前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

日本リーダーパワー史(399)ビデオ歴史政治座談会<安倍自民党政治へ提言>安倍外交は武田信玄の軍略を学べ

   

   日本リーダーパワー史(399

 

ビデオ歴史政治座談会<安倍自民党政治への提言>

①安倍政権の外交は武田信玄の軍略「引き分けこそ最上」を学べ

②武田信玄の「甲陽軍艦」では 「戦いは五分の勝ちをもって上となし、七分を中とし、十を下とす」(戦い、勝敗は、引き分け、五割くらい勝つのが一番良い。相手も勝ったと思い面子を保たせる、七割勝つとおごりを生じ、相手は敗北感から復讐に燃える。十割勝つと驕りたかぶりって、油断して次の大敗北の原因となる」

③日清戦争、日露戦争の大勝、アジア太平洋戦争の大敗北は武田信玄の名言の通り。

 

前坂 俊之(ジャーナリスト)

「幻の第一回東京オリンピックの開催と返上―斎藤実首相、李承晩、マッカーサー
のオリンピック平和外交に学ぶ

814日午後、「東京オリンピック秘話ー9/8日に3度目の東京開催決定はあるか?­1940年の幻の第一回東京開催、オリンピックと日本外交」について政治経済評論家・­梶原英之と前坂­俊之(静岡県立大学国際関係学部名誉教授)との間で対談を­行った。

この第2部で、「アジア大会は昭和の戦前からはじまった」「昭和戦後の占領下の日本は­国際社会では存在していなかった、貿易もできなかったこと」「竹島問題の李承晩ライン­はどうひかれたのか」「斎藤実朝鮮総督へのテロと李承晩」「斎藤実と226事件」「­マッカーサーとオリンピック」「昭和39年に奇跡的な経済復興によって東京オリンピッ­クを開催した日本の爆発的なエネルギーの分析があまりない」「斎藤実の再評価が必要」­など、昭和史の秘話にふれる。

梶原英之『オリンピック返上と満州事変』(海鳴社、2009年)の目次は「昭和十五年­九月東京でオリンピック開催/嘉納治五郎は国際派だった/あと十年でオリンピッ­クを呼ぶ/昭和動乱に巻き込まれた/連盟脱退が火をつけた/昭和天皇の「詔書」が動か­す/広田外交のなかの東京オリンピック/"人民の時代"が来た/IOC委員に副島が就­任/ムッソリーニが降りた/杉村がIOC委員を辞任/副島、ロンドン辞退を画策する/­東京に決まった/ついに返上」
そのポイントは「満州事変、満州国建国、さらに2・26事件と、動乱の昭和にあって、­なんとか「日中対立、戦争を避けようという」国内、世界からの平和を模索する動きがあ­り、1940(昭和15年、紀元2600年)の東京オリンピック招致の成功があった。



­国際連盟脱退という国際社会からの孤立を挽回しようとする意図と皇紀二千六百年の祝賀­行事の意味があった。天皇の「詔書」と東京市の思惑の中、嘉納治五郎・杉村陽太郎・副­島道正や広田弘毅といった人々の熱意によって東京招致に成功した。1936(昭和11­)年のオリンピックはナチスドイツによる「ベルリンオリンピック」であり、この開催前­日に、次期開催都市に東京が決定したのである。「歴史の証言者としてのjジャーナリス­ト、新聞記者の役割」にも触れた。
それが、2年後の昭和13年、日中戦争の勃発(127月)、南京陥落、とそのその後­
の戦火の拡大の中で、結局返上することになるが、この間の対中外交、国際外交での協調­、対立、奮闘と挫折の日本外交の裏面史を梶原氏がビビットに語る。
今日中関係が再び、緊張する中での98日の開催都市の決定が注目される。

●「東京オリンピック (1940)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B…)

梶原英之氏は元毎日新聞経済部記者で経産省、大蔵、日銀キャップ、週刊エコノミスト編­­集委員、出版企画室長、企画事業部長など歴任。現在、経済評論家で、著書に「鳩山家­­­何が受け継がれてきたのか」(祥伝社新書2009)『日本経済の診断書さ­よな­ら「デフレ不況論」』(PHP研究所 ( 2011)

前坂俊之は元毎日新聞記者、情報調査部副部長、静岡県立大学国際関係学部教授­、現在­は同名誉教授。ジャーナリスト、日本記者クラブ会員。


 - 人物研究 , , , , , , , , , ,

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

サッカーのワールドカップ(W杯)カタール大会の日本対ドイツ初戦が23日午後10時から始まる」★『戦略眼からみた世界サッカー戦国史』①ー『前回のW杯ロシア大会(2018)と日露戦争(1904)の戦略を比較する。西野監督は名将か、凡将か➀-8回連載を再録する』

       2020/03/ …

『オンライン現代史講座/2・26事件とは何だったのか』②ー『日本最大のクーデター2・26事件(1936年/昭和11年)は東北大凶作(昭和6ー9年と連続、100万人が飢餓に苦しむ)が引き金となった』(谷川健一(民俗学者)

 昭和11年に起きた日本最大のクーデター2・26事件の原因には東北大凶 …

『地球環境破壊(SDGs)と戦った日本人講座』★『約110年前に足尾鉱毒事件(公害)と戦かった田中正造②』★「辛酸入佳境」、孤立無援の中で、キリスト教に入信 『谷中村滅亡史』(1907年)の最後の日まで戦った』

 2016/01/25    世界が尊敬 …

no image
『オンライン/米中日アジア現代ing講座』★『米国の香港国保法への対中制裁<経済金融為替封鎖・5Gファーウェイ締め出し>は戦争に発展するのか』★『2018/12/25 記事転載」歴史は繰り返すのか!『現在の世界情勢は1937年8月の「米欧情勢は複雑怪奇なり」(1939年=昭和14年)と類似』★『この1週間後にドイツ・ソ連のポーランドの侵攻により第2次世界大戦が勃発した★『日本は<バスに乗り遅れるな>とばかり日独伊三国同盟を締結、1941年12月、太平洋戦争に突入する』

    2018/12/25 &nbsp …

no image
『オンライン/米日豪印対中国の軍事衝突は日清戦争の二の舞となるのか』★『日中韓の誤解、対立はなぜ戦争までエスカレートしたか」ー中国・李鴻章の対日強硬戦略が日清戦争の原因に。簡単に勝てると思っていた日清戦争で完敗し、負けると「侵略」されたと歴史を偽造する」

『 日本リーダーパワー史(614)』記事再録/日本国難史にみる『戦略思 …

no image
日本リーダーパワー史(656)「大宰相・吉田茂の見た『明治』と『昭和前期』のトップリーダーの違い」日本は、昭和に入ってなぜ破滅の道を歩んだのか。 『栄光の明治』と、『坂の上から転落した昭和の悲惨』

  日本リーダーパワー史(656) 「大宰相・吉田茂の見た『明治』と『昭和前期』 …

no image
日中北朝鮮150年戦争史(17)『日清、日露戦争勝利の方程式を解いた男』川上操六陸軍参謀総長ー日清戦争前に『朝鮮半島に付け火せよ。そして火の手をあげよ。火の手があがれば我はこれを消してみせる』

    日中北朝鮮150年戦争史(17) 日清戦争の発端ー川上操六のイ …

『Z世代への昭和史・国難突破力講座㉔』『日本一の戦略的経営者・出光佐三(95歳)の独創力⑤』★『終戦の『玉音を拝してー➀愚痴を止めよ。愚痴は泣き声である②三千年の歴史を見直せ➂今から建設にかかれ』★『人間尊重の出光は終戦であわてて首切りなどしない。千人が乞食になるなら、私もなる。一人たりとも首を切らない」と宣言』

2021/12/27『オンライン/ベンチャービジネス講座』記事再録、再編集 国難 …

no image
百歳学入門(174 )-『生死一如』★『百歳天女からの心に響くメッセージ』―60,70/洟垂れ娘への応援歌」②『105歳小倉遊亀(おぐらゆうき)女流日本画家)『老いて輝く。60代までは修業、70代でデビュー、100歳現役』』●『105歳、最後の長岡瞽女(ごぜ)の②)『すべて神様、仏様のお導き、すべてを受け入れ許すことで自分も救われる』

 百歳学入門(174 )-『生死一如』★ 『百歳天女からの心に響くメッセージ』― …

no image
知的巨人の百歳学(152 )人気記事再録/<東京で歩いて百歳めざす健康長寿階段ナンバーワンはここじゃよ?ー百歳生涯現役実践入門ー地下鉄永田町駅です』★『鎌倉天然自遊人の朝食はー粗食が長寿元気の秘訣、ゼイタクは健康の敵』』

  ★「東京で歩いて百歳めざす健康長寿階段ナンバーワンはここじゃよ?ー …