『オンライン講座/日本興亡史の研究 ⑩』★『児玉源太郎の電光石火の解決力➅』★『児玉は日露外交交渉は不成立の見通しを誤った』★『ロシア外交の常套手段である恫喝、武力行使と同時に、プロパガンダ、メディアコントロールの三枚舌外交に、みごとに騙されたれた』』
2021/09/02
2017/05/31 日本リーダーパワー史(818)記事再録「日清、日露戦争に勝利した明治人のリーダーパワー、 リスク管理 、インテリジェンス㉝
前坂俊之(ジャーナりスト)

外務当局は、明治36年12月10日、ロシア・ペテルブルグ発の粟野公使の「交渉は日本の主張をロシア側が受け入れる見込み」という電報を信じ、希望的な観測による平和を夢みつつあった。
児玉次長もこの電文にホット一安心したのか,参謀本部員に内容をしらせて、説明した。
『ロシアは財政窮乏のために(戦争開始に踏み切れず)、日露問題は多分平和的な解決をみるであろう。ただこれにより、戦機を3年ほど延期せざるを得なくなり、日本側の不利はかえって大となる。いかに対処すべきか』と聞いた。
各部長は『万一、平和的な解決をみるにいたっても、禍を残す結果となることを、日本としては覚悟しなければならない。そのための戦略として
➀海軍を拡張して常にロシアに対抗する勢力を維持すること、
②同時に兵力をもってする韓国の占領を確実にし、京釜鉄道を完成させて、馬山の経営に着手する必要がある』
などと意見具申した。
ところが、児玉が平和的な解決がまとまるとみた日露外交交渉は不成立におわったのである。外務当局はもちろん、日本一のインテリジェンスの持ち主の児玉次長さえ見通しを誤り、判断を間違えたのである。
この2日後に事態は急変した。
12月12日夕、児玉次長は、寺内陸相の呼び出しによって急きょ大山総長邸に出向いた。深刻な顔をした寺内陸相は児玉に、外交交渉の結果を告げた。
ロシアがローゼン公使を通じて日本政府に通知した最終回答は、意外にも1歩も譲歩したところはなく、従前の主張と変わらなかったのである。満州については1言もふれていない。満州は従来通りロシアのものとしていたのだ。
そのほか、韓国南岸に自由航行を妨害するような施設を建設してはいけない。韓国北緯三十九度以北の地を中立地とすることなどが、含まれていた。
政府、外務省、児玉らの参謀本部も希望的な甘い、平和の望む観測は見事に砕かれた。
結局,交渉で折りあわなかった主要点は,韓国領土を軍略上の目的で使用しないこと及び中立地帯を設定することに関しては日本が拒絶し,満州の領土保全と「韓国及その沿岸はロシアの利益範囲外であること」を承認することをロシアは拒絶したのである。
この間の8月12日から12月12日までの5ゕ月間の日露外交交渉の経緯を振り返ると、日本政府は、最初から譲歩に譲歩を重ねて、やっと10月30日になってさきに最終案を提出したが返事がない。何度もロシアに早急な回答を求めた。
ところが、ロシア政府は、言を左右にして、何等の回答も示さず、回答する期日すら明示しなかった。
この裏で、ロシア当局は時間稼ぎをしながら、ひそかに満洲における兵力増強を続けた。を表画ではしきりにロシア側が大いに譲歩するという説を流して他国の同情を買い、また平和的な解決になるというフェイクニュース(ニセニュース)をリークし、プロパガンダ工作を行っていた。
いつものロシア外交の常套手段である恫喝、武力行使と同時に、それと並行してのプロパガンダ、メディア工作、懐柔工作の2枚舌、三枚舌外交に、みごとに一杯食わされたのである。
日本流の信頼外交、誠心誠意外交、おもてなし外交の敗北である。幕末以来の日露交渉をふりかえると、日本外交の全敗である。現在も安倍プーチン日露外交も「トップ同士の信頼醸成」外交「ロシア詣で数十回の朝貢外交」「何時間到着を待たされても怒りも抗議もせず待ち続ける忍耐外交」を繰り返している。
事ここに至って、児玉次長はこの談判を継続するも、妥協にいたるの望みは全くなくなったことを悟った。ロシアと断絶し、自衛のため、帝国の既得権利、正当利益を擁護するため必要と認める独立の行動をとるべきことを決意した。
翌14日、児玉次長は外交交渉決裂の情況を各部長に説明し「もはや軍事外交に移るべき時期に到来した。断固たる内閣の決心を促していく」と述べ、16日に元老会議が開催された。
日露戦争開戦ギリギリ1ゕ月前のことである。
関連記事
-
-
『鎌倉カヤック釣りバカ日記・動画回想録ー2015年元旦、めでたくもあり、めでたくもなし>★『古希超・独歩独語』「一日一生」「一瞬永遠」「生き急ぎ、死に急げ」★『正月おせち料理』★『KAMAKURA和賀江島ー透明のブルーシーをカヤックから海底散歩、富士山すげーよ』
2015/01/06 ★<201 …
-
-
『リーダーシップの日本近現代史』(79)記事再録/ ★『日本史を変えた大事件前夜・組閣前夜の東條英機』★『近衛文麿首相は「戦争は私には自信がない。自信のある人にやってもらいたい」と発言。東條は「(中国からの)撤兵は絶対にしない」と答え、「人間、たまには清水の舞台から目をつむって飛び降りることも必要だ」と優柔不断な近衛首相を皮肉った。
2004年5月 /「別冊歴史読本89号』に掲載 近衛文麿首相は「戦 …
-
-
「日本の最先端技術『見える化』チャンネル」★『日本はAI後進国なのか―その現場を見る』』『設計・製造ソリューション展2018(6/21)ーMUJINの『完全無人化・ロボット工場の驚異」のプレゼン』★『「AI・人工知能EXPO2019」(4/5)-FRONTEDの「KIBIT」のプレゼン』
日本最先端技術『見える化』チャネル 設計・製造ソリューション展2018(6/21 …
-
-
速報(48)『日本のメルトダウン』<◎日本の原発・原発事故・作業員の最新情報まとめ』>
速報(48)『日本のメルトダウンを止める』 <◎日本の原発・原発事故・作業員の最 …
-
-
世界のプリマドンナ「オペラの女王」・三浦環
一九二〇年(大正9)3月、三浦環はローマの国立コンスタンチ歌劇場で「蝶々夫人」に …
-
-
日本リーダーパワー史(698)日中韓150年史の真実(4)「アジア・日本開国の父」ー福沢諭吉の「日中韓提携」はなぜ「脱亜論」に一転したか」③<日中韓のパーセプションギャップが日清戦争 へとトリガーとなる>
日本リーダーパワー史(698) 日中韓150年史の真実(4)「アジア・日本開国 …
-
-
日本メルトダウン脱出法(593)『外交文章から読み解く歴史的一歩の日中合意』●『アベノミクス政策は、「間違い」だった」
日本メルトダウン脱出法(593) &nb …
-
-
●『徳川封建時代をチェンジして、近代日本を開国した日本史最大の革命家・政治家は一体だれでしょうか講座④『西郷隆盛の即断即決のリーダーシップ➂』『山県有朋が恐る恐る相談すると、西郷は言下に「至極、結構なこと」と了解し、断固実行した」(徳富蘇峰『近世日本国民史』(明治の三傑))
2012-03-24 /日本リーダーパワー史(246)記事再録 & …
