日本リーダーパワー史(263)名将・川上操六伝(38)野田首相は明治のトップリーダー・伊藤首相、川上参謀総長の指揮に学べ①
2015/02/21
日本リーダーパワー史(263)名将・川上操六伝(38)
<野田首相は明治のトップリーダー・伊藤博文首相、川上参謀総長の統帥、指揮に学べ①
ー国家戦略なき、愚かものの船を操縦する方法―
前坂 俊之(ジャーナリスト)
① 国家総合緊急対策本部(国家戦略本部、昔の大本営、参謀本部)を設置する
② 戦時下は特に、トップリーダーの1言系統(ワンボイス体制)にする
③ 野田首相は戦う、強い、見えるリーダーになれ
野田首相は消費税値上げ法案などをめぐって、またぞろ小沢一郎と近く話し合うとメディアが報じている。同じ民主党のメンバーながら、普段からコミュニケーションが全くないということである。政党とは本来、政治的な理念を共通した集団なのに、単に多数派になるための寄せ集め、数合わせだけの政党なのである。民主党が政治綱領も、内部交流もない、血の通った組織ではないことは最初から指摘されていたが、またまたその政治理念のない政治家、選挙上手なだけの『小沢一郎政治屋』に振り回されつぱなしの『永田村田舎芝居』が再再演されている。
平和時の愚かな政治家のパフォーマンスは芸能エンタメレベルで『お笑い永田漫才』ですまされるが、国難、危機でのリーダーの愚行、不決断、国家戦略の不在は国家的な悲劇につながり、多数の国民の犠牲者をともなう。
70年前に経験した「日本の悲劇」アジア・太平洋戦争の結果が国民の生命、財産、国土、自然の膨大な喪失をともなったように、3・11事故の収束,廃炉までに50年以上もかかるのに、1年で事故収束を宣言し、4号機の燃料プールはたなざらしのままで、この国家危機阻止対策(これこそ国家安全戦略の第1)もたてずに再稼働炉と、燃料不足の大合唱をしている政府、経産省、財界は太平洋戦争前に米国からガソリンの全面禁輸と同時に「中国大陸からの陸軍の全面撤退」をつきつけられ、「もしそうすれば陸軍が反対して、クーデターがおきるのでできない」と拒否して、勝てる見込みのない対米戦争に突き進んだ歴史経緯を振り返る必要がある。
この時、米内光政が「たとえクーデター、内乱となっても、日本が敗戦するよりはましではないか」と日米戦争絶対反対を叫んだと言われる。これに対して昭和天皇、東條政府の判断は「ガソリンの貯蓄のあるうちになるべく早く戦争を開始して、勝機をつかむ」作戦をとり、「清水寺から飛び降りる」気持ちで対米戦突っ込んだのである。
この時も、ガソリン燃料不足(全面的にアメリカからの輸入)が戦争の原因であり、今回も原発エネルギー(電力量の3割、全部が米国製の原子炉)である。もし、これが全面ストップした場合に日本経済は大打撃を受けて、日本経済は壊滅するのか。かつての陸軍の主張(日露戦争で10万人の兵士の血と財産をつぎ込んで得た満州権益、日中戦争後の大陸に派遣した100万の大軍を撤兵することは日本陸軍の死を意味して全体反対)と対比させて考えなければならない。
ここでは『じり貧から、どか貧にならぬようにすべきだ』(米内光政)との海軍の主張通り、賢明なトップリーダーならば体を張っても陸軍は撤退させただろうし、陸軍名将ならば全軍に引けと命じたであろう。
明治のトップリーダーと違って、昭和の愚相、凡相たちは近衛文麿を例に出すまでも、不決断、勇気がない。リーダーは国益よりも派閥、党利党略、私益を優先して大義がない。勝ち方よりも負け方を知らない。交渉術をしらない。小沢、鳩山、民主党の面々、自民党もおなじだが、政治家にもリーダーにも真のステイツメン{国士}がいないし、「老害/小沢」をどやし上げて真の政治家にする肝(きも)の政治家がいないのが現在の日本の悲劇である。
かつて日露戦争の前に山本権兵衛は海軍内での先輩、同輩の役立たず、老害を70人以上、一斉に首(予備役)に編入し、連合艦隊司令長官にクビになる寸前の舞鶴司令長官の東郷平八郎を大抜擢した。全身これ肝(きも)と評されたほど、山本は度胸と鉄のリーダーシップをもった希有の男である。山本がいたからこそ日本はアジアの新興小国からロシアと5分に戦って、先進国野仲間入りを果たすことができたのである。もう1つ、山本の凄いところは日露戦争を開戦するのか、どうか、最後の最後まで一切を口外しなかったことである。あれだけ口八丁、手八丁で自説を滔々と述べる日本ではめづらしい抜群のスピーチ力のある、雄弁な山本が準備万端整えてきた戦機については厳重な箝口令をひき、自ら口外することも、態度に微塵もにおわせることもなかった、といわれる。
リーダーは言葉に責任をもたねばならない。口軽なリーダーは最低であり、リーダー失格である。鳩山前首相の口軽人間や民主党の内紛、対立、自民党の面々をみても、テレビ、メディアの前でぺらぺら軽薄にしゃべりすぎるインテリジェンスのない政治家、口舌の徒がいかに多いことか。現在の「政治bの混迷」「液状化」の原因となっている政府、省庁、民主党内の組織内の不統一、指揮、命令系統の分裂、コミュニケーションの不足、バラバラという点では、これも太平洋戦争での指導組織の弊害とまるで同じである。
かつて日露戦争の前に山本権兵衛は海軍内での先輩、同輩の役立たず、老害を70人以上、一斉に首(予備役)に編入し、連合艦隊司令長官にクビになる寸前の舞鶴司令長官の東郷平八郎を大抜擢した。全身これ肝(きも)と評されたほど、山本は度胸と鉄のリーダーシップをもった希有の男である。山本がいたからこそ日本はアジアの新興小国からロシアと5分に戦って、先進国野仲間入りを果たすことができたのである。もう1つ、山本の凄いところは日露戦争を開戦するのか、どうか、最後の最後まで一切を口外しなかったことである。あれだけ口八丁、手八丁で自説を滔々と述べる日本ではめづらしい抜群のスピーチ力のある、雄弁な山本が準備万端整えてきた戦機については厳重な箝口令をひき、自ら口外することも、態度に微塵もにおわせることもなかった、といわれる。
リーダーは言葉に責任をもたねばならない。口軽なリーダーは最低であり、リーダー失格である。鳩山前首相の口軽人間や民主党の内紛、対立、自民党の面々をみても、テレビ、メディアの前でぺらぺら軽薄にしゃべりすぎるインテリジェンスのない政治家、口舌の徒がいかに多いことか。現在の「政治bの混迷」「液状化」の原因となっている政府、省庁、民主党内の組織内の不統一、指揮、命令系統の分裂、コミュニケーションの不足、バラバラという点では、これも太平洋戦争での指導組織の弊害とまるで同じである。
昭和の戦争と比較すると、満州事変、日中戦争、太平洋戦争とも陸海軍は2本立てで参謀本部、軍令部となって別々の指揮チャンネルで、大本営も昭和には大本営政府連絡会議、小磯内閣では「最高戦争指導会議」という名になったが、陸海軍は意見が常に対立、互いに情報を秘匿して知らせない、互いに競争して協力一致せず、敗因の大きな原因となった。それに統帥権をタテに文官を排除し、外交機関の情報や意見も無視するシビリアンコントロール不在(もちろん戦前の体制ではこれはムリだが)、天皇の統帥権を無視する現地部隊の独走、暴走が繰り返された。いわゆる、戦国時代と同じ下剋上、無統制の時代に入る。
昭和初期の満州某重大事件(張作霖爆殺事件)では昭和天皇、西園寺公望から事件の徹底解明と責任者(河本大作大佐)を軍法会議にかけよ、という指示を無視、田中義一首相が関東軍の暴走を抑えられなかった)満州事変(関東軍の石原莞爾大佐が河本を見習って、再び事件を起した)、林銑十郎朝鮮軍司令官の国境越境事件など枚挙にいとまない。
ところが、日清戦争での大本営は伊藤博文首相、陸奥宗光外相らも加わったシビリアン・コントロールがきちんと機能していたことを忘れてはならない。
日清戦争(明治27、8年)は日本の陸海軍がはじめて戦った対外戦争
陸軍ではトップリーダー・山県有朋(大将)が最前線にコマをすすめ、第一軍司令官を指揮して清国国境、鴨緑江に布陣する清国陸軍主力部隊を攻撃して破った。第2軍は大山巌大将指揮の下に遼東半島の東岸に上陸して旅順に向い、わずか一日で旅順要塞を落城させるという破竹の攻撃で連戦、連勝し日本軍の一方的な勝利に終った。
陸軍ではトップリーダー・山県有朋(大将)が最前線にコマをすすめ、第一軍司令官を指揮して清国国境、鴨緑江に布陣する清国陸軍主力部隊を攻撃して破った。第2軍は大山巌大将指揮の下に遼東半島の東岸に上陸して旅順に向い、わずか一日で旅順要塞を落城させるという破竹の攻撃で連戦、連勝し日本軍の一方的な勝利に終った。
この時、大元帥・明治天皇も広島に大本営(戦時における天皇直属の最高統帥機関)を設置し、実際に陸海軍を1本化して総指揮をとったのが川上操六中将(当時45歳)=陸軍参謀次長である。戦争指揮がうまくいったのである。
日清戦争を含む明治三六年(日露戦争前)までは統合幕僚長一人の輔弼(ほひつ)のワンボイス体制である)
以下は『大本営』稲葉正夫編(1967年、みすず書房)の解説部分によると、日本の国家戦略、国防方針の策定は陸軍参謀本部によって行われていた。その参謀本部は明治十一年に創設された。その後、海軍が漸次拡張されていき、十九年春、参謀本部内に海軍部を、二十一年五月には帝国全軍の参謀長たる参軍の下に陸軍参謀本部、海軍参謀本部をおいた。ところが、海軍参謀本部を翌二十二年には海軍省に移して単に参謀部と称した。
同年三月陸軍は、参軍を廃し、参謀本部、その長を参謀総長と改めたが、任務は以前と同じで特に「帝国全軍の参謀総長」として戦時大本営の参謀長であることを明示した。
明治27年になって日清戦争が差し迫ってくると、二十六年一月、海軍は新に海軍参謀本部を創設する条例案を内閣に提出した。
内閣は明治天皇に判断を仰いだが、「陸海軍に同じ参謀総長が2人並列している戦時に臨んで支障はないのか」と疑念を呈して有栖川宮熾仁参謀総長に御下問し意見書をだした。
『大元帥統率の帝国陸海軍の幕僚長は一人の方がよく、二人を以て参謀長とするような制度はいけないと説き、参謀長は従来規定せられているように唯一の参謀総長をもってしなければならぬ』
『両軍の組織を均一にしても、すぐに平等に対時させて、必ず同一方針にすることは困難である。必ずその一を主幹とし、他を輔弼(ほひつ)させてこそ始めて完全に動作できる。しかしこの主幹、輔弼関係は平時から確定しておく必要があると論じ、今日においては、その主幹は陸軍であり、海軍はこれが輔弼たるべきことは三尺の童子(子供)といえどもまた疑いを容れない』
と海軍にこの案を撤回させて、次のように命じた。
『戦時に大本営参謀長の候補者二人がいる形で戦時に臨むと、指揮、命令について意見対立、齟齬の生まれる恐れがある。このため別に戦時大本営条例を創定して、その参謀長は陸軍参謀総長なる旨を規定しなければならない」と賢明なる指示して、五月十九日に戦時大本営条例を制定した。
この大本営編制と動員計画書とは同時のあわただしい上奏となったが、わずかか一時間のおくれで無事裁可となり、即日、大本営設置、第五師団に動員下命とはなった。
大本営は、当初参謀本部に設置したが、日清戦争の宣戦布告した7月31日にには宮中に移し、さらに九月十三日東京を発して広島に到着、第五師団司令部に「広島大本営」を進めた。それから8ケ月の間、明治天皇はこの広島大本営で統帥、川上が実質上の全軍指揮を執った。重要事項は御前会議をもって決定されたのである。
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