『ガラパゴス国家・日本敗戦史』①『近衛文麿、東條英機の手先をつとめたのは誰か』①「水谷長三郎(日本社会党議員)」
2017/07/13
1年間連載開始―『ガラパゴス国家・日本敗戦史』①
なぜ、米軍B29の本土空襲、原爆投下により国土は
焦土と化し、市民、子供も含めて300万以上が
犠牲になるまで戦争をやめなかったのかー
その『無条件降伏全面敗戦史』をふり返る
『近衛文麿、東條英機の手先をつとめたのは誰か』①
水谷 長三郎(日本社会党議員)による『議員の戦争責任に関する
決議案』の賛成討論(昭和20年12月1日、第八十九議会)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E8%B0%B7%
E9%95%B7%E4%B8%89%E9%83%8E
終戦後の二回日の議会、第89帝国議会がひらかれたのは、1945年(昭和20)11月26日であった。
この議会で問題になったものに、戦時中の議員の戦争責任があった。当時すでに政界や言論界では、自ら戦争責任を痛感して、第一線を退く者が続出していた。しし、政界では、責任を感じて、諸員辞退を申し出る者は、ほんのわずかかであった。
しかも戦時中の政府に迎合して、積極的に戦争遂行に協力した幹部議員のある者は、自邸に逃げこもって天下の形勢を眺めながら日和見をきめこんでいたり、あるいは新しい時代のバスに乗り遅れまいと、準備しているあさましさであった。
政界はすでに新しい胎動にはいっていた。戦時中、軍部から自由主義政治家のレッテルを貼られ、その活動をまったく封じられていた鳩山一郎は、いち早く自由党を結成してこの議会に臨んでいた。またこれよりさき、戦前、社会民衆党、日本労働党など、無産階級に属していた議員は、打って一丸とする日本社会党を結成していた。
一方戦時中、翼賛政治会(後に大日本政治会)に属し、戦争遂行に協力した多くの議員は、いまさら自由党にも走れず、そうかといって日本社会党にも行けず、その結果進歩党を結成して、これに拠っていた。
衆議院の過半数は、もちろん進歩党であった。
議員の戦争責任については、まず自由党から〝議員の戦争責任に関する決議案″が提出され、次いで進歩党から〝戦争責任に関する決議案″が提出された。
自由党は『ポツダム宣言受諾以来、わが戦争責任については、深甚なる反省が加えられ、すでに軍部、財界および言論界は、相次いで自粛の実を示すのとき、独り政界のみ、てんとして反省の実なきは、真に遺憾にたえず。国民を代表して、範を天下に示すべき衆議院が、この際戦争責任を明確にせずして、議案の議事を進むるごときは、断じて許すべからざることなり。
大東亜戦争開始以来、政府と表裏一体となりて、戦時議会の指導に当れる者は、この際すみやかに、その責任を痛感して、自ら進退を決すべし』
というのであった。
これに対して、進歩党案は
『……今次敗戦のよってきたるところを観ずるに、軍閥官僚の専横にもとずくこと、もとより論なしといえども、彼等に阿諛追従し、ついに国家国民を戦争遂行に駆りたる政界、財界、思想界の一部人士の責任も、またまぬかれるべからざるところなり。
われら職に立法の府に連なる者も、また静かに過去の行蔵を反省し、深く自粛自戒し、新日本建設に邁進せざるべからず』
というもので、自由党案が、戦争協力者にたいし、ハッキリと『その責任を痛感して、自ら進退を決すべし』といっているのにたいして、進歩党案は『政界、財界、思想界の一部人士の責任も、またまぬかるべからざるところなり』と一応追及の形をとっただけで、いつか、『新日本建設に邁進せざるべからず』と、問題の処理はスリ替えられてしまっていた。
この辺に、進歩党の結成当時の性格が、よく現われていた。
この二つの戦争責任追及の決議案は、十二月一日の衆議院本会議に上程されたが、日本社会党は、自由党提案の決議案に賛成して、水谷長三郎をその討論に立てた。
水谷が戦時中の抑圧から解放されて、思いきって胸中にたまっていたものを、ぶちまけたのが、その賛成討論である。
「私は日本社会党を代表いたしまして、ただいま議題となっておりまする、自由党提出にかかる議員の戦争責任に関する決議案にたいしまして、賛成の意見を述べんとすかものであります。
まず私は、われわれがこの間題を論議するに当りまして、われわれはいかなる心構えをもってこの間題を論議しなければならないか、ということについて、一言申しあげておきたいと存じます。
われわれがこの間題を論ずるに当りまして、注意せねばならねことは、断じて主観的な立場において、議論をしてはならないということであります。真実に日本の将来を認識いたしまして、和的、文化的、民主的国家として、ふたたび祖国日本が、起ちあがるためには、この戦争にたいする責任が、明確にせられまして、政治にたいする国民の全信頼が、回復しなければ、清新日本の確立は、断じてなしえないと思う次第であります。(拍手)
したがってわれわれは、この戦争におきまして、いやしくも政治家といたしましては、お互いに戦争中の自己の行動にたいしまして、厳粛なる自己批判と反省がなされ、きわめて謙虚な気特をもって、この間題が取り扱われねばならぬということは、いうまでもございませぬ。
いま一つわれわれが考えなくてはならないことは、われわれが敗戦国民の側におきまして、これが戦争責任者である、これが戦争犯罪人であるという見方と、戦勝国である連合国総司令部が見る戦争責任者、戦争犯罪人と見る間には、そうとうの相違があるということも、またやむを得ない次第であります。
連合国最高司令部は、われわれが、欲すると欲せざるとにかかわらず、その独自の立場におきまして、また、その支配権を掌揺する立場におきまして、しかも、日本全国民が、納得してくれるような方法におきまして、この間題を取り扱わねばならないと、私は、思うのでございます。(柏手)
世間では、戦争責任者、敗戦責任者、戦争犯罪者という、この三つの言葉をば、ハッキリ区別して、用いられておらない傾きがありまするが、私の考えまするところによりますると、戦争責任者とは、この無謀なる戦争を挑発し、帝国主義的侵略の野望を満たそうとした者。
戦争責任者とは、拙劣なる戦争据導によりまして、敗戦の結果を導いた者。そうして戦争犯罪者とは、戦争中または敗戦のどさくさまざれに乗じて、その地位を不当に利用して、悪事を働いた者であろうと、私は思うのでございます。
しかも、この三つの場合におきまして、その筆頭にあげる者は、いうまでもなく軍閥にほかならないのでございまするが、その他の官僚、資本家、思想界、言論界等々の責任者も、その責任を取らねばならないことは、いうまでもございませぬ。
ただ私らはここに、議会政治家といたしまして、戦争責任を考える場合におきましては、いやしくも政治家といたしまして、軍閥と結合し、この無暴なる戦争を惹起し、拙劣な戦争指導に追随し、あまつさえ戦時中自己の地位を不当に利用して、悪事を働きました政治家のごときは、その罪断じて許すべきではないと思うのであります。(拍手)
このようなモノサシを持ちまして臨む時、まず議会政治家として、責任を取るべきものといたしまして、さきに自由党の決議案にありまするように、大東亜戦争開始以来、政府と表裏一体となって、戦時議会の指導に当れる者うんぬんありまするこれをば、もっと具体的にハッキリ申しますれば、その一は、翼賛選挙推薦母体(註、昭和十七年春の東条内閣の下における総選挙に際し、政府の意を受けて、御用候補者を推煮した翼賛政治体制協議会)の構成員であった者、これが一つであります。
さらに、もう一つは、翼賛政治会(註、戦時下の衆議院議員を、半強制的に結集した団体)、大日本政治会(註、巽賛政治会の後身)の常任総務以上たりし者、これが、その二であります。
事前に政府側で検閲されまして、片々たる陸軍大佐ぐらいに検閲されまして、気に人らぬところはどしどし削ってしまわれ、そうして最後は独自の演説ではない、官製の原稿が、はじめて朗読されることを、許可されるという仕組みになっておったこと、
これに反して東条の演説は、東条自ら演説の草稿の、急所々々に○じるしをつけて、拍手を強要した事実、そうしてここには準えず、星野(直樹)内閣書記官長、あるいは某無任所国務大臣が、雛壇からズヅとにらみまわして、拍手の成績をば、いちいち採点しておったという事実、こんなところに軍閥官僚の手先となった、旧翼賛会、旧日政会の幹部の、はたした役割の一端が現われている。(拍手)
つづく
<以上は中正雄(毎日新聞論説委員)『抵抗の記録』東潮社(1966年)参照>
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