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*

『全米を熱狂させたファースト・サムライのトミー(立石斧次郎)』――

   

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<日本経済新聞文化面2004年8月2日朝刊掲載>

前坂 俊之<静岡県立大学国際関係学部教授>
今年は日米関係150年。今、米メディアでもメジャーリーグで活躍するダブル松井や
イチロー選手のニュースが大きく取り上げられているが、この150年間で、米国で活
躍した最も有名な日本人とは一体誰なのだろうか?ー
私は異文化コミュニケーション論を研究しており、米国で活躍した日本人について長
年研究してきたが、意外なことに『約150年前に最初に渡米したファースト・サムライ・
立石斧次郎(愛称・トミー)こそ、最も米国人に愛された日本人であり、その成功の秘
訣は英語以上に異文化コミュニケーションスキルの高さだった』との結論に達した。
日米和親条約(1854年)の後、万延元年(1860年)2月、幕府遣米使節団(77人)
は米海軍蒸気船「ボーハタン号」に乗船し、ホワイトハウスでの日米通商条約批准の
ため咸臨丸と同時に太平洋を渡った。立石
斧次郎は16歳の通詞見習いとして最年少で
参加した。
この遣米使節団は米メディアでフィラデルフィ
ア、ニューヨークなど行く先々で、熱狂的な歓
迎を受けた。中でもトミー(斧次郎の幼名は
為八。
それが『トミー』と米国人には聞こえた)はイ
ケメンで社交的な性格で、女性にやさしく、数
千通のラブレターが全米の女性から殺到す
るアイドルと化し、「トミーポルカ」という賛美
歌が大ヒットした。
「ニューヨーク・イラストレイテッド・ニュース(1860年6月23日付一面)
2
このほどニューヨーク市立図書館で、「ニューヨーク・イラストレイテッド・ニュース」「ニ
ューヨーク・ヘラルド」など当時の新聞マイクロフィムで報道ぶりを調べてみた。
トミーは「気立てのやさしく、アメリカ的なはしゃぎ屋の魂を持っている。新しい状況に
適応する方法を知った若者で、大変な人気者」「この国で適当な妻を見つけて、その
人と永久に幸せに暮したいので、日本に帰りたいとは思わない、語った。サインを求
めて扇を差出されると、I like American lady very much .I want marry and live
here with pretty lady と書いた 」(トリビューン紙)
トミーは米国人とすぐうち溶けて、英語で1つ1つ、何と言うのか聞いては書き付け、
発音して習得した。
他の日本人がしりごみする中で、ただ一人り蒸気機関車で機関士をやってみたり、消
防士となってホースで放水したり、フィラデルフィアでは「ピアノの伴奏で日本の唄とア
メリカの唄を歌って婦女子の喝采を浴びた」(フィラデルフィア・インクワイヤラー)。
トミーは活発で、明るくすぐ仲良くなれる性格で、米少女に恋をして自分の髪を切って
与えたとも報じられ、米女性とキスをした最初の日本人がトミーなのである。
当時のサムライは今の日本人以上に、身分制度、男尊女卑に凝り固まり、口下手、
慇懃で、恥ずかしがり屋で米国人とコミュニケーションができなかった。
米大統領の歓迎レセプションやダンスパーティーを「とび人足の酒盛り」、議会を「日
本橋の魚河岸のよう」と馬鹿にして、異文化を理解できなかった。
唯一、トミーだけが人権の尊重、レディーファースト、個人主義の理念のアメリカ文化
をいち早く理解して、ボディラングウエッジ(肉体言語)、ジェスチャー、ノンバーバル
(非言語)のコミュニケーションのスキルを身につけて行動で表現できたのである。
トミーの人気は沸騰し「トミーあてのラブレターが続々届くので歓迎委員が親元へ送り
返している」(ニューヨーク・タイムズ)。
「ハーバース週刊新聞」(6月23日付)や「ニューヨーク・イラストレイテッド・ニュース」
(1860年6月23日付)は一面トップでトミーの肖像イラスト、写真つきで大々的に報
道。『彼ほどの男は他にいない。彼は不滅であり、この国の歴史のなかで今後もずっ
と永遠にトミーである』(ニューヨーク・イラスト)と絶賛した。
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トミーは多くの米新聞の第1 面に写真つきで最初に載った日本人であると同時に,こ
れだけ人気を博した日本人は150年間でみても例がない。
しかし、日米関係研究者,歴史学者の間でも,福沢諭吉や勝海舟、小栗上野介らは
研究し尽くされているが、トミーは遣米使節団の単なる脇役であり、「トリックスター」と
して、若かったために米メディアに注目されただけだという低評価である。
トミーは帰国後は評価されず、出世もしていない。多くの欧米留学組が明治政府で各
界の要職を占めたのに対して、トミーは工部省の、北海道開拓使などの後、役人をや
めてハワイに移住、大阪控訴院の通訳などして大正13 年に73 歳でなくなった。
日本の英語教育の歴史は語学の読み書きに最重点が置かれたが、コミュニケーショ
ンの中で語学の果たす役割はその一部に過ぎない。
異文化コミュニケーションでもっと大切なのはフレンドリーさであり、アイコンタクト、ボ
ディーランゲッジであり、相手文化への尊敬、ノンバーバルな異文化スキルである。
日本の英語教育の欠陥はトミーの体験、そのスキルが十分、活かされなかったことに
あるのではないかーそんな問題意識から米国新聞のマイクロフイルムからトミーの記
事をコツコツ調べている

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