1940年(昭和15)、津田左右吉著の『神代史の研究』『古事記及び日本書紀の研究』 など4著書を発禁処分にし、津田を出版法違反(安寧秩序紊乱) で起訴された『出版暗黒時代」②
2016/01/13
昭和戦前期に『言論の自由」「出版の自由」はあったのか→
答えは「NO!」ーー1940年(昭和15)、
津田左右吉著の『神代史の研究』『古事記及び日本書紀の研究』
など4著書を発禁処分にし、津田を出版法違反(安寧秩序紊乱)
で起訴した『出版暗黒時代」②
前坂俊之(ジャーナリスト)
今の若い人にはよく理解できないであろうが、
1940(昭和15)年は日本書紀で神武天皇が即位した年から数えて「皇紀(紀元)二千六百年」に当たるとして、全国的に大々的な祝賀行事が行われた。政府は「八紘一宇」や「皇国」「聖戦」を国策キーワードにして、建国の神話によって悠久の昔から万世一系の天皇をいただく神国日本の使命を強調し、国民の愛国心を盛り上げた。
その昭和15(1940)年2月10日、内務省は津田左右吉著の『神代史の研究』『古事記及び日本書紀の研究』『日本上代史研究』、『上代日本の社会及び思想』(いずれも岩波書店出版)の四著書を突然、出版法第十九条(『安寧秩序を妨害し、又は風俗を壊乱するものと認める文書、図書を出版したる時は、発売頒布などを禁じ得』)によって発売禁止処分にした。
さらに、三月八日には同法違反で津田左右吉と出版社側の岩波茂雄の2人が起訴された。津田は昭和15年1月に早大教授をやめ、著書も自発的に発売を停止していた。
この事件も京大事件、天皇機関説事件などと同じく、火をつけたのは狂信的右翼の蓑田胸喜であった。蓑田は何度も司法省に乗りこんで、津田の著書を「大逆思想、悪魔的虚無主義の無比凶悪思想家」」と批判した雑誌『原理日本』の水から書いた記事を示して、「これを放っておくのか」などとどなり立て、司法省をきびしく突き上げた。
蓑田は慶大予科の先生で、機関誌『原理日本』で皇国史観の論陣を張り、自由主義、アカ退治を続けていた。とくに、昭和13年には帝大粛正期成会を作って東京帝大法学部、経済部にマトを絞って攻撃を続けていた。
昭和14年10月から12月にかけて、南原繁教授の依頼で津田は、法学部で『支那の政治思想』という講義を行った。文部省が法学部に「国体明微講座」を設けることを強要したのに対して、南原らが設けた講座であった。自分が招かれることを期待していた蓑田はこれに腹を立てて、「津田教授が早稲田にいるならば問題にしなかったのが、東大法科の先生になったので許せなくなった」と攻撃の理由を一審の裁判官に伝えていた」(『海野晋吉伝』)といわれる。
検察側は古事記及び日本書紀は、神聖犯すべからざる聖典であり、たとえ学問的研究であろうと、これを批判するようなことを書けば、皇室の尊厳を冒漬することになるとして津田を起訴したのである。
起訴された四著書は津田が古事記、日本書紀の本文を学問的に厳密に研究したもので、帝紀や旧辞は六世紀ごろに作られ、記紀はそれからさらに、二百年以上も経った八世紀ごろに作られており、確かに歴史的には貴重な文献だが、後世の人が作った物語であり、歴史的事実とは認め難いという。
天照大神も日本武尊も神功皇后も、内容はあくまで物語、フィクションであって、真実性、実在性には疑問がある。天皇が天照大神という神様の後裔だということも単なる物語に過ぎないーといった内容。
東京地裁で5月21日に判決があり、津田は禁錮三ヵ月、岩波は禁錮二ヵ月、いずれも執行猶予二年の有罪判決が下った。検事側は5つの出版法違反の嫌疑で起訴したのに、判決では一つだけしか有罪を認めず、残りは無罪となったため、直ちに控訴し、津田側も控訴した。
有罪となった点は、それは神武天皇から第14代の仲哀天皇までの皇室の系譜は、史実の信頼性に欠けると記述したことが、「皇室の尊厳を冒涜するもの」と認定された。
しかし、天皇が現人神であるのは、天照大神という神様の後裔であり、『天照大神と御一体であり、天照大神の御聖位をそのままに御体現あらせられる』という神がかり的な検事の論告に対しては、
それを天皇が『巫祝の徒』であったことに由来していると津田は論じていたが、判決では「祭政一致の時代に、天皇が宗教上の支配者として、まじないなどをするのは当然のことで、皇室の尊厳を冒漬することには当たらない」など合理的な判断を示して、他の4点については無罪を下した。
控訴審はあっけなく終わった。出版法第33条で皇室の尊厳等を冒漬する著書を出版してから一年以上を経過している場合は時効にかかって罪は問えなかった。
控訴院では事件の担当裁判長は3人も変わっており、3代目が赴任した時はすでに、時効が成立していたのだ。この点を裁判所側は見落としており、昭和19年11日4日の公判で津田、岩波とも『時効完成により免訴』を言い渡した。
関連記事
-
-
『リーダーシップの日本近現代史』(170)記事再録/「プラゴミ問題、死滅する日本周辺海」(プラスチックスープの海化)ー世界のプラゴミ排出の37%は中国、2位のインドネシアなど東南アジア諸国から棄てられた海洋プラゴミは海流によって日本に漂着、日本の周辺海域は「ホットスポット(プラゴミの集積海域=魚の死滅する海)」に、世界平均27倍のマイクロプラスチックが漂っている』
「プラゴミ問題」(日本海はプラスチックスープの海) …
-
-
名リーダーの名言・金言・格言・苦言集(18)『“長”の字に惑わされるな』(松永安左衛門)『雑音を聞き分けよ』(松下幸之助)
<名リーダーの名言・金言・格言・苦言 ・千言集(18) 前 …
-
-
★5 日本リーダーパワー史(754)–『日本戦争外交史の研究』/『世界史の中の日露戦争を英国『タイムズ』米国「ニューヨーク・タイムズ」は どう報道したか」②(11-20回)★『 戦争とは外交の一手段。<恫喝、罵倒、脅迫、強圧のケンカ外交で相手は参ると思って、日本を侮ったロシアの油断大敵>対<日本の礼を尽くしてオモテナシ、臥薪嘗胆、無言・沈黙・治にいて乱を忘れず、天機至れば『一閃居合斬りも辞さぬ』とのサムライ外交との決戦が日露戦争で、両国の戦略論、パーセプションギャップ(認識ギャップ、思い違い)をよく示している。』
日本リーダーパワー史(754) 『世界史の中の『日露戦争』ー (英国『タイム …
-
-
『オンライン現代史講座・日清戦争の原因研究』★『延々と続く日中韓衝突のルーツを訪ねる』★「『英タイムズ』が報道する130年前の『日清戦争までの経過』③-『タイムズ』1894(明治27)年11月26日付『『日本と朝鮮』(日本は道理にかなった提案を行ったが、中国は朝鮮の宗主国という傲慢な仮説で身をまとい.日本の提案を横柄で冷淡な態度で扱い戦争を招いた』
2019/02/06 記事再録 英紙『タ …
-
-
日本リーダーパワー史(623) 日本国難史にみる『戦略思考の欠落』 ⑰『川上操六参謀本部次長がドイツ・モルトケ参謀総長に弟子入り、何を学んだのか③『ドイツ・ビスマルクのスパイ長官』 シュティーベルとの接点。
日本リーダーパワー史(623) 日本国難史にみる『戦略思 …
-
-
『Z世代のための戦争史講座①』★『世界海戦史上、トラファルガー海戦を上回るパーフェクトゲームとなった「日本海海戦」の真実①』★『現在はフェイク・ドロン・衛星・ミサイル・21世紀核戦争に大変化』
以下は「ツシマ世界が見た日本海海戦」(ロテム・コーネル著、滝川義人訳 …
-
-
知的巨人の百歳学(149)-失明を克服し世界一の『大漢和辞典』(全13巻)編纂に生涯を尽くした漢学者/諸橋徹次(99歳)
『大漢和辞典』(全13巻)編纂に生涯を尽くした諸橋徹次(99歳) 諸橋轍次(もろ …
-
-
『オンライン講座/作家・宇野千代(98歳)研究』★『明治の女性ながら、何ものにもとらわれず、自主独立の精神で、いつまでも美しく自由奔放に恋愛に文学に精一杯生きた華麗なる作家人生』『可愛らしく生きぬいた私の長寿文学10訓』
2019/12/06 記事再録 …
-
-
『安倍・トランプ蜜月外交を振り返る①』★『日本リーダーパワー史(979)ー『トランプ米大統領は2019年5月25日夕、令和初の国賓として来日した』★『140年前、日本初の国賓として来日したグラント将軍(元米大統領)が明治天皇にアドバイスした内容とは何か(上)』
2019/06/16 日 トラン …
-
-
『Z世代のための昭和史の謎解き①』『憲法第9条と昭和天皇』『吉田茂と憲法誕生秘話①ー『東西冷戦の産物 として生まれた現行憲法』『わずか1週間でGHQが作った憲法草案』①
2016/02/28日本リーダーパワー史(675) 『日 …
