『Z世代のための日本戦争史講座』★『日露戦争勝利のカギとなった「日本海海戦」は世界海戦史上に輝く英国海軍の「トラファルガー海戦」を上回る「パーフェクトゲーム」①★『日本が開国してわずか40年で英米の「海軍強国」に並び、当時の西欧先進国の仲間入りを果たした瞬間である』
以下は「ツシマ世界が見た日本海海戦」(ロテム・コーネル著、滝川義人訳)並木書房、2600円、2023年刊)より引用した。
同書は「日本海軍が近代技術を駆使して西欧有数の海軍国・ロシアに勝利した最初の海戦で、西欧世界から驚異、畏怖されたが、植民地世界では大歓迎の祝福を受けた。しかし、日本はこの成功体験に最後までおごり「艦隊決戦」と「大艦巨砲主義」に固執して40年後の太平洋戦争では全面敗北し、亡国した。同書は日露英米独の資料を徹底的に収集、分析した「日本海海戦」の決定版である。
- 国家存亡の一戦「日本海海戦」
日本は、今ここで敗退すれば、戦争そのもので敗北することになりかねないので、絶対に負けるわけにはいかなかった。
一方、ロジェストヴェンスキーは、指揮下にある艦艇がたとえ20隻しかウラジオストクに到達しなくても、「日本の海上覇権は深刻な危険にさらされると考えていた。ロジェストヴェンスキーは東郷と違って、日本周辺水域を支配する意志に欠けていた。
同艦隊の長期の喜望峰周りの熱帯の地域の困難遠征と、乏しい配給品、前途の多難の航海に乗組員の不安、不平がたまり、命令不服従するようになった。
バルチック艦隊(ロジェストヴェンスキー司令官)の戦略、戦術ミス
艦隊全体ひとまとめで航行させたロジェストヴェンスキーは補助艦船を切り離して独自に行動させ、戦闘艦の後から随伴させる命令を下した。そのため全体の航行速度が遅くなり、脆弱な補助艦船の安全に絶えず気を配ればならなかった。さらに巡洋艦をその護衛にまわしたため、到着はおくれにおくれた。そのためにも肝心な砲撃戦で、火力が使えなかつた。
一方、日本側は、東郷が魚雷を装備する駆逐艦、水雷艇52隻を投入したが、極めて効果的だった。夜間戦闘時、小型艦艇による魚雷撃戦術は大成功した。
小型艦艇が発射した魚雷64発のうち10発(そして夜間戦闘時の42発のうち6発)が命中し、戦艦数隻を含む跛行中の艦艇を沈没させた。しかも絶えず視界上にあって繰り返し攻撃してくるため、ロシアの乗組員たちの士気を低下させ、戦闘に多大な影響を与えた。
ロジェストヴェンスキー司令官はウラジオストクに到達することしか考えなかった。ため懸命に努力することだけを考えて、制海権は頭になかった。これとは対照的に、東郷は自分の立てた戦略を見事に遂行した。敵撃減のための最適の時と場所を考え、時機到来に備えていた。
一方、東郷艦隊は制海権を確保、ウラジオストクのロシア艦隊をけん制し、比較的狭い対馬海峡でバルチック艦隊を待ち構えていた。その進行状況をはりめぐらせた情報網からたんちしながら、決戦に備えていた。
日本海海戦の敗北でロシア海軍は海軍国としての地位を失った。逆に日本海軍は史上初めて恒久的な海上支配権を獲得、陸上戦でもその支配権を維持し、和平交渉を急ぐことが可能になった。
-
日本の決定的な勝利の鍵は2つ
日本の決定的な勝利の鍵は、二つある。
- 最初から戦闘の主導権を握ったのが、日本側主力艦隊所属の一ダースの戦艦、装甲巡洋艦で、ロシアの最も強力な最新式戦艦に火力を集中してほぼ無力化した。日本艦隊は、相手より優れた戦術指揮と速力で優位に立ち、砲撃を相手よりも効果的に加えてその抵抗力を打ち砕いた。
- 戦闘は二四時間続いたが、特に夜間に昼間より大きい成果を上げた。小型艦艇の大量投入で、駆逐艦と水雷艇による集中攻撃であった。暗夜での海戦にもかかわらず、敗走するロシアの艦隊を追跡し近距離から発射した魚需で撃沈したのである。戦術上の巧みな戦力の投入は、ロシア側の作戦失敗でより効果を上げた。
関連記事
-
-
鎌倉カヤック絶景大漁フィッシング(6/3)ー 『第1投から大アジ、大ウマズラを連発、すごいよ!』★『老人と海』-美しすぎる鎌倉海で?(魚)とたわむる、チョー楽しいよ!」
鎌倉カヤック絶景大漁フィッシング(6/3)ー 『第1投から大アジ、大ウマズラ …
-
-
『Z世代のためのオープン講座』★『ウクライナ戦争と「アルマゲドン(最終戦争)」の冬の陣へ(下)』★『バイデン米大統領「キューバ危機以来。アルマゲドンの可能性」とコメント』★『米国の中間選挙の冬の陣へ』★『日本の冬の陣―安倍国葬と旧統一教会』★『●「旧統一教会」は「カルトビジネス(悪徳商法)」「コングロマリッド」(総資産約8千億円)』(11月15日までの情報です)
キューバ危機以来。アルマゲドンの可能性」 「こうした報道を受けてバ …
-
-
「オンライン・日本史決定的瞬間講座⑨」★「日本史最大の国難・太平洋戦争敗戦からGHQ「日本占領」と「単独講和」を乗り越えて戦後日本の基礎を築いた吉田茂首相の<国難逆転突破力>④』★『76歳でこんどこそ悠々自適の生活へ』★『1963年(昭和38)10月、85歳となった吉田は政界から完全に引退したのです』★『最後までユーモア精神を忘れず』★『享年八十九歳。戦後初の国葬で送られた』』
こんどこそ悠々自適の生活へ 1954年(昭和29)12月、「造船疑 …
-
-
『オンライン/日本宰相論/講座』★『大宰相・原敬の「観光立国論」-『観光政策の根本的誤解/『観光』の意味とは・『皇太子(昭和天皇)を欧州観光に旅立たせた原敬の見識と決断力』★『日本帝王学の要諦は ①可愛い子には旅をさせよ ②獅子は我が子を千尋の谷に突き落とす ③昔の武士の子は元服(14、15歳)で武者修行に出した』
2017/09/23 日本リーダーパワー史(221)記事再録 。前坂 …
-
-
『南シナ海問題 での中国の立場』を呉士存 中国南海研究院院長/于鉄軍 北京大学国際戦略 研究院副院長/張新軍 清華大学法学院副教授が 6月24日、日本記者クラブで講演し、 記者会見した。(動画2時間)
呉士存 中国南海研究院院長/于鉄軍 北京大学国際戦略 研究院副院長 …
-
-
『Z世代のための百歳女性文学者入門』★『作家・宇野千代(98歳)の研究②』★『自主独立の精神で、いつまでも美しく自由奔放に恋愛に文学に精一杯生きた作家人生』★『私の長寿文学10訓』★『83歳で「毎日、机に必ず坐る」「書けると信じる」「一万歩歩く」を実践、86歳で100万部ベストセラーを出版した長寿美筆力』
2024/08/25 宇野千代 …
-
-
『Z世代への昭和国難突破力の研究』ー「最後の元老・西園寺公望(92)の臨終の言葉』★『アジア、太平洋戦争の敗北を予感、「いったいどこへこの国をもって行くのや、こちは(お前たちは)・・・』
2011/05/12 /日本リーダーパワー史(151)記事再録 ★『最後の元老・ …
-
-
『オンライン日本史の現場を訪ねる動画散歩』★『鎌倉五山、北条政子が眠る「寿福寺」のもみじの晩秋を拝観』★『鎌倉幕府を作った北条政子が眠る「寿福寺」のお墓にお参り』
鎌倉五山、北条政子が眠る「寿福寺」のもみじの晩秋に拝観(2022年12月19日) …
-
-
百歳学入門(54) 玄米食提唱の東大教授・二木謙三(93歳)の長寿法『1日玄米、菜食、1食。食はねば、人間長生きする』
百歳学入門(54) 玄米食提唱の東大教授・二木謙三(93歳)の健康長寿10 …