前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

日本リーダーパワー史(817)『明治裏面史』 ★ 『「日清、日露戦争に勝利」した明治人のリーダーパワー、 リスク管理 、インテリジェンス㉜『日本史決定的瞬間の児玉源太郎の決断力④』★『児玉参謀次長でさえ、元老会議や閣議から除外されることが多かったので、軍部は国策決定の成否を知り得なかった。』★『児玉参謀次長に日露外交交渉の詳細が知らされなかった日本外交の拙劣ぶり』

   

日本リーダーパワー史(817)『明治裏面史』 ★

『「日清、日露戦争に勝利」した明治人のリーダーパワー、 リスク管理 、

インテリジェンス㉜『日本史決定的瞬間の児玉源太郎の決断力④』

 

 10月12日に就任した児玉次長も元老の不決断にイライラしながら、その内幕を10月20日、部長会議でもらしている。

「伊藤侯は、故田村中将より聞いたが、わが国の軍備いまだ充実していないので、戦争に決することを蹄躇しているという。田村中将は今日のように事態切迫していなかった時期だから、満州問題を利用して軍備の充実を図ろうとしたが、その意図は伊藤候に通じず、侯爵はこれを真面目に解釈して、わが国の軍備はいまだロシアに対抗するに足らずと思ったのであろう」と説明した。

続けて、『ただし、軍備の充実も程度問題である。われわれが充実しないものがあれば、ロシア側にもまた不充分な点もある。パワーバランスの比較で有り、現在のわが兵力をもってロシアと対戦しても、必ずしも必勝の計算が立たないわけではない』とも話した、という。

しかし、元老たちは田村前次長の戦力比較を信じており、開戦には二の足を踏んでいた。

10月24日開催の元老会議では、伊藤・山県・黒田・井上・松方、大山、西郷らの元老の外、桂首相、寺内、山本陸海相、小村外相のみが列席し、児玉次長も蔵相も伊東軍令部長も列席を許されなかった。

元老会議という最高の国家意思決定機関で、世界の大勢に通じた政軍戦略の決定時期を調査、研究してきた参謀本部の統括責任者の児玉次長が出席できないとは一体何事か。参謀本部は不満が渦巻いた。

この欠陥制度と運用の不備によって、開戦のタイミングはズルズルと先延ばしされていった。 

一方、ロシアの軍事的外交は着々と進められており、日本の外交は拙劣さが一層目立った。

この頃の内閣の不決断、元老の優柔不断、軍事当局の繁忙、動員準備、大臣らの往来などは、日々の新聞紙上に刻々と掲載されている。軍事外交の必要性については戦争前から指摘されていたことだが、当時は軍事外交の思想は日本ではよく理解されていなかった。

 わが陸軍唯一の智謀・児玉参謀次長でさえ、元老会議や閣議から除外されることが多かったので、もちろん軍部は国策決定の成否を知り得なかった。

ようやく10月30日になって、参謀本部各部長は児玉次長から、日露交渉の進展についての説明があった。しかし、この説明は日本側の単なる希望的な観測のもので、事実とは全く違っていた。当の児玉参謀次長にさえ、こんな情報を間に受けていたのである。

児玉は『日露の談判は、平和に傾きつつあるもののようだ。わが政府の提出した鴫緑江を中心として双方50キロを隔てた地域を中立地帯とすることは、ロシアも承認するかも知れない。

しかし、その代償としてロシアは、朝鮮南岸において日本が自由航行を妨げるような施設を建設しないように要求しているとのことである。』と語った。

 これを聞いた各部長は、「ああ、大事は去った」と胸をなでおろして喜んだ。

部長からは次の質問が出た。『満洲およびシベリア鉄道が完成し、ロシアの満洲での兵備が完備した暁にはどうなるのか。この際わが国としては、少くとも満州に対する軍事の均衡を得るため、兵力をもって朝鮮を確保しなければならぬ。協定上この余地を存してあるだろうか。』

 児玉次長は「それは必ずあるだろう」と答えたが、事実は全く違っていたのである。

児玉次長自身がこの外交交渉の詳細については知らされていなかった。

 このときは丁度、小村外相がローゼン公使と第六回の会見を行なった時期であったが、ロシア側の回答書などは、児玉次長自ら総理邸からとってきて謄写するような有様で、常識では考えられないほどのお粗末さの情報共有不であった。

この国家重大の時局に総理自ら進んで軍事当局たる次長に情報を全面的に示して、外交と軍事との協力をはかるのは当然のことだが、それさえやってなかったのである。『桂総理の行為は、この期に及んでもなお軍事を度外視して成功を収めようとしていた。機密確保の必要とは云っても度が過るのではないか』と参謀本部員からは批判が出ていた。

 これらの弊害は、今日において依然同じである、と「機密日露戦史」は指摘している。将来戦のため、われらは大いに覚悟して予め意志疎通の方法を講じておかなければならぬ。机上の空論では研究し得ないところであるからである、と若。

 

 その後、故田村中将が伊藤侯をおどかした軍備不充実、戦争不可能のことを説明していたが、そのいきさつについて児玉新次長の説明によって伊藤侯も諒解したといわれる。

しかし、外務当局は、12月10日、ロシア・ペテルブルグ発の粟野公使の電報を信じ、まだ平和を夢みつつあった。

 倫教〔ロンドン〕二帰省中ナリシ、在露英国大使粟野告ゲテ日ク、露国政府二致サレタル日本ノ提議ハ、日本政府ノ希望二近ク、解決セラルルナラント。英大使ハ 更二附言シテ日ク、露国ノ国論ハ、満州政策二 漸ク反対ノ傾向ヲ 顕ハシ来レリ。コレ迄、露国皇帝ハ、平和ノ解決ヲ希望セシナランガ、国論二反スルヲ恐レテ躊躇決、セザリシガ、今ヤ国民ノ意向満州政策ニ反対セントスルニ方リテハ、充分ノ譲歩ヲ以テ、回答ヲ日本二与ウルノ望ミアリ。

    <引用文献は谷寿夫著「機密日露戦史」>

 - 人物研究, 戦争報道, 現代史研究

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

『オンライン百歳学入門講座』★『一怒一老、一笑一若、少肉多菜 少塩多酢 少糖多果 少食「多岨(たそ)この字が正確 、少衣多浴 、少車多歩 少煩多眠 少念多笑、少言多行 少欲多施(渋沢秀雄)』

  2010/01/21 百歳学入門(3)記事再録 『 知的巨人たちの …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(182)記事再録/★『高橋是清の国難突破力(インテリジェンス)②』★『「明治のリーダー・高橋是清(蔵相5回、首相)は「小さな 政治の知恵はないが、国家の大局を考え、絶対にものを恐れない人」 ★『政治家はすべて私心を捨てよ』(賀屋興宣の評)

    2019/09/25 &nbsp …

『オンライン現代史講座/2・26事件の原因の1つは東北凶作による女性の身売りが激増』④『売られた娘たち ~東北凶作の中で!』★『東北の農村などでは人身売買の悪徳周旋屋が暗躍した」( 玉の井私娼解放運動に取組んだ南喜一の証言)

       「東北の凶作悲話ー娘の身売二百名」   東北凶作は農民生活をどん底 …

「わが80年/釣りバカ日記回顧録(1)」★『2011年3月11日から約1ヵ月後の『Spring in KAMAKURA SEA』』と『老人の海』=『大カサゴにメバルに大漁!ー<だけど『沈黙の春』よ>』

『地球環境異変・海水温の上昇で鎌倉海は海藻、魚の産卵場所がなくなり「死の海」『沈 …

「われわれは第3次世界大戦のさなかにある(NATO元最高司令官)」のに「75年たって憲法改正できない<極東のウクライナ日本>」★『よく分かる憲法改正論議』★『マッカーサーは 憲法は自由に変えてくださいといっている。 それを70年以上たった現在まで延々と 論争するほど無意味なことはない』

   2019/11/03 『リーダーシップの日本 …

no image
日本リーダーパワー史(108)伊藤博文⑤『観光立国論』―美しい日本の風景・文化遺産こそ宝<百年前の驚くべき先駆性>

日本リーダーパワー史(108) 伊藤博文⑤『観光立国論』―美しい日本の風景・文化 …

『オンライン/明治維新講義』★『 初代総理大臣で日本最初の英国留学生の伊藤博文による『明治維新を起こした英国密航でロンドン大学の教授の家に下宿したこと』★『 なぜ、ワシは攘夷論から開国論へ転換したのかーロンドンでタイムズ紙で下関戦争が始まると知り『日本が亡びる』と驚いて、帰国してきた経緯を話そう』・・>

    2011/07/03 &nbsp …

no image
日本の「戦略思想不在の歴史」⑸『日本最初の対外戦争「元寇の役」はなぜ勝てたのか⑸』★『当時の日本は今と同じ『一国平和主義ガラパゴスジャパン』★『一方、史上最大のモンゴル帝国は帝国主義/軍国主義/侵略主義の戦争国家』★『中国の『中華思想』『中国の夢』(習近平主義),北朝鮮の『核戦略』に共通する』

 日本の「戦略思想不在の歴史」⑤「元寇の役」はなぜ勝ったのか』 クビライは第一回 …

kamakura Surfinチャンネル(2023年6月3日午後2時)ー台風2号通過後の稲村ケ崎サーフィンは今年1番のビッグウだったよ。

kamakura Surfinチャンネル(2023年6月3日午後2時)ー台風2号 …

『Z世代のための百歳学入門』★『玄米食提唱の東大教授・二木謙三(93歳)の健康長寿10訓』★『1日玄米、菜食、1食のみ。食はねば、人間長生きする』★『身体と精神の健康は第一に欲を制するにあり、食べなければ頭がより働く』

2012/11/05 百歳学入門(54)記事再録再編集 玄米食提唱の東大教授・二 …