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名リーダーの名言・金言・格言・苦言・千言集⑥『熟慮、祈念、放下、断行』(伊庭貞剛)●『逆境にいて楽観せよ』(出光佐三)ほか11本

      2015/01/01

<名リーダーの名言・金言・格言・苦言
・千言集⑥>       前坂 俊之選
 
 
●『競争はフェアで質の競争であれ』
 
  岩崎 小弥太(三菱財閥発展の祖)          
 
 大正九年(一九二〇)五月、当時三菱商事会長の岩崎小弥太は、支店長会議で訓示した。ちょうど、
第一次世界大戦の恐慌期に当たり、三月には株価が大暴落、四月には大阪の
銀行が破綻したため、株価が再び大暴落し、全国の株式取引所は立会いを休止してしまっ
た。三菱商事もこうした影響で無配が続いており、非常事態の中の会議であった。
 
 岩崎は―
 
 「企業活動に競争はつきものだが、競争はあくまで、フェアでなければならない。と同
時に、それは量の競争ではなく、質の競争でなければならない。競争に熱中し、数字上の
成績を上げることに急のあまり、手段を選ばないというのは危険である」
 
 「我々は、常に正義をもって行動しなくてはならぬ。もし、不正をもって、争うならば
こちらは正義をもって闘うべきである」と述べた。小弥太は企業が一番苦しいときでも、
モラルと社会的正義の基本理念を高く掲げたのである。
 
 
●『熟慮、祈念、放下、断行』
 
  伊庭 貞剛(住友財閥中興の祖)
 
 伊庭は「熟慮断行」だけでは足りぬ。「熟慮」と「断行」の間に「祈念」と「放下」の
二つをインサートしなければならぬ、とよく言っていた。
 彼は熟慮したあと、断行せんとするものは、必ず実相寺にあった住友家の墓前に、額づ
いて奉告し、祖先の霊に断行の可否を懇祈された。
 
 そのあと、すべての思量を絶ち、一切を放下して、念頭からすべてが去るのを待った。
このあと、明鏡止水になった時、もう一度事の当否を検討し、その結果、いよいよこれが
最善の案であるという確信が動かざるに及んで、初めて敢然とこれを実行した、という。
 
 伊庭は大事はこの「熟慮、祈念、放下、断行」の順序で決行すべきだ、と唱いていた。
 世の多くが「熟慮」=理論、「断行」=実戦のみですましているが、この間に祈念、放
下という大事なものが、欠けているために、しばしば、間違った決断を下すことになるの
だ―と。
 
 
 
 ◎『名選手は“ファインプレー”が少ない』
 
  上山 保彦(住友生命社長)
 
 名監督は総じてセオリーを大切にしますが、選手も同じです。たとえば、名選手と呼ば
れている人たちは、むやみやたらにファインプレーをしないものです。理由は基本がしっ
かりしているから、その必要性がないのです。
 
 これとは反対に、基本のできていない人ほど得てしてファインプレーが目につく。しか
し、それは簡単にできるプレーをあえて際どくしているだけで、実はその選手のファイン
プレーはエラーと紙一重の状態にあるだけです。
 
 広島カープの衣笠祥雄選手は「難しく見える取り方は本当のファインプレーではない。
自分は守備で平凡に処理できたときが最高に嬉しい」と言っています。
 
 本当に実力のある人は立派な業績をあげても大騒ぎしないものです。業績があがるのは
あがるだけの日頃の準備や蓄積、縁の下の力持ちのような努力があったからで、それだけ
に自分だけが華々しく陽があたってはよくないと考える。

実力のある人の謙虚さは、日頃からの訓練を繰り返して、自然と身に付いてくるものです。

 
 
●『企業はブームに乗るのではなく、
ブームを起こしていくもの』
 
  石橋 信夫(大和ハウス会長)
 
 ブームには二種類ある。一つは必要に応じたブーム。もう一つは必要性はないが、カッ
コいいから、というファッショナブルなもの。たとえば、スカートの丈が長くなったり、
短くなったり、またはウォークマンのようなもの。これは長続きがしない。
 
 一方、前者は必要に応じたもので長続きする。たとえば、我々が作った歩道橋や、プレ
ハブハウスなどだ。
 
 歩道橋は昭和三十七年(一九六二)、「子供たちを何とか安全に横断歩道を渡らせる方
法はないか」と考えて、大和ハウスが開発し、全国に拡がった。
 
 石橋は「ブームを起こす企業を目指せ」と言う。「何か起きたら、それに乗ってやろう、
というでは消極的すぎる。自らブームを作り上げて乗る。乗って乗せて、それを連続的に
繰り返すことが、企業を発展させるコツである」と。
 
 
●『倒産のときはすっ裸になれ』
 
嶋田 卓彌(蛇の目ミシン工業社長)
 
 第一次大戦の翌年の大正九年(一九二〇)に経済恐慌が起き、丸紅、伊藤忠も倒産、整
理となった。伊藤忠の先代社長、伊藤忠兵衛は法律上は責任がないのに、個人資産まで全
部提供して、すっ裸になり「よろしくお願いします」と頭を下げた。
 
倒産の後始末が驚くほど見事であった。これに感激した債権者の五大紡績は、「伊藤忠はりっぱだ。
援助してあげよう」と応援し、すぐ立ち直ってしまった。この時の伊藤忠兵衛の態度に嶋田も感激し、
倒産の相談を受けると「誰もが、自分の財産を隠そうとするけれども、すっ裸になりなさい。
その方が立ち直りが早い」といつも忠告した
 
 厨房メーカーのSが倒産したとき、友人のKも、一億円の焦げつきのため連鎖倒産し、
嶋田に借金の申込みをしてきた。「溺れる者を救けるには、一度沈ませて、静かになった
ときに救ける。もがいているときは危険」という教えから、嶋田は金を貸さず、倒産の仕
方や対策だけを教えるのにとどめた。Kはすぐ立ち直った。
 
 
 ★☆★『ヒラメキは執念から生まれる』
 
  安藤 百福(日清食品創業者)
             
 戦後の食品革命の一つは「インスタントラーメン」であろう。そのインスタント
食品革命を起こしたのが日清食品のチキンラーメンであった。
 昭和三十三年、安藤は四十八歳で破産の身から全く畑違いのラーメンに取り組んだ。
 
自宅裏庭に小屋を作り、大ナベ一つで、インスタントラーメン作りに熱中した。
 ニワトリのスープを取ったあと、油を入れてメンを揚げる。苦心したのはメンを
油で揚げる前の水の含み具合。水分が多いと多孔質となり、水分が少ないと小さくなる。
 
 毎日粉まみれ、油まみれになって失敗品ばかりの山を築いた。一日の休みもなく、
睡眠時間も一日三、四時間で一年がかりで、何とか誕生にこぎつけた。
 安藤はこう回想する。「明確な目標を定めたあとは、執念だ。ヒラメキも執念
から生まれる。その気になれば、一日で一カ月分の仕事ができる」と。
 
 
●『販売のノウハウは一度、実際に使ってもらうこと』
 
  大塚 正士(大塚グループ創業者)       
 
 大塚製薬が発売した「オロナイン軟膏」がメンソレータムとペニシリンを追い抜き、ト
ップの座を奪ったのは大塚の猛烈なセールス商法であった。
 大塚商法とは、テレビによる大量宣伝とサンプルの無料配付などによって「とにかく一
度使ってもらうこと」であった。
 
 昭和二十八年(一九五三)から「オロナイン軟膏」を販売したが、大塚は陣頭指揮で全
国各地を回り、半年間で鹿児島から青森までの全県をセールスという猛烈ぶりであった。
徳島の本社には月に三、四日顔を出す以外は徹底して薬局、問屋、大学を回り、売り込み
続けた。
 
 大塚商法の哲学を実践するため、昭和三十年(一九五五)には全国の小学校に無料で「
オロナイン軟膏」の現物を無料配付した。一度、オロナインを使った人たちは二度、三度
そして常備品として置く。一度使ってもらえばシメたもの。販売の五割は達成したことに
なるからだ。
 
 
●『お金があると商売は儲からない、ない方が儲かる』
 
  松下 幸之助(松下グループ創業者)
 
 大和ハウス創業者・石橋信夫は昭和三十九年(一九六四)三月に、半期で売上げ百八億
円になった時、喜んで松下に報告すると「石橋さん、お金が出来たら商売は儲かりません
よ。お金がない方が儲かるものですよ」と言われ、石橋は逆ではないかと驚いた。普通「
金が金を呼ぶ」と言われるように、石橋はこの言葉の意味が解せなかった。
 
 そして、思い当たった。急成長した大和ハウスは東京に進出するため、昭和三十三年に
石橋が一千万円を手に用地買収に各地を回った。神奈川県厚木、八王子も高くて目標の二
万坪は買えず結局、相模原に買ったが、軍隊での元部下がいた会社の不動産で見事にうま
くいった。石橋は「松下さんは大きくなって、逆に小回りや必死のところがなくなって、
せっかく儲けられるところを逃がしていないか、自戒した言葉」とこの言葉を解釈した。
 
 
●『逆境にいて楽観せよ』
 
出光 佐三(出光興産社長)
 
 不景気大いに結構。人間ちゅうものは、苦労しなけりゃあだめ。苦労するほど、人間り
っぱになるんです。ぼくなんか、努めて苦労してきたので、何が起ったってビクともしや
せん。
 
 世の中の中心は人間ですよ。金や物じゃない。その人間というものはね、苦労して鍛え
られてはじめて人間になるんです。苦労しなけりゃ、人間の呼吸はわからんということで
すよ。大きく行き詰まれば、大きく道が開けるということです。
 
 金や物や組織に、引きずられてちゃいかん。そういう奴を、ぼくは金の奴隷、物の奴隷
、組織の奴隷というて攻撃している。
 
 「逆境にいて楽観せよ」という言葉が、ぼくは好きなんだ。悪いときにヘトヘトになる
な、これを突き抜ければ、あとはいいぞということですわね。小さい水溜まりにでも風が
吹けば波が立つんですよ。波のない世の中なんてありえますか。
 
 
 
●『いかなる場合にも、ひたいに汗して働く者の側に』
 
  宮島 清次郎(日清紡社長、日本工業倶楽部理事長)
 
 宮島の後継者、桜田武は日清紡績「社報」(昭和三十八年十月)の中で、こう追悼して
いる。
 宮島さんは、いかなる場合でも“ひたいに汗して働く”者の側にあった。○○をたしな
め、名利を嫌われ、念願とするところは、日本国家の安泰であった。かたくなまでに、自
分の生活でこれを実践された。勲章も拝辞するというので、遺言に背いていただいた。「
会社のために働いて死んだ連中に、俺だけ勲章をもらってあの世で会えるか」―宮島さん
のこれが気持ちであった。
 
 宮島さんの胸像だけでも造らせてほしい、という従業員や社員の願いも許さなかった。
 
 「俺一人で、今日の会社を築いたような大きな顔ができるかい。汗水たらして働いた連
中が何万といるんだ」と。一貫した信念を持ち、一市民の寡欲とてんたんで情誼に厚く、
誠実に生き抜いた生涯であった。
 
 
  ◎◎『敬 天 愛 人』
 
  安藤 楢六(小田急グループ創業者)
 
 小田急電鉄をはじめ、百貨店、不動産、観光など“小田急王国”の総帥・安藤は西郷隆
盛を尊敬し、彼の“敬天愛人”を人生哲学・経営哲学にしていた。安藤は言う。
 
 「私がまがりなりにも、社長をつとめえたのは、西郷さんの精神の神髄を受入れ、それ
をことあるごとに心掛け、実行してきたからではあるまいか。『人を愛する』ということ
は、事業家の立場からすれば、『人のためにする』ことであり、鉄道なら無事故でいいサ
ービス、百貨店ならいい商品を、安く提供することであり、利潤があがる以前に『人のた
めになる』ことをするのでなければならない」と。
 
 西郷にはもう一つ「命もいらぬ、名もいらぬ、金もいらぬ人はしまつに困る人なり。こ
のしまつに困る人ならでは天下の大事なしがたし」というのがある。大きな仕事をするに
は、己れの無なしゆして、世のため、人のためを先行し、そうすることによって、たくさ
さんの人の加勢が得られる。
 

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