日本の「フィランソロピ―」の先駆者だった『新聞界の巨人』毎日新聞の中興の祖・本山彦一
経済週刊誌『エコノミスト』を創った新聞界の巨人
<日本の「フィランソロピ―」の先駆者だった
毎日新聞の中興の祖・本山彦一>
前坂 俊之 (まえさかとしゆき 静岡県立大学国際関係学部教授)
大正一二年(一九二三)四月一日に『エコノミスト』は創刊された。当初は週刊ではなく、旬刊であった。
『サンデー毎日』はほぼ同時にスタートした『週刊朝日』と並んで、日本で
初めての本格的なビジュアル週刊誌であり、『英文毎日』は国際社会にわが国の情報を発信しようという日本人の手になる初めての英字新聞であった。
『点字毎日』は視覚障害者向けの世界でも例のない新聞であり、いずれもその分野で初めてのもので、本山彦一の卓越したジャーナリスト精神とその先駆性が示されていた。
本山彦一は新聞経営を近代化し、明治末期から昭和初期にかけて『毎日新聞』を全国紙に発展させた新聞界のリーダーであった。
福沢諭吉の門下生で、『時事新報』編集長をやったり、大阪の藤田組総支配人として岡山の児島湾干拓事業を完成させた後、明治二二年に請われて経営危機にあった「大阪毎日新聞」を立て直すため相談役として入った。
当時の新聞界は政論新聞が幅をきかし、いまだ新聞が政党の機関紙的な存在だった時代に、独立自営、不偏不党を掲げて、新聞の企業化をめざした。特に、新聞経営に初めて予算制度を導入して近代化をはかり、「大毎」が大きく発展していく基礎を確立した。
「新聞は商品なり」という本山のスローガンが、誤って悪しきジャーナリズムの商業主義のように伝えられた時もあったが、あくまで不偏不党に則って、企業として経営基盤の確立なくしては自由な言論も成り立たないという意味であった。
明治三六年に本山は「大毎」の社長に五〇歳で就任した。翌年、日露戦争が勃発するが、本山は外信を強化して特派員を欧米に派遣して国際ニュースにカを入れ、日露戦争の報道では他紙を大きくリードした。国民の新聞購読は大きくのびて、『大毎』の部数も年々うなぎ登りに増えていった。
本山は広告にも力を入れ、写真広告、記事広告などを初めて設けて、広告収入を増やし経営を安定化させ、明治四四年には『東京日日新聞』を買収して、念願の東京進出を果たした。
大正一一年には大毎をそれまでの合資会社から資本金一二〇万円の株式会機を購入して、大阪に新社屋をつくる。
大正一三年には『大毎』は一〇〇万部を突破、東日も七〇万に増え、その後も部数は増え続けて、名実ともに日本を代表する新聞に発展していった。
昭和二年に本山の多年の功労に報いるため社から五〇万円が功労金として贈られた。今にして一〇億円にもなるという大金だが、本山はその金を私くしせず、条件をつけて「農村、農業が国の背骨である」との考えから、農業を盛んにするための研究機関として富民協会を設立し、考古学の発掘、収集に残り半分を充てるということで受け取った。財団法人「富民協会」はこうして設立された。
社会事業についてもいち早く明治四四年に「大阪毎日新聞慈善団」を設立して、大阪で貧しい人たちへ診察自動車を利用して巡回病院を始めたり、西日本各地に病院船を派遣して活動を行った。
いわば、本山は傑出した新聞経営者であると同時にフィランスロピーの先駆者といえる存在であった。
『エコノミスト』1998年3月24日掲載
関連記事
-
-
『Z世代のための百歳学入門(187)』★『「長崎の平和祈念像」を創った彫刻家・北村西望(102歳)の創造の秘訣』★『日々継続、毎日毎日積み重ね,創造し続けていくと、カタツムリの目に見えないゆっくりした動きでも、1年、2年、10年、50年で膨大なものができていくのだ。』
2019/10/29 『リーダーシップの日本 …
-
-
鎌倉カヤック釣りバカ日記』回想録『人生とは重荷を負うて、遠き道を行くが如し』=「半筆半漁」「晴釣雨読」の「鉄オモリ」のカヌーフィッシング暮らし』★『15年後の今、海水温の1,5度上昇で、磯焼けし藻場も海藻もほぼ全滅、魚は移住してしまったよ!』
2025/02/05 2011/07/07記事再編集 …
-
-
日本リーダーパワー史(718)★『現代の宮本武蔵・天才イチローの鍛錬/修行』「鍛錬を続けよ<鍛とは千日(3年)、錬とは一万日(30年)の毎日の稽古/修行なり>(五輪書)『一万日(30年)の毎日の稽古/修行なり>(五輪書) 。「常に人に笑われてきた悔しい歴史が、僕の中にはある。 これからもそれをクリアしていきたい」。
日本リーダーパワー史(718) 『現代の宮本武蔵・天才イチローの鍛錬/修行 …
-
-
★『世界一人気の世界文化遺産『マチュピチュ』旅行記(2015 /10/10-18>「インカ帝国神秘の魔宮『マチュピチュ』の全記録、一挙公開!」水野国男(カメラマン)④
2015/11/01   …
-
-
日本リーダーパワー史(386)児玉源太郎伝(8)川上、田村、児玉と歴代参謀総長はそろって日本救国のために殉職した。
日本リーダーパワー史(386) 児玉源太郎伝(8) ① & …
-
-
世界が尊敬した日本人(56)松旭斎天勝―世界公演で大成功した「魔術の女王」として、「ジャポニズム」 を巻き起こした。
世界が尊敬した日本人(56) 松旭斎天勝―世界公演で大成功した「魔 …
-
-
『オンライン講座/ウクライナ戦争と日露戦争の共通性の研究 ⑧』★『日露戦争勝利と「ポーツマス講和会議」の外交決戦①』★『その国の外交インテリジェンスが試される講和談判』
前坂 俊之(ジャーナリスト) 日露戦争は日本軍の連戦連勝のほぼ完勝 …
-
-
日本リーダーパワー史(680) 『日本国憲法公布70年』 『吉田首相のリーダーシップと憲法論と神学論争』吉田が偉大なリアリストであり国際政治経済への「先見の明」があったことは確かだ
日本リーダーパワー史(680) 『日本国憲法公布70年』 『吉田首相のリーダーシ …
-
-
『オンライン講座/日本興亡史の研究④』★『日本史最大の国難・日露戦争で自ら地位を2階級(大臣→ 参謀次長)降下して、 陸軍を全指揮した最強トップ リーダー・児玉源太郎がいなければ、日露戦争の勝利はなかったのだ。 ーいまの政治家にその叡智・胆識・決断力・国難突破力の持ち主がいるのか?』★『予(児玉)は、全責任を自己一身に負担し、この責任を内閣にも、又参謀総長にも分たず、一身を国家に捧げる決心を以て熟慮考究の上、一策を按じ、着々これが実行を試みつつある』
2017/05/22 日本リーダーパワー史( …
-
-
『Z世代のための歴史クイズ?『世界的歴史学者アーノルド・トインビーが「織田信長、豊臣秀吉、徳川家康をしのぐ」と評価した日本史最大の偉人とは一体誰でしょうか①??」
『「電力の鬼」松永安左エ門(95歳)は70歳から再出発、昭和敗戦(1945年)の …
