『Z世代のための90年前の<日本女性・子供残酷物語>の研究②』★『阿部定事件当時の社会農村の飢餓の惨状』女性の身売りが激増』★『売られた娘たち ~東北凶作の中で!』★『東北の農村などでは人身売買の悪徳周旋屋が暗躍した」( 玉の井私娼解放運動に取組んだ南喜一の証言)
記事再録再編集
「東北の凶作悲話ー娘の身売二百名」
東北凶作は農民生活をどん底に叩き落とし、飯米の欠乏に脅かされ旧債の利子のために自作農から小作農へ転落するなど、その影響は深刻なものだが、もっとも非劇なのは娘の身売りで、これは即座にまとまった金が入るのと凶作時につけ込む斡旋屋の口車に乗って、親も娘も泣く泣く苦界に身を沈めるもので中には当座の飯米買入のために五十円の前借で酌婦にしたとか抵当の田地を取り上げられるのをおそれ百円足らずの金で娼妓に売るなど悲話が多くあった…。
警察の調べによれば〇〇郡は芸妓、震、酌婦、女給、女中合わせて合計百九十七名に及んで居り、身代金はわずか五十円位から二百止まりという悲惨な状態である」その正確な数はつかめないが、昭和九(1934)年に東北6県から出稼ぎに出た女子は五万八〇〇〇名に及んだといわれる。」(朝日新聞昭和九年(1934)一〇月二一日)
こうして、明治以来の日本の近代化の過程の中で生み出されたさまざまな矛盾が、度重なる災害の中で、政治の僻地として取り残されたままのこの東北農山村に集約された形で露呈した
。東北農村の窮状は、政界財界への怨嗟へとつらなる一方で、軍隊の最大の温床であった農村出身の兵隊を媒体として青年将校の心情に訴え、彼らを五・一五事件(昭和七年)、二・二六事件(昭11年) などのテロへ駆りたてる要因の一つとなった。こうした農村出身者が血盟団事件、五・一五事件に農民決死隊として参加した。
一方に政党、財閥への不信、一方には兵士と軍馬の供給源たる東北農村の危機で「この危機を軍部が見逃すことはなかった。林銑十郎(一八七六~一九四三)陸相は国防の強化の基盤作りとしての農村救済の必要を唱え、実行に移した。それは国民経済安定を旗印にした軍国化への出発にほかならなかった。(「証言・私の昭和史①昭和初期、売られた娘たち」文春文庫 1989年 203P)
東北凶作の惨状、飢餓、厳しさというものを身にしみて体験した農民以上に力のない女性や子供の上に最も顕著な形であらわれきたが、その1人の女性は次のように、小学校での体験を次のように語っている。」
本堂フミさんの話ー「私たちは小学校に長靴もなくて、わら靴をはいて一里(4キロ)上の道を高等科に通っていました。帰りにもまたその藁靴をはいて帰るので、夜になっていろりに乾しても、わら靴が凍ってしまっていて、いろりぐらいじゃ溶けませんでした。で、仕方がないから朝になるとまた凍ったままのわら靴をはいて学校へいったんです。すると一里近く歩いたころ、ようやく足のぬくもりでわら靴の氷が溶けたものでした。
お弁当なども稗(ひえ)ご飯とかソバモチを持ってきていました。それをみんなの前で広げるのが恥ずかしいので、学校の裏山の桑の木に登って食べる子もおりました。それから全くお米を入れないでひえたけのお弁当を持ってくる子もいました。
弁当を持ってこれない子どもには給食をしていましたが、かえって給食の子どもの方が良かったぐらいです。お米半分とひえ半分と申しましても、お米は見えなくて稗だけのようで、ボソボソしていて、熱いうちだからまだいいようなものの、とてもおつゆなしでは飲み下せないのです。
おかずにしてもそのころの子どもはタクアンとか、梅干しとか、味噌漬けを持って参りました。お正月だけはお米のご飯を食べられました」「同上証言・私の昭和史①昭和初期、売られた娘たち」文春文庫 1989年 203P)
売るべき作物もなく、払えぬ小作料は借金となって雪だるま等つに重なっていく。そうした農村山村の貧しい農民にとって残された現金収入の途の言が若者を出稼ぎに出すことしかない。中でも手取り早く、しかも割の良いのが娘の身売だった。
こうして当時、芸者、娼妓、酌婦、女給、女中、子守、女工となって都会に働きに出た娘たちは、東北六県で数万人にのぼったといわれる。その中で、いわゆる悪徳周旋人の口車に乗せられた乙女たちのいきつく先が、各地都会の遊廓で、東京では吉原、玉ノ井などであった。
玉の井私娼解放運動に取り組んだ南喜一は「ガマの闘争」(三笠書房、1969年刊)などでこう語る。
「玉ノ井とか吉原の業者は、平常から東北の農村などに人身売買の周旋某を配置していました。
その土地の百姓に依頼してあるのですが、そういう連中は、百姓をしながら玉ノ井などの業者から小遣いをもらって娼妓の周旋をやっていたのです。近所の村の農家にもうすぐ学校を卒業する娘があることを聞くと、前もってその家に近づきになり、「どうだね。卒業してから百姓をするより、東京へ行って屋敷奉公をすると、行儀見習いも裁縫もいろんなことが習える。そのうえ月に五円でも一〇円でも送金することができる。そういう所へ娘さんをあずけたらどうだ」ともちかけるんです“
それを聞いた親たちは、少しでも現金収入の通があれば結構なことなので「そりゃいいことだ」というわけで、ある年、ある村から「七名の娘が村を出たんです。尋常高等小学校を出だといえば、15,6歳の女の子たちですね。
こうして、いっぺんに17名の娘たちが東京麹町の三番町のある屋敷に連れてこられた。この屋敷は、玉ノ井の淫売屋をやっている金持ちの屋敷だった。親たちへの手紙のやりとりはこの麹町の屋敷からするので親たちも安心しているが、娘たちは玉ノ井で働かされているわけです。田舎の親たちは、まさか娘が淫売屋で働いているとは夢にも思っていない。」


関連記事
-
-
F国際ビジネスマンのワールド・ウオッチ⑨』『“中国の次期ニューリーダーの不可解な不在”』(ニューヨーク・タイムズ(9/11)
『F国際ビジネスマンのワールド・ニュース・ウオッチ⑨』   …
-
-
日本リーダーパワー史(634)日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(27) 『川上操六参謀次長の田村怡与造の抜擢②<田村は川上の懐刀として、日清戦争時に『野外要務令』や 『兵站勤務令』『戦時動員」などを作った>
日本リーダーパワー史(634) 日本国難史にみる『戦略思考の欠落』 …
-
-
★『オンライン60歳,70歳講座/長寿逆転突破力を発揮し老益人になる方法★『日比谷公園、明治神宮など造った公園の父>本多静六(85)の70,80歳になっても元気で創造する秘訣―『加齢創造学』10か条
2012/05/12 百歳学入門(38)記事転載 『加 …
-
-
『オンライン百歳学入門講座』★「世界一の最長寿の122歳を全うしたフランス人女性カルマンさんの健康長寿法とは・・」
「世界一の最長寿の122歳を全うしたフランス人女性カルマンさんの健 …
-
-
『日本戦争外交史の研究』/『世界史の中の日露戦争カウントダウン㊱』/『開戦2週間前の『申報』の報道ー『『東三省(満州)を放棄し.境界線を設けて中立とするは良策にあらざるを諭す』
『日本戦争外交史の研究』/ 『世界史の中の日露戦争カウントダウン㊱』/『開戦2 …
-
-
『稲村ヶ崎サーフィン・モンスターウエーブ動画特集⓶』★『稲村ケ崎ビッグサーフィン(2018/9/29am720-8,30)-台風24号の大波を乗りこなすサーフィンーテクニック①』★『台風19号接近中の鎌倉稲村ヶ崎サーフィン (2019/9/10am7)-ついに来ましたビッグウエーブ、約50人の命知らずのサーファーが『決闘中!』
稲村ケ崎ビッグサーフィン(2018/9/29am720-8,30) …
-
-
日本リーダーパワー史(341)水野広徳の日本海海戦論④ 秋山真之語る「バルチック艦隊は対馬か、津軽海峡か、運命の10日間」
日本リーダーパワー史(341) ● 政治家、企業家、リーダ …
-
-
知的巨人たちの百歳学(171)記事再録/長寿逆転突破力を磨け/-加藤シヅエ(104歳)『一日に十回は感謝するの。感謝は感動、健康、幸せの源なのよ』★『「感謝は感動を呼び、頭脳は感動を受け止めて肉体に刺激を与える』
2018/03/13 『百歳学入門(214)』 …
-
-
日本メルダウン脱出法(662)中国から見た日米首脳会談 ー本当の関心は尖閣問題よりTPP」「瀬戸際のTPP交渉、5月合意できなければ空中分解も」
日本メルダウン脱出法(662) 安倍首相訪米前夜に思う 中国の“歴 …
-
-
『2009/1/21/オンライン回想講座・静岡県立大国際関係学部教授・前坂俊之最終講義』★『ガラパゴス日本の没落』★『<ジャーナリスト、研究生活40年を振り返る>『グローバリズムで沈没中のガラパゴス・日本=2030年、生き残るか』
前坂俊之最終講義・ガラパゴス日本の没落 国際コミュニケーション論・最終講義(15 …


