前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

『 明治150年★忘れ去られた近現代史の復習問題』―『治外法権の国辱的な条約改正案』●『長崎』清国水兵事件に続いてノルマントン事件が連発

   

 『忘れ去られた近現代史の復習問題』―

  国辱的な条約改正

ノルマントン号事件は、日本人船客二十三名をのせ横浜を出航して

神戸に向った英国汽船が、紀州沖で沈没した際、英国人

の船長以下は助かったが、日本人乗客全部を見殺しにした事件。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%B3%E5%8F%B7%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 

 米国使節ベルリの来朝で徳川幕府が1854年(安政元)五月、下田条約を結び、さらに58年(安政四)五月、長崎、下田、箱館を開港してアメリカ人の在留を許し、その後イギリス(英)、フランス(仏)、オランダ(蘭)、ロシア(露)との間にも通商条約を結び、領事裁判権などを外国に与えた。

 明治四年十二月、岩倉右大臣一行が欧米を歴訪したのも条約改正の下準備だったが、米国で当ってみるとグランド大統領は「条約登の締結をするには全権委任状が必要だ」というので、慌てて大久保利通と伊藤博文が委任状をとりに帰ってくると、三条実美は「たとえ米国との条約改正ができても他の欧州諸国はどうするか、その準備のために百人の随員もつれていったわけだから、他日に備えてじっくり視察してくるがよい」ということで見送りになってしまった。

 その後、寺島宗則を経て井上馨が第一次伊藤内閣の外相となると、この条約改正と取っくみ、1886年(明治19)五月、英、米、仏、独、露、伊、蘭、スペイン(西)、ポルトガル(葡)、スイス(瑞)、ペルー(秘)ら在日公使を外務省に招き、二十九回の会合を重ねてやっと列国の承認を得ようとする矢先き、案の内容がもれて朝野とも愕然とした。とくに谷干城農商務相

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B0%B7%E5%B9%B2%E5%9F%8E

は断乎としてこれに反対、上奏して辞職してしまった。

ついで井上馨外相も辞職のやむなきに至ったので、農相には薩摩の黒田清隆、外相には肥前の大隈重信が入って補強されたものの、国辱的な内容の条約改正や軟弱外交が崇って伊藤博文は黒田清隆に内閣を譲り、枢密院に逃げ込んでしまった。第一次伊藤内閣は二年四カ月の寿命だった。

  国民憤怒を巻き起こした条約改正案の『治外法権』

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%A1%E7%B4%84%E6%94%B9%E6%AD%A3

 

 この条約改正の議題の中心は、外国人の内地雑居とそれに伴う治外法権の二点である。外国人を自由に内地に入り込ませ、さらに取引を許すからには、それを支配する法権は日本で握らねばならぬ。だが、外国側は「日本はまだ西洋諸国のように整備した法律制度は出来ていない、そんな不安の状態下では日本の法律に服従することは出来ない」と強く反対した。

日本側は妥協案として参席裁判の法を設け、外国の裁判官を日本の法廷に参席させる、とくに外国人に係わる裁判事件には、日本の裁判官よりも外国人裁判官を多数参席せる、という思い切った案を出した。

 これは外国側にとっては大変有利な不平等条約、治外法権そのものだった。外国人の裁判について、外国人の裁判官が多数決で判決できたのだから、無罪でも何でも思いのままである。

新聞はさかんに書き立てる。自由党の壮士は立ち上って、元老院や各国公使館に押しかける。壮士に押しかけられた各国公使は外務大臣に苦情を申し込むので、その後の井上馨外相も辞任、伊藤首相が外相兼任となったが、その外国への弱腰外交、軟弱外交が大問題となった。そこへ長崎に入港していた支那水兵の暴行事件が突発し、ノルマントン事件が連発した。

『忘れ去られた近現代史の復習問題』―『日清戦争の引き金の1つとなった

『明治19年の長崎清国水兵事件とは何か』

http://www.maesaka-toshiyuki.com/war/24350.html

 伊藤内閣の弱腰、軟弱外交への非難はノルマントン号事件によってさらに燃え上がった。このノルマントン号事件は、日本人船客二十三名をのせ横浜を出航して神戸に向った英国汽船が、紀州沖で沈没した際、英国人の船長以下は助かったが、日本人乗客全部を見殺しにしたという事件である。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%B3%E5%8F%B7%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 

 - 人物研究, 戦争報道, 現代史研究

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
片野勧の衝撃レポート(65)戦後70年-原発と国家<1955~56> 封印された核の真実「平和利用で世論を変えよ」(下)

片野勧の衝撃レポート(65) 戦後70年-原発と国家<1955~56> 封印され …

no image
司法殺人と戦った正木ひろし弁護士超闘伝⑪」「八海事件の真犯人は出所後に誤判を自ら証明した(下)」

   ◎「世界が尊敬した日本人―「司法殺人(権力悪)との戦い …

no image
日本リーダーパワー史(555)「日露戦争での戦略情報の開祖」福島安正中佐⑤『清国は共に手を取り合ってやって行ける国ではない』と結論

 日本リーダーパワー史(555) 「日露戦争での情報戦略の開祖」福島安正中佐⑤ …

no image
速報(149)『日本のメルトダウン』★<小出裕章情報>『 スリーマイル島のような融けた燃料の回収作業は絶対できない 』

速報(149)『日本のメルトダウン』 ★<小出裕章情報> 『 スリーマ …

no image
日本リーダーパワー史⑬ 100年前、地球環境破壊と戦った公害反対の先駆者・田中正造

日本リーダーパワー史⑬ 100年前、地球環境破壊と戦った公害反対の先駆者・田中正 …

日本リーダーパワー史(676) 『日本国憲法公布70年』『吉田茂と憲法誕生秘話 ➁『東西冷戦の産物として1ヵ月で作成された現憲法』『マッカーサーは2/3日に憲法草案作成を命令、2/13日、日本側にGHQ案を提示、3/4日朝 から30時間かけての日米翻訳会議で日本語の憲法案が完成、3/6日の臨時閣議で最終草案要綱は了承,発表された。

日本リーダーパワー史(676)  『日本国憲法公布70年』 『吉田茂と憲法誕生秘 …

no image
速報(246)『中国の富裕層こそ狙えー上海在住経済記者松山徳之氏のアドバイス③』『白川方明・日本銀行総裁の記者会見』

速報(246)『日本のメルトダウン』   『中国の富裕層こそ狙えー上海 …

『Z世代のための帝王学の研究①』★『天皇皇后両陛下はチャールズ英国王の招待を受けて、6月22日から8日間,イギリスを公式訪問される。」★『歴代天皇で最初に外国訪問をされたのは昭和天皇が皇太子(19歳)時代の1921年(大正10)3月から、約半年間にわたってヨーロッパを視察された』

天皇皇后両陛下はチャールズ英国王の招待を受けて国際親善のため、6月22日から8日 …

no image
世界/日本リーダーパワー史(953)ー『米中間選挙後も、トランプの「孤立主義」「単独行動主義」の暴走は収まりそうにない』★『安倍首相はサミットメンバーではメルケルに次ぐ最古参で、TPP、EUとの経済連携協定(EPA)など自由貿易を守る旗手として今こそ、安倍首相のその真価が問われている』

世界リーダーパワー史(953)   米中間選挙(11/6)は事前の予想 …

no image
『鎌倉釣りバカ人生30年/回想動画録』⑳★『『コロナパニックなど吹き飛ばせ』★『10年前の鎌倉沖は豊饒の海だった』★『海楽人の天然・自給自足生活をしよう!>『シーラが海上を大乱舞、イナダ、ソーダガツオと カヤック・フィッシングは大漁じゃ』

    2011年8月10日/『『百歳学入門(19 …