前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

日本リーダーパワー史(811)『明治裏面史』 ★『「日清、日露戦争に勝利」した明治人のリーダーパワー、リスク管理 、インテリジェンス㉖『「 戦争は避けることばかりを考えていてはますます不利になる」(マッキャベリ)』★『田村参謀次長は『このような微弱な戦力をもってロシア陸軍に起ち向かうことは無謀にひとしく、確固たる自信は持てない』と明言した』

      2017/10/17

 日本リーダーパワー史(811)『明治裏面史』 ★

『「日清、日露戦争に勝利」した明治人のリーダーパワー、

リスク管理 、インテリジェンス㉖

 

田村次長は参謀明治3610月に亡くなるまで、かつて日清戦争前に、川上参謀総長の指示で作成した「野外要務令』や『兵站勤務令』『戦時動員』『「臨時軍用貨物鉄道輸送手続」など改訂版を作り、着々と準備していた。

 

日本リーダーパワー史(634)日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(27) 『川上操六参謀次長の田村怡与造の抜擢<田村は川上の懐刀として、日清戦争時に『野外要務令』や 『兵站勤務令』『戦時動員」などを作った>

http://www.maesaka-toshiyuki.com/person/13127.html

 

「ドイツ仕込みの鉄道ロジスティクス」を重要視していた田村は参謀次長となった直後の明治35年6月、逓信省に対して、「わが国の国鉄、民営の鉄道会社が数十社もあるので統一的に軍事輸送できる法整備が必要である』との要望書を提出した。

陸軍省、海軍省、逓信省でこの問題を協議し、翌36年7月17日、「軍用列車は、積載地より取卸地まで直通運転をすること」などを盛り込んだ「鉄道軍事供用令」を交付。日露戦争開戦2週間前に翌37年1月25日に勅令12号として発布された。

 

これは日清戦争での、川上、田村の最強コンビの鉄道輸送(ロジスティクス)の応用第2例である。

日清戦争直前の27年(1894年)6月、山陽鉄道が広島まで開通した。 同年8月に日清戦が始まると、広島宇品間の軍用鉄道宇品線)が2週間余りの突貫工事により開通し、宇品港から広島の第5師団をはじめ多くの兵士や兵器、食糧が大陸へ送り出したのである。

 

日本リーダーパワー史(628)日本国難史にみる『戦略思考の欠落』 ㉑「日清戦争は明治天皇は反対だったが、川上操六、陸奥宗光の戦争であった」「 戦争は避けることばかりを考えていてはますます不利になる」(マッキャベリ)

http://www.maesaka-toshiyuki.com/person/12926.html

 

鉄道輸送の重要性では明治23年(1890年)に完成した広島湾の宇品港は陸軍の軍港で、陸軍部隊はここから海外へ出動した。ところが、鉄道はまだ広島までつながっていなかった。

東海道線は東京から神戸までは完成していたがで、それから以西は私鉄の山陽線で、神戸-糸崎間が開通したばかり。糸崎広島間の開通は明治27年7月初めの予定だった。川上、児玉は手分けして山陽鉄道取締役・荘田平五郎を陸軍省に招き、秘密をうけ明け、「突貫工事で開通したほしい」とハッパをかけた。

荘田は快諾し、明治27年6月10日で間に合わせた。広島の第五師団第九旅団長の大島義昌少将指揮の混成旅団の第一陣が、仁川に出発したのはこの1日前の6月9日であった。すべて、準備完了したのである。

このため、明治天皇による日清戦争指導のため広島大本営を設置し、川上参謀本部次長が陸軍上席参謀兼兵站総監につき、開戦を指導、陸海軍全軍を指揮したのである。昭和の戦争の陸海軍対立の2本立ての戦争指導ではなく、川上の「ワンボイス」(ワンマン)の指揮が日清戦争の最大の勝因であった。

 

7月になって、田村参謀次長は外交交渉でロシアの態度を変更させることは困難であると判断して、朝鮮だけでも守るために日露開戦となった場合の陸軍作戦計画と部隊の動員と出動の実施計画を早急に作成するように命じた。従来の慎重一点張りから、最小限可能な準備だけでも取り組む決断をしたのが7月17日のこと。

 

 田村次長は戦時大本営の編成に充てる参謀を一同を集めて、朝鮮半島出兵に伴う諸問題の研究と計画作成に着させた。満州のロシア軍部隊の居坐りはますます決定的となった。8月に入ると、田村次長は、井口総務部長と作戦部長の松川大佐を韓国の現地に派遣した。

井口少将を西海岸、松川大佐を釜山-大大邱(テグ)-京畿道のそれぞれ主要作戦道路に沿う地区の隠密偵察を命じた。

 

9月中旬に井口、松川両部長の詳細な報告に基づいて対露作戦計画を作成させたが、ロシア軍の兵器に比べると、日本軍の火力が劣っていることが判明した。ロシアの新式野砲に比べて日本の野砲は、射距離も短く、特に発射速度と携行弾薬数とにおいて著しく劣っていた。

通信と補給能力等の後方支援能力も日本軍はきわめて劣勢であることも分かった。

 

これに対して、田村は全軍の用兵作戦の責任ある地位に立つ参謀次長として、『このような微弱な戦力をもってロシア陸軍に起ち向かうことは無謀にひとしく、確固たる自信は持てない』と明言し、「開戦論」には慎重な態度を貫いた。

 

井口、松川、福島の三部長が、いかに積極的な対露強硬策の進言をしても、田村次長は頑として同意しなかった。

 

 10月1日、その田村参謀次長は49歳で身を削る心身ともの過労が原因で49歳で死去したことは朝野に大きなショックを与えた。

このちょうど1週間後の同8日にはロシアの第3期満洲撤兵の期日であった。しかし、ロシアは8日になっても占領した満州から、撤兵しないのみならず、韓国国境に向っての侵攻はそのスピードを一層増してきた。

日露衝突のカウントダウンが始まってきたが、政府の態度は一向にはっきりしなかった。

 

<参考文献は谷寿夫『機密日露戦史』(原書房)>

 

 - 人物研究, 戦争報道, 現代史研究 , , , , , , , , ,

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
『F国際ビジネスマンのウオッチ③』“―『“新技術の行進は如何にしてソニーを素通りして行ったか“』(ニューヨーク・タイムズ4月14日)

『F国際ビジネスマンのワールドニュース・ウオッチ③』 <「ニューヨーク・タ …

no image
速報(19)『日本のメルトダウン』からの脱出法ーーー◎サバイバルキーワードは「キュレーション」★★

速報(19)『日本のメルトダウン』からの脱出法 ◎サバイバルキーワードは「キュレ …

no image
日中北朝鮮150年戦争史(8)『陸奥外交について『強引、恫喝』『帝国主義的外交、植民地外交』として一部の歴史家からの批判があるが、現在の一国平和主義、『話し合い・仲よし外交』中心から判断すると歴史を誤る。

日中北朝鮮150年戦争史(8)  日清戦争の発端ー陸奥宗光の『蹇々録』で読む。 …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(123)/記事再録★『ニューヨークタイムズが報道した日韓150年戦争史』☆1895(明治28)年1月20日付『ニューヨーク・タイムズ』 ー 『朝鮮の暴動激化―東学党,各地の村で放火,住民殺害,税務官ら焼き殺される。朝鮮王朝が行政改革を行えば日本は反乱鎮圧にあたる見込』(ソウル(朝鮮)12/12)

    2019/07/04 &nbsp …

no image
日本リーダーパワー史(162)国難リテラシー⑩最後の首相・鈴木貫太郎の突破力ー『まな板の鯉になれ』

日本リーダーパワー史(162)   国難リテラシー⑩最後の首相・鈴木貫 …

no image
百歳学入門(183)-現在、65歳以上の人は「2人に一人が90歳以上まで生きる時代」★『義母(90歳)の『ピンコロ人生』を見ていると、「老婆(ローマ)は1日にしてならず」「継続は力なり」「老いて学べば死しても朽ちず」の見事な実践と思う。

 百歳学入門(183) 老いて学べば、死しても朽ちず(佐藤一斎)   今年の「敬 …

『Z世代のための日本政治家講座㉗』★『ナンバー2に徹した西郷従道』★『「明治維新は西郷隆盛が実現し、明治政府の影の首相は西郷従道である』★『明治建設に役立ったリーダーは西郷従道のみ』

    2012/09/09  日本リー …

no image
★『 地球の未来/世界の明日はどうなる』 < チャイナ・メルトダウン(1057)>『劉暁波弾圧/獄死事件と、約120年前に日清戦争の原因となった「上海に連れ出して殺害した国事犯・金玉均暗殺事件」を比較する』★『中国・北朝鮮には<古代中華思想>による罪九等に及ぶ族誅(ぞくちゅう)刑罰観が未だに続いている』

★『 地球の未来/世界の明日はどうなる』 < チャイナ・メルトダウン(1057) …

no image
終戦70年・日本敗戦史(140)A級戦犯・徳富蘇峰は「支那事変(日中戦争)は世界戦史上、最も愚劣な戦争」と指摘、敗戦の原因は「リーダーの不在」「他民族を理解する能力の欠如」「教養のない日本人」など挙げる

 終戦70年・日本敗戦史(140) <世田谷市民大学2015> 戦後70年  7 …

no image
知的巨人の百歳学(156)記事再録/ 百歳学入門(155)文化勲章のもらい方ー文化勲章は大嫌いと断った「超俗の画家」の熊谷守一(97歳)と〝お金がもらえますからね″といって笑って答えた永井荷風〈当時72歳〉

    2016/07/22 &nbsp …