正木ひろしの戦時下の言論抵抗(正木ひろし伝Ⅱ)(下)
1
<静岡県立大学国際関係学部紀要『国際関係・比較文化研究』第3巻第1号(2004年9月号)>
前 坂 俊 之(静岡県立大学教授)
Ⅴ 「近きより」の影響力
ところで、この頃の『近きより』の発行部数は一体どれくらいあったのだろうか。そして、
どのくらい読まれていたのだろうか。その言説はどのくらい影響があったのだろうかを
みてみたい。
「近きより」の発行部数は3 千部から4 千部の間であった。このうち、「約2 千部は先
輩や知己に配り、5 百部は官庁、陸海軍、学校、図書館、全国新聞社等へ寄贈し、そ
の他の1 千部は一般読者に配布されていた」。(14)
正木はすべての号で読者アンケート以外はすべての原稿を自分で書いた。いそがし
い本業の弁護士業務の合間に、「近きより」の編集、執筆に3 日間から、長い場合は
10 日間もかけたと書いており、このため内容はバラつきがあり、平均化していない、と
いう。
昭和14 年春から、郵便規則の一部が改訂され、毎月出さないと第3 種が失効するこ
とになった。それまでは五厘切手で日本国中どこへでも送ることの出来た「近きより」
は、三銭切手を貼らなければ出せなくなった。
郵便だけで毎月100 円近く支払わなければならなくなった。正木は弁護士業務がどん
なに忙しい月でも「毎月出すようにしていますから、気の抜けたナンバーも出て来るの
です」(15)と弁明している。
しかし、その内容は批判精神、民主的な知性が溢れて、文章はエスプリ、格言、箴言
に充ちており完成の域に近づきつつあった。時代を洞察し正義感のあふれる、鋭利で
辛辣な、カラシのきいた文章とユーモアあふれる短文がちりばめられていた。
15)『近きより③』11P
2
戦時下で国民がおかれた状況を、正木は科学的な態度で、ミクロとマクロに複眼的、
多角的、歴史的に観察して記録した。それは日本ファシズム下の病理現象のカルテ
であると同時に、すぐれた日本精神の病理分析にもなっており、ジャーナリスト・正木
の本領が見事に発揮されている。
「現代ほど『お辞儀』をすすめられ、『服従』を強いられている時代は、なかったであ
ろう。そのお辞儀と服従とを『心から』するのが何パーセントあろう。たやすくお辞儀を
し、たやすく服従する習慣をつけられた民族は、敵に対してもたやすくお辞儀をし、た
やすく服従することあるを想い見よ」(昭和15 年7 月号)
「尊敬心と恐怖心とは似たところがある。どちらも相手に対してお辞儀するのだが、一
方はかじけなさにするし、一方はしないと迫害されるからするのである。お辞儀はお
辞儀でも、いろんな種類がある」(同号)
「反対しないことと賛成したこととはちがう。いわんや反対出来ないことば賛成したこと
ではない」(同号)
「日本人全体が一つの鍋の中にいることを忘れ、自分だけが煮られないで涼しい顔を
していようとしている人間があるが、いよいよとなれば、全部が…の湯となってたぎる
であろう。成金も犠牲者も一つの鍋の中にいることを知っておくべきである」(昭和16
年12 月号)
「日本人を迫害する者は、ロシア人でもなければ、義人でもない。大抵日本人である。
私は支那人よりも日本人の方が怖い」(昭和15 年8 月号)
「共産主義反対、自由主義反対と、反対運動のついでに島国根性反対、形式主義反
対、国民去勢反対、国民奴隷視反対などいう運動が起こってもよさそうである。」(同
号)
「滅私奉公などといっても、『私』の意味が単に文学的の時は問題はないが経済的に
私を滅するとなると、私有財産制否認ということになり、一躍して彼等のいわゆる危険
思想となることに気がっているのか」(同号)
「全体主義体制の如きもの、全体が一度に号令で始まれば結構だが、さもないと、初
めに正直にやった者だけが丸損して破滅してしまうことがある」(同号)
「自由主義経済が共産主義の温床というなら、全体主義の温床は共産主義でなけ
ればならない。温床なき思想運動は遺憾ながら一つの流行病や突風みたいなものに
過ぎない」(同号)
「パーマネントをやめさせ、ダンスホールを禁止し、各戸に神棚を作らせ、忠霊塔でも
立てておけば、それで日本の思想問題はかたづいたように考えている頑の悪い人間
が、日本の革新陣営と称する者の中にも沢山いるのだ」(同号)
「本誌に対する御批評の中には、筆禍にかからぬようにとの御親切な御注意がかな
3
り多くありました。他人の言論を出来るだけ曲解して批難攻撃し、明瞭な活字の誤植
までもとり上げて不敬呼ばわりしたり、反軍思想ときめつけることを商売のようにして
いる人間が日本には沢山ありますので、用心しています。当局者の大部分は小生と
殆んど同じ考えを持っているようであります」
「政治を一歩誤ると、官吏は番犬で、国民は牛馬のようになってしまう」「物事をはつ
きりさせた方が危険は少ないと思うのだが、世の中には、はっきりさせることは危険
だという者もある」
「弁護士林逸郎氏曰く、『現代の社会では、沢庵の圧石に適する石コロを棚にのせて
これを拝ませようとするから本気になれないのである』と」(昭和16 年6 月号)
「電車の中で足を踏まれたことに対しては、真剣になってまるで命がけで怒りながら自
分の国の政治が、ダラシナクても怒らぬ日本人あり」(同号)
「かって右傾暴力団と称するものが跳梁跋扈した時代があった。彼等は人の私行や、
末梢的な過誤を捕えて大義名分を振りかざし、社会の有力な地位にある者を恐喝し、
彼等の生活を維持した。それをこの頃、余り耳にしなくなったので、何故かと思ったら、
世の中が何時しか彼等のイデオロギーの注文通りの末梢的になってしまったのであ
った」(同号)
Ⅵ 「近きより」への評価
60 年以上前のこれらの社会、政治評論は今読み返しても、いささかも古さを感じさせ
ない。それどころか新鮮な切り口や、ハッとする指摘が随所にみられ、時代を超えて
輝きを増している。
この時代の正木の分析、洞察力について古賀正義は次のように解説している。
「正木の言論活動の特徴は五つある。
① 批判の語調が従来に増して激越かつ直接的になったこと、
② 国体や「かんながら」の道といった絶対的タブーに対して挑戦を始めたこと、
③ 排外的愛国主義に対する批判が目立っこと、
④ 数年続いた文筆活動のせいか文章の質が完成に近づき、それとともにエスプリに
富んだ文明批評の言葉が泉のように溢れ出していること、
⑤ 激しく為政者の責任を問う言葉が次第に増えていること、等である」(16)
16)『近きより③』11P
4
太平洋戦争へと全面戦争に突入する1941 年(昭和16 年)にはいって、正木の言論は
一層予言的になってくる。同年3 月号に正木は次のような詩を掲載した。
日本の現状を憂い、重罰化だけの政治のあり方を痛烈に皮肉って寓話化した詩であ
った。この中での公爵とはいうまでもなく近衛首相のことである。
「『としておく』ことの多い日本、お伽話の国、日本
この国の文明はすべて軽くて小さい
家はマッチ箱のようで、部室と部室とは紙でさえぎられ
雨が降り続くと公爵が風邪をひく、貨幣は豆粒のようなアルミニュームで
国民の人格は一枚一枚の葉書のように軽く、風が吹くと飛ばされ
この国の代議士は、蟻のようで、天気の変わり目には皆一斉に巣を換える
何か重いものはなかろうかと探して見たらただ刑罰だけが重かった」
(昭和16 年第3 号)
「此度の戦争は八紘一宇と称する大理想のために闘っているので、八紘一宇という
意味は世界を一家とし、各国民をして各々そのところを得さしむということだそうです
が、世界を一家とすると共に、日本国民を一家族のように扱わねばならぬと思います。
不親切、意地悪、冷酷、残酷、苛酷、無慈悲、表裏、無責任、強圧、断庄、過敏、疲労、
ワレガチ、雷同、阿訣、卑屈、迫害、嫉視、貧窮、餓死、結核、陰鬱、絶望、発狂、自
殺、一家心中などいう不吉の言葉が珍しいような国にならなければ立派な国と言えな
いでしょう。」(昭和16 年3 月号)
そして、日本の崩壊が近いことを次のように予言した。
「恐ろしい時代が、刻一刻と追って来た。その恐ろしさは、日米戦争とか、日ソ戦争と
かいう特定的のものではなく、日本全体の危機が迫って来たような感がする。政治、
経済、外交、思想、教育、民心等、すべての方面に不吉なる病的の兆候が現われて
来たようである」(17)(昭和16 年2 月号編集後記)
戦時下のきびしい言論統制の中で、良心の灯をともし続けた「近きより」は、1945 年
(昭和20)8 月の敗戦も、そのあとまでも休むことなく刊行され続けた。正木のゲリラ的
な言論抵抗の勝利といえるが、家永三郎はその巧妙な戦術について、次のように指
摘している。
①『近きより』はおおむね「奴隷の言葉」を用い、表面的には天皇制を讃美し、戦争を
支持するかの偽装を行ない、「パラドックス」「反語」「隠喩」「直喩」(いずれも正木自身
の用語による)等を縦横に駆使し、しっぽをつかまえられないようにして、実質的に痛
烈な批判を続けた。もしあれだけの内容を、露骨な表現で不用意にやった
17)前掲『近きより③』172P
5
ら、一回でやられてしまったにちがいない。
②「奴隷の言葉」は戦術上の偽装であり、それが効を奏し、ついに官憲はつぶすこと
をしなかった。
③弾圧の危険を感ずるたびに、多数の名士のアンケートを誌上に掲載し、『近きより』
は大勢のえらい人たちから支持されているぞ、と誇示するデモンストレーションを試み
た。
例えば、昭和十八年四月号には84 人のアンケートが掲載されており、その内には東
京帝大講師(前大審院判事)尾佐竹猛、判事斎藤悠輔、大審院検事佐々波与佐次郎、
大審院判事岸達也、大審院判事大丸巌、退職検事吉益俊次、大審院長長島毅、横
浜地方裁判所長佐藤藤佐といった顕官、ことに司法官が多数ふくまれていた。
これが、権力に対して卑屈な検閲官や警察官にとり有効な心理的牽制策となり得た
のではあるまいか。また、正木自身弁護士であったということも、官憲に多少の遠慮
をさせる条件として役立ったのではないか。
④官憲側が、個人雑誌としての社会的影響力をみくびっていたことも、つぶされない
ですんだ有力な原因であったろう。少数特定の読者の間だけに配布され、不特定多
数の民衆に組織的な影響を及ぼす力のない個人雑誌ならば、少々大目にみてもよい
という気持が、取締り当局にあったのではないか。(18)
以上のような正木の不暁不屈の意志と努力によって、敗戟の日まで続く暗黒の時代
に「近きより」は日本人の良心のともし火を照らし続けたのである。
18)家永三郎著「権力悪との戦い一正木ひろしの思想活動」弘文堂1964 年刊 45-47P
(続く)
< 無断転載禁止>
関連記事
-
-
日本リーダーパワー史(433)全国民必見!小泉元首相の「世界の未来を開く原発ゼロの世紀の大演説」(全動画80分)
日本リーダーパワー史(433) 小泉元首相こそ真のリーダ …
-
-
『オンライン日本の戦争講座②/<日本はなぜ無謀な戦争を選んだのか、500年間の世界戦争史の中から考える>②『明治維新の志士たちは20歳代の下級武士』★『英国、ロシアのサンドイッチ侵略で日中韓の運命は<風前の灯!>に、日本は日中間の連携を模索したが、拒否された』★『福沢諭吉の「脱亜論」の真相』★『朝鮮の「反日的姿勢の歴史(過去千年の恨の思想)』★『中華思想、漢民族至上主義のエスノセントリズム』
『世 …
-
-
『Z世代のための日中関係/復習講座』★『日中関係が緊張している今だからこそ、もう1度 振り返りたい』★『中國革命/孫文を熱血支援した 日本人革命家たち①(1回→15回連載)犬養毅、宮崎滔天、平山周、頭山満、梅屋庄吉、秋山定輔ら』
2022/08/22『オンライン・日中国交正常化50周年 …
-
-
『オンライン/75年目の終戦記念日/講座➂』★『1945年(昭和20)8月、終戦直後の東久邇宮稔彦首相による「1億総ざんげ」発言』★『徳富蘇峰の語る『なぜ日本は敗れたのか➁』「リーダーシップ・長期戦略の欠如である』
★『1945年(昭和20)8月、終戦直後の東久邇宮稔彦首相による「 …
-
-
『リモートワーク/鎌倉カヤック釣りバカ/フィッシング』(2020/5/14/am6-9)-『海に出れば心は晴れる。サッチモやロッド・スチュアートの「この素晴らしき世界よ」「セーリング」のメロディーが流れてきて、思わず涙があふれるよ
前坂俊之(ジャーナリスト) 鎌倉カヤック釣りバカ日記(2020/5/14/am6 …
-
-
『オンライン講座/作家・宇野千代(98歳)研究』★『明治の女性ながら、何ものにもとらわれず、自主独立の精神で、いつまでも美しく自由奔放に恋愛に文学に精一杯生きた華麗なる作家人生』『可愛らしく生きぬいた私の長寿文学10訓』
2019/12/06 記事再録 作家・宇野千 …
-
-
世界リーダーパワー史(939)― 安倍首相が三選―歴代首相でトップの最長政権(2021年9月までの通算10年間弱)を達成するか』★『安倍首相の解決スピード不足と出口戦略がないために、現実の「人類史上初の超高齢化・少子化・人口減少、消滅自治体、国家財政のパンク、迫りくる巨大災害」にキャッチアップできていない。』
世界リーダーパワー史(939) 安倍首相が三選―歴代首相でトップの在任期間(21 …
-
-
日本リーダーパワー史(399)ビデオ歴史政治座談会<安倍自民党政治へ提言>安倍外交は武田信玄の軍略を学べ
日本リーダーパワー史(399) …
-
-
『リーダーシップの日本近現代史]』(21)記事再録/『山岡鉄舟の国難突破力⑤『金も名誉も命もいらぬ人でなければ天下の偉業は達成できぬ』
2011/06/22   …
-
-
百歳学入門(174 )-『生死一如』★『百歳天女からの心に響くメッセージ』―60,70/洟垂れ娘への応援歌」②『105歳小倉遊亀(おぐらゆうき)女流日本画家)『老いて輝く。60代までは修業、70代でデビュー、100歳現役』』●『105歳、最後の長岡瞽女(ごぜ)の②)『すべて神様、仏様のお導き、すべてを受け入れ許すことで自分も救われる』
百歳学入門(174 )-『生死一如』★ 『百歳天女からの心に響くメッセージ』― …
- PREV
- 正木ひろしの思想と行動('03.03)
- NEXT
- 「センテナリアン」の研究