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「トランプ関税国難来る!ー石破首相は伊藤博文の国難突破力を学べ③』★『金子堅太郎(農商相)は伊藤博文の「ルーズベルト大統領工作に同意』★『金子サムライ外交官はその舌先三寸の『英語スピーチ、リベート決戦」で、ホワイトハウスにルーズベルト大統領を訪問し、獅子奮迅の大活躍をした』

      2025/04/14

日露戦争に勝てる見込みはないーと伊藤

ところが、伊藤公いわく、
「君は成功不成功の懸念のために行かないのか。」
「さようでございます。」
「それならば言うが、今度の戦については一人として成功すると思う者はない。陸軍でも海軍でも大蔵でも、今度の戦に日本が確実に勝つという見込みを立てている者は一人としてありはしない。この戦を決める前にだんだん陸海軍の当局者に聞いてみても成功の見込みはないという。しかしながら打ち捨てておけばロシアはどんどん満洲を占領し、朝鮮を侵略し、ついにはわが国家を脅迫するまでに暴威をふるうであろう。

事ここに至れば国を賭しても戦うの一途あるのみ。成功不成功などは眼中にない。かく言う伊藤博文のごときは栄位栄爵、生命財産は皆、陛下の賜物である。今日は国運を賭して戦う時であるから、わが生命財産栄位栄爵ことごとく陛下に捧げて御奉公する時機であると思う。吾輩といえども成功の見込みはない。君の栄位栄爵財産生命もまた博文と同じく、陛下の賜物ではないか。ゆえに君も博文と共に手を握ってこの難局に当ってもらいたい。

かく言う伊藤はもしも満洲の野にあるわが陸軍がことごとく大陸から追い払われ、わが海軍は対馬海峡でことごとく打ち沈められ、いよいよロシア軍が海陸からわが国に迫ったときには、伊藤は身を士卒に伍して鉄砲をかついで、山陰道か九州海岸において、博文の生命のあらん限りロシア軍を防ぎ敵兵は一歩たりとも日本の土地を踏ませぬという決心をしている。

昔、元冠のときに北条時宗は身を卒伍に落して敵と戦う意気を示した。そうしてそのとき妻にどう言ったか『汝も吾とともに九州に来れ。そうして粥を炊いて兵士をねぎらえ』と言った。今日伊藤も、もしその場合になればわが妻に命じて、同じ事を言うであろう。博文は鉄砲をかついでロシアの兵卒と戦う。かくまで自分は決心している。

成功、不成功などということは眼中にないから、君も一つ成功・不成功をおいて問わず、ただ君があらん限りの力を尽くして米国人が同情を寄せるようにやってくれ。それでもしアリカ人が同情せず、又いざというときに大統領ルーズベルト氏も調停してくれなければ、それはもとより誰が行ってもできない。かく博文は決意をしたから、君もぜひ奮発してアメリカに行ってくれよ。」
と満腔の熱誠をもって説かれた。

金子サムライ外交官は『スピーチ、リベート決戦」に単身、渡米す。

そこで私もその熱誠に動かされて、
「よろしうございます。そこまで閣下の御決心を伺えば成功不成功は決して問うところではございません。三寸の舌のあらんかぎり各所で演説をしてまわり、三尺の腕の続くかぎりは筆をもって書いて、そうして旧友と日夜会談して及ぶだけの力を尽くしましょう。それは閣下の御希望通り目的を達しなければ金子の不徳、金子の無能と御承知願いたい。国を賭しての戦であるならば金子は身を賭して君国のためにつくしましょう」
と言いました。
かく私が承諾をするや伊藤公はただちに電話をもって桂総理大臣を呼び出して、ただいま金子がいよいよアメリカ行を承諾してくれたから、なお委細、金子と相談してもらいたいということを通達された。そこで私は桂(太郎)総理の官邸に行って桂に向かい、

「ただいま伊藤公から御前会議の決議で、吾輩にアメリカに行けということになったことを聞き再三辞退したけれどもぜひ行けと、懇々言われたにより承諾したが、成功するものと総理が吾輩に望んでもらっては困る。その理由は伊藤公から聞いてくれたまえ。」
と言いますと桂は、

「それは無論だ。君が米国に行けば彼の国におけることは君に一任する、これで俺も安心した。しかし外交のことは小村君に会って詳しく聞いてくれろ。」
よって私は外務省で小村大臣に会って、日露の交渉の初めから今日開戦にいたるまでの沿革を聞き、また緊要なる書類をもらった後、小村大臣に向かい、
「吾輩が米国に行く以上は、政府からいちいちこうしてくれろ、ああしてくれろと指図は御免こうむりたい。わが輩は自分の考えをもって働く。そのことは伊藤公にも懇々言っておいた。」

と言うと、
「君に一任する以上は、君の自由の行動に任せる。」と小村大臣が言った。
これより先、私が桂総理大臣に面会してアメリカに行くことを承諾したる由を告げたるとき、桂総理は、
「今回渡米するについては特命全権大使という名前をやってもよい。枢密顧問官に任じてもよい。そのほかいかなる官職でも希望があれば君にやってよい。」と言われた。
当時私は内閣を去って在野の人となり一個の貴族院議員たるにすぎなかった。しかし桂総理がいかなる官職でもやるといったのを断ったのである。

その理由は吾輩がもし官職を持って米国に行けば、金子の行動は政府からの訓令である。彼の演説は政府の命令である。吾輩のすることはすべて政府の差金より出たということになる。外国人と会っていろいろ議論したとき、もし私が言いすぎるか、ロシアを攻撃することが激甚であったときには、すぐ日本政府にその影響がある。

もし私が官職をもっておれば必ず政府に累を及ぼすから、私は無官の一人として米国に飛びこむ。しからば吾輩のすること、言うこと、ことごとく吾輩のみの責任に帰しけっして政府に迷惑がかからぬ。それゆえ万事、吾輩に一任してもらいたい。と、こう言った時、桂総理が、

「それじゃよろしい、官職もいらぬならやらぬが米国にて新聞を買収するか又は記者を操縦するための費用は十二分君に支給しよう。」
「それもお断りする。もし一、二の新聞を買収するか、一、二の記者を操縦するときは他の新聞は連合して反対し、かえって不利を招くゆえに、新聞に対しては一視同仁、誠意をもって待遇せんと欲するから僕は費用は一文もいらぬ。」
と言いますと、桂総理は、
「それなら万事君に一任する。」と互いに協定した。

児玉源太郎の勝つ見込みは・・「陸軍4分6分、海軍5分5分」

桂総理、小村外務と会見の後陸軍に関することを聞こうと思って寺内(正毅)陸軍大臣の官舎に行った。たまたま山県(有朋)元師も来ておられて寺内と何か話の最中に私が行ったので
「御両君、お揃いのところでなお結構である。私はいよいよアメリカに行くことを承諾しました。」
「それは大変ご苦労だ。」
「私はご苦労も何もかまいませぬが、一体陸軍はどうなさる。」
私から陸軍の軍略を聞くべきことでもないけれども、この場合単刀直入に
「一体陸軍はどうですか、勝つ見込みはありますか。」
と山県さんと寺内大臣に聞いた。ところが山県さんは、
「それは向うの参謀本部に児玉源太郎氏が調べておって、あれがすっかりその方の計画をしているから、あそこに行って児玉に会ってくれ。」
「それならばよろしゅうございます。」

と陸軍大臣の官舎を辞して参謀本部に行った。ところが児玉大将は部屋の真中におって、大勢の幕僚を集め地図を広げたり、いろいろの書類を開けたりして研究をしているところであった。
「君がアメリカに行くということを聞いて大いに安心した。」と言う。
「君は僕がアメリカに行くから安心したと言うが、僕がアメリカに行けばこの戦が勝てるか、君に聞くことがある。」

それから児玉は幕僚に皆あちらにいくように遠ざけた。そこで再び、
「君は僕がアメリカに行くから安心したと言うが、僕は一こう安心できない。ただいま山県さんに聞けば、君がすべて陸軍のことは計画していると言われたが、一体勝つ見込みがあるのかどうか。第一にそれを聞きたい。」
と単刀直入に尋ねた。こういうときに手早い話でないと間に合わぬ。いちいち大官に伺いを立てるというようなぐずぐずしたことはしておられない。

すると児玉が言う、
「そのために僕は着の身、着のままでカーキ色の服を着て、兵卒の寝る寝台に赤毛布をひっかぶって寝て、この参謀本部で三十日も作戦計画をしているのだ。」

「ああそうか、そうして見込みはどうか。三十日の結果はどうか。」
「さあ、まあ、どうも何とも言えぬが五分五分と思う。」
「そうか。」
「しかし五分五分ではとうてい始末がつかぬ、解決がつかぬから、四分六分にしようと思ってこの両三日非常に頭を痛めている。四分六分にして六ペん勝って四へん負けるとなれば、そのうちに誰か調停者が出るであろう。
それにはまず第一番目の戦争が肝要だ。第一の戦に負けたら士気が阻喪してしまう。

だから第一番に鴨緑江辺の戦でロシアが一万でくればこちらは二万、三万でくればこちらは六万というように倍数をもって戦うつもりで、いまちゃんと兵数を計算し、兵器、弾薬を集めてその用意をしている。いったん倍数をもって初度の戦に勝てば日本の士気が振ってくる。しかしもしこれに負けたら、士気が阻喪するからいま折角その計画をしている。」

「そうか、それでは僕がアメリカに行ってーニーヨークで大講堂で、日本に同情を寄せよ、ロシアは実にけしからぬ国である、日本は国を賭して戦っているという大雄弁をふるっている最中に、日本の負け戦という電報は四度くるね。」と言ったら、「それは仕方がない、しかしその代り僕が君に六ペん勝ち戦の電報をやるようにするからそのつもりでいたまえ。」

「それじゃ六ペンだけは勝ち戦さ、四へんだけは負け戦さで、僕が大雄弁をふるっている最中、四へんは負け戦さの電報を聞き、こそこそと裏のドアから逃げねばならぬね」
と言ったくらいでありました。

それからここを去って海軍省に行って、山本(権兵衛)海軍大臣に会った。

「ただいま、山県、寺内、児玉氏らに会って陸軍の方のことを聞いてきたが、君の方の海軍は勝つ見込みはあるかと聞いた。すると、
「まず日本の軍艦は半分沈める。その代りに残りの半分をもってロシアの軍艦を全滅させる。僕はこういう見当をつけている。」

「そうすると海軍のほうはよほど陸軍より良いほうだね。児玉はこれこれ言った。」と言うて、さきの児玉の談話を話した。
「そうか、僕のほうはそのつもりで半分は軍艦を沈める」
と言って互いに手を握って山本海軍大臣に別れを告げた。

これが当時の日本政府の当局者の考えであった。このことはあまり人には言わなかったが、あの連戦連勝の電報を見た国民は最初から勝つ、最初からこのとおり思っておっただろうが、それは大間違いで、政府当局者はいま言うように、陸軍は四分六分、海軍は半分の軍艦を沈める、伊藤公は負ければ身を卒伍に落して兵隊とともに戦うというのが当時の実情であった。

かくのごときありさまが日露戦争の初めであったが、その後、ああいう好い結果を得ようとは誰も思っておらなかった。

 - 人物研究, 戦争報道, 現代史研究, IT・マスコミ論

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