の工作船が日本の水雷艇の攻撃とかん違いして、「水雷艇に追跡されている」との無線を発信した。戦艦「アレクサンドル三世」「スワロフ」は「戦闘配置につけ」「魚雷攻撃け‥」と命令を下し、漁船に向けて五百発以上を発砲して、英国漁船一隻が沈没、四隻が大破、三人が死亡し、五人が負傷する誤爆事件が発生した。ところが、バルチック艦隊は漁船の犠牲者を救助もせず、そのまま立ち去ってしまった。

この大事件に対してイギリス世論は激高し、ごうごうたる非難がまき起きた。新聞はバルチック艦隊を「海賊」「狂犬」と一斉に非難し、『ロンドン・タイムズ』は、「海軍軍人がいかに恐怖心に駆られたとはいえ射撃目標を確かめもせず、二十分間にわたって漁船に砲撃を加えるとは、とうてい想像しがたい。大艦隊の大砲で憐れな漁民たちを撃ち殺し、犠牲者を救助もせずに立ち去るとは言語道断」と批判。

国王エドワード七世も「最も卑怯な暴行事件である」と断定した。ロンドン・トラファルガー広場では 「ロシアの野蛮な行為に断固たる措置をとれ」と大規模なデモ行進があり、反ロシアと親日ムードが一挙に盛り上がった。

バルチック艦隊はそのままドーバー海峡をこえてスペインに向かったが、英国政府は直ちに賠償問題解決までバルチック艦隊をスペインのビイゴ湾に五日間ストップさせた。石炭、水の供給は中立違反になるとスペイン政府に警告を発し、以後、バルチック艦隊に「無法者艦隊」のラベルをはり、その航海を監視し、英国の植民地への入港を拒否した。

当時、軍鑑の主力燃料は英国産の「カーディフ石炭」(無煙炭)だったが、この供給もストップした。さらに、フランス植民地の港を使用させないようにフランス政府に圧力をかけた。バルチック艦隊はアフリカ西海岸沿いに喜望峰をまわり、ジエゴシアレス港で石炭積み込みと休養のため二週間の碇泊を予定していた。ところが、イギリスの圧力で、フランスは同港の使用を禁止したため、マダガスカルの小さな漁港ノシべへ回航した。

ドイツは、ロシアに味方しており、同艦隊はこの港で「カーディフ炭」を補給する予定だったが、イギリスが再び待ったをかけたので2ヵ月間も足止めされた。

このあと、ようやくフランス領インドシナ(ベトナム)のカムラン湾にたどりついたが、再度、湾内の停泊は禁止された。給炭のための巡洋艦や運送船以外の艦艇は、国際法の規約により二十四時間で出港を強要された。バルチック艦隊は、後続のロシア太平洋第三艦隊の到着までの二週間を湾外の外洋で停泊した。

こうした、たび重なる混乱と停泊で艦隊内の士気は最低まで落ち込んだ。さらにカーディフ炭の不足で艦隊のスピードは落ちる一方で、日本艦隊と遭遇する前からすでに勝敗は決まっていたのである。

このドッガーバンク事件の陰で活躍したのが、滝川具和(ともかず)(海軍少将)といわれている。

滝川は明治三十五年、ドイツ公使館付海軍武官としてベルリンに赴任。日露戦争時には明石とともにヨーロッパで特別任務にあたった。『対支回顧録 下巻 列伝』(東亜同文会内対支功労者伝記編纂会、一九三六年) では、

「陸の明石大佐とならんで裏面の勲功をたてた。ロシアの革命派を操縦して各地に小規模の反乱を起こさせ、海軍にはオデッサの黒海艦隊の内乱あり。バルチック艦隊の東航予定(三十七年六月出発の予定)を延期させ、十月にようやく抜錨するや、日本水雷艇が北海方面にあるとのニセ宣伝をながしたり、漁船をやとってバルチック艦隊の襲撃を試みるとのデマもとばして、ロシア側を動揺させて、ロシア陸海軍の極東派遣を阻止した」と記されている。

 - 戦争報道, 現代史研究

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