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日本敗戦史(41)『太平洋戦争の引き金を引いた山本五十六のインテリジェンス』

      2015/03/03

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日本敗戦史(41)『太平洋戦争の引き金を引いた山本五十六のインテリジェンス』

                前坂 俊之

                (ジャーナリスト) 

1941(昭和16)年12月8日の真珠湾攻撃は「緒戦で徹底的に米国の戦意と士気をくじく」ために山本五十六連合艦隊司令長官が海軍軍令部などの猛反対を押し切って実施したバクチである。

山本は在米大使館勤務が長く、欧米出張も含めて通算9年と海軍きっての米国通、国際派で、陸軍が先導した日独伊三国防共協定では「日本がドイツと結べば必ず、日米戦争になる」と体を張って抵抗した。米内光政海相、山本海軍次官、井上成美軍務局長の三人トリオで絶対反対を貫き、山本への陸軍、右翼からの脅迫、テロの危険が迫ったため米内海相が連合艦隊司令長官に転出させた。

日米戦争1年3ヵ前の1940(昭和15)年9月、日独伊三国同盟がついに締結された。この時、近衛文麿首相から日米戦えばどうなるかと聞かれ「是非やれと言われれば初め半年や1年は暴れてご覧に入れる。しかし、2年3年となれば全く確信は持てぬ。日米戦争回避に極力努力願いたい」と答えた。(「近衛日記」より)

山本は断固として戦争に反対したが、戦争になったら、勝利を得るために最善を尽くす覚悟を決めていた。「イチかバチか」―真珠湾攻撃は腹心の奇人参謀・黒島亀人大佐に立案させ、海軍軍令部作戦部、海軍大臣などの猛反対を「この作戦が認可されねば連合艦隊司令長官を辞任する」と脅して押し切った。

単冠湾(ひとかっぷ)に機動部隊が11月25日に集結して無線打電を一切封鎖しての2週間の隠密出撃は途中、発見されることなく真珠湾奇襲攻撃には成功した。

しかし,米大使館の暗号解読の遅れで開戦通告の1時間も前に攻撃する「だまし討ち」となり、米国民が憤激して立ち上がらせる逆効果となった。

➁攻撃目標の米空母3隻が不在で撃沈できなかった。

➂第2次攻撃により米基地全体、燃料石油タンクを破壊しなかった。

④山本は開戦後の和平、停戦については全く想定していなかったーなどから、真珠湾攻撃は失敗という見方が強い。

結局、山本に象徴される日本海軍トップの良識派・岡田啓介、米内光政、山本五十六、井上成美のインテリジェンスは日清、日露戦争当時の山本権兵衛、斎藤実、東郷平八郎、秋山真之と比較すると数段劣っていたといえる。特に、インテリジェンス(情報戦略、無線通信、レーダー、暗号などの最新技術の研究・開発・導入)では無知をさらした。

山本には米海軍のような情報参謀がついておらず、日本海軍は米英独からもレーダーの開発におくれ、太平洋戦争前から日本海軍の暗号は米側に解読されていた。

真珠湾攻撃からわずか半年後のミッドウエ―海戦の情報戦に完敗

 日本海軍の暗号は1936(昭和9)年、ドイツから暗号機械エニグマを買い入れ、改良して作ったもの。米軍は「暗号の天才」フリードマンらが1940昭和15年)8月に、これを解読する九七式印字機の模造機制作に成功した。この結果、ルーズヴエルト大統領は、解読された日本の外交電報に常に目を通しながら、日本の手の内を見ながら戦略を練っていた。

開戦1ヵ月後の昭和17年1月20日、日本海軍の伊号124潜水艦がオーストラリア近海で機雷敷設にふれて沈没した。米海軍は潜水夫をもぐらせて、潜水艦の金庫から作戦暗号書などを回収した。米太平洋艦隊司令部戦闘情報班はすでに解読していた日本海軍の暗号通信の半分の「D-一般暗号書」と、この回収した作戦暗号を解析照合して、日本側の機動部隊が太平洋上で新たな作戦計画を展開する情報をつかんだ。

しかし肝心の攻略地点は分からない。暗号には「AF」の文字がよくでてくる。これが攻略ポイントの暗号ではないかと、米側はトリックを仕掛けた。ミッドウエー米基地から暗号ではなく日本側がすぐ読める平文で「ミッドウエーでは真水蒸留機が故障している」とのニセ電文を発信した。

これを傍受した海軍軍令部第四部特務班は直ちに「AFは真水が不足している」と暗号電を前線へ打返し、ミッドウエーが攻撃地点であることがばれてしまう。強い電波で、わざわざ平文で発信するトリックにやすやすとだまされたのである。

一方、米海軍はどうだったのか。ニミッツ米海軍太平洋艦隊司令長官は情報参謀を常に横におき、暗号解読で得た日本側の作戦情報を分析、日本側の裏をかく「待ち伏せ作戦」を展開、高性能のレーダーで日本の機動部隊の位置をいち早く確認して、先制攻撃を加えた。

同年6月5日からのミッドウエー海戦では日本は虎の子空母4隻と熟練した歴戦のパイロット110人を一挙に失い太平洋戦争敗北への分岐点となった。日本海軍はこの敗戦をひた隠しにして、戦闘員を口封じに前線に飛ばし、山本司令長官は敗戦責任にはほおかむりしたのである。

『海軍甲事件』でも日本暗号は絶対に解読されていないと結論

結局、暗号システムの基本が解読されると、乱数表をいくら取り替えても、すぐに解読されてしまうことに日本側は気づかなかった。日本海軍は「日本の暗号は絶対に解読されない」とのうぬぼれから敗戦までじゃじゃもれの暗号システムは変えなかった。その結果が、山本五十六機が撃墜される原因につながる。

1943年(昭和18)1月29日、伊一号潜水艦がガダルカナルで輸送作戦中、ニュージーランドの駆逐艦に追われてリーフに座礁した。中には艦船・基地の呼出符号一覧表や古い暗号書が残された。米海軍はこれを回収して、日本海軍の最新の編成や配置を読み解く絶好の資料とした。

4月18日、これらの暗号解読によって山本五十六長官の前線視察日程を知った米海軍は、ブーゲンビル島上空で陸軍P38戦闘機隊を待ち伏せさせて、山本長官機を撃墜した。

これも暗号解読によるものとバレないように様々な偽装工作を行った。事前にブーゲンビル島上空に頻繁に偵察、攻撃機を飛ばし、偶然の出会いのように仕組んだ。さらに、ニミッツはラバウル付近の原住民から山本長官機の行動予定表を入手したというニセ情報を米軍内に流して、二重三重に隠蔽した。

「海軍甲事件」(山本長官撃墜事件)を調査した海軍委員会は、「この撃墜は山本長官行動予定の電報を解読せねば不可能。しかし、この電報の解読は強度最高のD暗号を使用しているので理論的には不可能。偶然に遭遇したと判断せられる」と結論した。太平洋戦争は山本五十六の「情報戦の完敗」だったのである。

(参考資料・「知恵の戦いにも敗れた太平洋戦争」稲垣武(「日本近代と戦争①情報戦の敗北」PHP研究所 1985年に収録)「エドウイン・T・レートンら著、毎日新聞外信部グループ訳『太平洋戦争暗号作戦』TBSブリタリカ 1987年」など)

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