前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

『 Z世代のためのス-ローライフの研究』★『元祖ス-ローライフの達人・仙人画家の熊谷守一(97歳)のゆっくり、ゆっくり、ゆっくり』★『小学校の時、先生はいつも「偉くなれ、偉くなれ」というので、「みんなが、偉くなったら、偉い人ばかりで困るのではないか」と内心思った』

      2024/05/30

 2023/11/12の「」百歳学入門」の記事再録

<写真は5月29日午前7時、逗子なぎさ珈琲テラスから見た台風1号1過の富士山見えず。>

仙人、超俗の画家として生前も人気の高かった熊谷は没後,評価はますますうなぎのぼり。その画風とともに「スローライフの」生き方に共感する人が増えている。

画家は好きなことをやっているので長生きの人が多いし、奇人、変人ばかりといっていいでしょうが、その中でも極めつきが熊谷守一でしょう。熊谷守一は九十七歳で亡くなったが、早くから、「画壇の仙人」「超俗の人」「奇人画家」、伝説の人と呼ばれていましたね。

一八八〇(明治十三)年四月、岐阜県生まれ。父は岐阜市長や衆議院議員だが、中学のとき画家になりたいというと、「芸者と坊主と絵かきはみんなこじきだ」と猛反対された。懇願して何とか一九〇〇(明治三十三)年、東京美術学校西洋画科に入学、青木繁、児島虎次郎らが同級生でいた。

 ①熊谷は小さい時から「偉くなる」ことに疑問を感じた。

観察クセはこの頃から強く、小学校時代、先生の話など聞かず、雲の流れや木の葉がヒラヒラまい落ちる様子などをじっと眺めていたので、先生からよく叱られた。先生はいつも「偉くなれ、偉くなれ」というので、「みんなが、偉くなったら、偉い人ばかりで困るのではないか」と内心思った。「そのころから人を押しのけて前に出るのが大きらい」と自伝的エッセー『へたも絵のうち』で回想する。

美校時代に日暮里の踏切で、人が電車にはねられて死んだところに通りかかり、交番に届けもせず一心不乱に写生、駈けつけた巡査のカンテラまで描いてその写実精神を賞賛されたこともある。

1922年(大正11)、熊谷は四十二歳で秀子夫人と結婚した。二十四歳の秀子夫人は変わった人と聞いた上での、貧乏覚悟の結婚だったが、想像以上だった。
 

明日食べる米がないという時でさえ、小鳥やネコを飼っていたり、と思えば、一晩中ローソクの明かりで時計やカメラをバラバラにして組み立てに熱中したりで、生活のための絵は一切描かない。窮乏生活が続き、翌年、長男が生まれたが、子供に着せるものがないと、『風呂敷に穴をあけてかぶせとけ』といった具合でまったく描かない。子供が病気になっても医者に見せる金もない。

1928年(昭和3)、次男陽(三歳)を疫痢(エキリ)で、昭和七年、三女(一歳)も肺炎で、さらに昭和二十二年に長女(二十二歳)と愛児三人を連続して亡くした。陽が亡くなった時には、この世にこの子を残す何もないことを思って、棺の中で花に埋もれたわが子の死顔を夢中で描き続けた。描いているうちに自分が嫌になって三十分ぐらいで止めた。『陽の死んだ日』と題したこの絵は熊谷の代表作となった。子供が病気になっても、生活に困った時でも、絵を描いて金にかえるといぅことは出来なかった。

秀子夫人や周囲から「なぜ絵を描かないか」と責められたが、守一は

  • ②「四十年も過ぎた今になっても、胸のしめつけられる思いですが、あのころはとても売る絵はかけなかったのです」と自伝で回想している

東京 にある熊谷の家は1932年(昭和七)に建てられた。老朽化し雨もりがひどいので、昭和49年夏は屋根瓦をふきかえた。それまでは家の中にバケツを置いて何とかしのいだ。

➂家から一歩もでず    

 木門をはいると、すぐ庭で真ん中が築山となっており、クリ、モモ、カキ、クルミ、ねむの木、などが生い茂っていた。ここが雑木林、今でいう小さな里山となっており、中央に小さな池がある。縁台には小鳥の鳥箱が置かれ、年中、庭に集まってくる鳥のサエズリ、ハーモニーがにぎやか。春夏秋冬と四季折々で、樹木はその姿を180度変える。水飲み場があるので集まる鳥も昆虫も年中、バラエティに富む。生物多様性のある小宇宙であり、大自然でもある。

熊谷は暖かい時期には庭にゴザを敷き、木のまくらで昼寝をする。夏には木陰で休む、手製のパイプを吸いながら、ゴザの上で昼寝もしながら半日過ごす。何時間でも木々や葉々を眺め、鳥のさえずりに耳を傾け、地面に動き回る昆虫やアリの動きを画家の眼で見つめた。    

アリの動きをゴザで横になって水平に近い真横から近接してみるとまったく違う。

  • ④「蟻の歩き方を幾年も見てわかったんですが、蟻は、左の二番目の足から歩きだすんです」

  • 「雨、軒からの雨垂れ、雨の一滴。その雨を、何年も何年も見つめます。単純化の極致の熊谷の絵の1つに、「蟻」があるが、あくなき観察から生れた。庭の植物や動物、風物への愛情のこもった作品は、こうして生まれた。

➄文化勲章受章を断わる

1967年(昭和42)、熊谷は文化勲章受章者に内定したが、断わってしまった。宮内庁が再三にわたって説得したが、「めんどうで煩わしい」と聞き入れない。

➅「小さいときから勲章はきらいだったんですわ。よく軍人が勲章をぶらさげているのを見て、どうしてあんなものをべたべたさげているのかと思ったもんです」

「欲しがっておられる方に差し上げてくださればよい」と最後まで固辞した。世間の損得などを超越して、無関心な熊谷は静かな日々は失われることを恐れ、無心に創作三昧の日々を選んだのである。    

 ➅熊谷は勲章もきらいだが、ハカマもきらい。晴れがましいこと、かしこまることも一切きらい

だから正月もきらい。結婚式に招かれてもハカマは着ないで、モンペで通した。

 その翌年、ある新聞で、熊谷は淡々と次のように語っている。

「…犬が横になって寝るのも、猫が病気になると地べたに寝ころんで眠るのも天の理。私はゴザをしいて庭に寝ころんで眠り、アリが走ればそれが絵になる」

⑦「絵を上手に描こうとは思わない。上手になってどうするんだ。絵は描いているうちにどうなるかわからない。そこがおもしろい

腹が減ったら食う。食うときが旨いので腹がふくれればおわりだ。いまはなにも欲はない。しいて欲しいと思うのは、いのちだけだ」

「私は生きていることが好きだから、他の生きものもみんな好きです」でも・・・。「犬はあまり人間に忠実なので見るのがつらくて飼ったことはありません」、猫の方が好きなのだ。

 - 人物研究, 健康長寿, IT・マスコミ論, 湘南海山ぶらぶら日記

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
百歳学入門(53)清水寺貫主・大西良慶(107歳)の『生死一如』10訓-人問いつか死によるんやから、死ぬことなんか考えてないの』

百歳学入門(53)     清水寺貫主・大西良慶(107歳) …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(1)記事再録/日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(元寇の役、ペリー黒船来航で徳川幕府崩壊へ)ー日清、日露戦争勝利の方程式を解いた空前絶後の名将「川上操六」の誕生へ①

    2015/11/18 /2015/11/2 …

no image
『日本戦争外交史の研究』/『世界史の中の日露戦争』➈『英ノース・チャイナ・ヘラルド』報道ー『日露開戦6ヵ月前ーロシアの満州併合は日本の保全と独立にとって致命的打撃の前段階となる』●『(ロシアの主張)シベリア鉄道と東清鉄道はロシアと中国の貿易を促進するため,また中国にいるロシアの競争相手たちを追い出すためのもの』

    『日本戦争外交史の研究』/『世界史の中の日露戦争』⑧         『 …

『日中歴史張本人の 「目からウロコの<日中歴史認識><中国戦狼外交>の研究⑧』★-「(百年前の)同情すべき隣邦支那(中国)の民衆」を語る』★『北京・南京・漢口政府が国内を分割統治、内戦状態で関税・税制・鉄道運輸をバラバラに支配』

なぎさ橋珈琲テラス通信(23年11月23日am700) 2014/12/02 / …

no image
『紅葉の鎌倉絶景』リアルタイム速歩>獅子舞(天園ハイキング)は紅葉度80%、これから1週間が見ごろ(12月2日午後)

『紅葉の鎌倉絶景』リアルタイム速歩!> 『錦秋最高へ。鎌倉紅葉の絶景スポットー …

人気リクエスト再録『百歳学入門』(233) -『昭和の傑僧、山本玄峰(95歳)の一喝!➀」★『法に深切、人に親切、自身には辛節であれ』★『「正法(しょうほう)興るとき国栄え、正法廃るとき国滅ぶ」「葬儀は絶対に行なわざること」(遺書)

    2012/06/01  記事再録 百歳学入 …

no image
日本初公開ー百円傘の風力で「パドボフィッシング」(7/29)ー「魔女の宅急便」ならぬ「超(釣)人たちの「カサフィッシング」

   ★★『鎌倉カヤック釣りバカ日記』(7/29) …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(66)記事再録/ 日本の「戦略思想不在の歴史⑴」(記事再録)-日本で最初の対外戦争「元寇の役」はなぜ起きたか①

2017年11月13日 日本で最初の対外戦争「元寇の役」はなぜ起こったか 今から …

『Z世代のための日本興亡史研究講座』★『「オウンゴール国家・日本の悲劇」ー「2011年の民主党政権崩壊と太平洋戦争開戦のリーダーシップの検証」(2011年3月11日福島原発事故の4日前の予言的な記事★『30年ぶりに自公与党大敗、日本丸難破の危機に!』

2011-03-07 21:05:49/「3/11の福島原発事故の4日前の記事再 …

no image
●<記事再録>巨大地震とリーダーシップ②3・11から5年目に熊本地震発生―危機突破の歴史リーダーシップに学ぶ②関東大震災と犬丸徹三(帝国ホテル創業者)

 (記事再録)2011/04/03  日本リーダーパワー史(136)  帝国ホテ …