日本リーダーパワー史 (22) 『世界の知の極限値』ーエコロジーの世界の先駆者だよ、南方熊楠先生は・・(上)
前坂 俊之
世界中を歩き回って、英国・ロンドンで英語やラテン語など十数カ国後を駆使して知識、情報を集め、英語で多数の論文を発信し、故郷・和歌山に帰国した後も、生涯田舎(和歌山県・田辺市)に住んで、学会などには一切属さず、個人として、自由人として世界を相手に質の高い情報を発信し続けたことは正にインターネットそのものである。
このことが、市内で大評判となり、「人間業ではない、奇跡だ。」と絶賛され、学問嫌いの父親も「熊楠がそんなに好きなら、本を読むのもよい」と和歌山中学への入学を認めた。

自分もこの病質を直そうといろんな遊びをしたが上手いかず、遊び同様のおもしろき学問より始めようと思い、博物標本の収集を始めた。これがなかなか面白く、カンシャクなど少しも起こらず、今日まで狂人にならず、これを克服した」(明治44年12月25日付)と柳田国男への手紙の中で明かしている。
和歌山中学を卒業、東京大学予備門(東
大教養学部の前身)に入学、同期に夏目漱石、正岡子規、秋山真之らがいたが、熊楠は授業などを気にもとめず,学校をさぼり、上野図書館に通っては万巻の書を読んでいた。特に、体操が大嫌いで、体操無用論を唱えていた。このサーカス団には3ヵ月ほどいて中南米、キューバ、西インド諸島などを興行して回った。
この間に博物学者のゲスナーの伝記を読み感激して「願わくは日本のゲスナーになりたい」と日記に書くなど、植物採集、粘菌の標本づくりなどに熱中した。
博物館の真ん中に巨大なドーム型をした天井の高い図書館閲覧室があるが、ここを勉強部屋にして通いつめた。
世界中の学者や研究者がここを研究の場としており、カール・マルクスが有名な『資本論』を書くために日参したのは約30年前のことであった。
熊楠は下宿の老婆から半分破れて欠けた英語の辞書を借りて、2週間で回答を記して送った。『東洋の星座』という論文がそれで、1893年9月号「ネイチャー」に掲載され、「タイムス」などの新聞でも賞賛され、熊楠は一躍有名になった。それまでは誰も見向きもしなかったのに、急に英国大使からも招待がかかったが、これは断ってしまう。
フランクス館長からも招かれ,乞食よりもひどい垢まみれのフロックコートを着て訪れたが、70歳近い大学者の館長は得たいの知れない弱冠26歳の日本人青年を心から歓待してくれた。回答文のていねいな校正を手伝ってくれた。
閲覧禁止のものも持ち出しが許され、同博物館の日本書籍目録の作成に貢献した。
この事件は「タイムス」でニュースとして掲載されたが、南方は文章だけではなく、行動でも不当な差別には断固戦ったのである。
ジャーナリスト・福本日南がロンドンを訪ねて、熊楠の陋屋を訪ねた際、「部屋は馬小屋の2階をかりたもので、なんとも乞食小屋のような部屋に寝床と尿壷とゴミの山だが、書籍と標本だけは一糸乱れず整理されていた」と感心している。
仕方がないので小便を尿壷からバケツ、洗面器にまでして、そのうち小便をしたバケツをもって捨てに行こうとして、酔っ払って手元が狂ってカーペットにどっとひっくり返してしまった。それが、階下の労働者の頭にポタリポタリと落ちこぼれて、大騒ぎとなり、翌朝この家の主婦から大目玉をくった。
2度目のことなので、ついに同館には出入り完全禁止になってしまった。この時もアーサー・モリソン(高名な小説家)が英国皇太子、ロンドン市長、カンタベリー大僧正ら同博物館の評議員たちに直訴して、同館東
洋図書部長のダグラスの部屋に南方の特別の席を設けて、他の閲覧者と区別してトラブルを避ける措置を講じたが、これに腹を立てた熊楠は永久に同博物館と決別することになった。ロンドン大学総長ジキンスの意向でケンブリッジ大学に日本学講座を開設して、南方を助教授で採用して長く英国にとどめて置こうという計画もあったが、結局、ボーア戦争などの影響で立ち消えになってしまった。
しかし、帰国後は東大英文学の教授に就任して、陽のあたる道を歩むようになる。
意気軒昂で、酔っては暴れまくり、大英博物館で初めて会った孫文に「あなたの一生の目的は」と聞かれて、「東洋人は一度西洋人をことごとく国境の外に放逐することだ」と同席していたダグラス部長の前で豪語して驚かせたほど、自信とプライドにあふれていた。
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