前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

『Z世代のための<憲政の神様・尾崎咢堂の語る「対中国・韓国論①」の講義⑨日中韓150年三国志―尖閣問題のル―ツの研究(パーセプション・ギャップ)―尾崎咢堂の「『朝鮮(韓国)は助けて、支那(中国)は討て』②

   

 

  2013/04/03  <日中韓150年三国志尖閣問題のルツの研究>記事再録

『日清戦争勃発に至る<日中誤解>(パーセプション・ギャップ)の研究―

『朝鮮(韓国)は助けて、支那(中国)は討て』と主張した尾崎の理由は!?

 支那征伐論(中国との戦争論)を土産にして私は十一月上旬に帰国した。すると間もなく京城(ソウル)に変乱が起り、日・韓・支(中)三国の間に容易ならぬ紛議が生じた。この兵乱は朝鮮内部における進歩派と保守派の争いが原因である。

 

朝鮮の進歩派領袖は朴泳孝、金玉均、徐光龍等である。彼等はかつてわが国に来朝し、わが文明の整備しっつある状態を目撃し、朝鮮もこれにならわんとし、帰国後はその意見を建白した。これに対し政権を握っていた保守派は清国政府に頼って進歩派の勢力を斥けようとしていた。
 この両派の争いから日本公使館は保守派の暴徒によって包囲されて焼かれ、竹添公使は館員、兵士及び居留民とともに仁川の領事館に難を避けた。これは十二月七日の出来事だが、その電報が政府に入り、一度国民に伝えられると、議論は沸騰し、硬軟両論がやかましく論ぜられた。

当時私は支那(中国)と朝鮮と日本は共同して欧米の侵略に備えるべきであるという考えを根本としていたが、支那(中国)の無力と人心の腐敗を目撃してそれは不可範であるから、日本は単独で朝鮮を助け、朝鮮をして完全な独立を保持させようという意見であった。それを実現する方法として清国に監禁されていた大院君の帰国を清国政府に交渉するという案を提示し、これを新聞に掲げた。

 

大院君は国王の近親者で久しく政権を握っていたが、明治十五年七月の乱(注・壬午事変(じんごじへん))http://ja.wikipedia.org/wiki/壬午事変

に降し、その煽動者であるという嫌疑を受けて一清国宮延のために拘引され、それ以来、支那(中国)に監禁されているけれども、その名声が高く、彼を仰望するものは、わが国を怨み、且つ敵視してる有様であったから、朝鮮政府のために清廷に掛合って彼を帰国させれば単に進歩派だけでなく、大院君に嘱望する保守派の歓心をも博して、朝鮮人全体の日本に対する信頼が得られると考えた。

私はまた朝鮮問題は支那問題と関係がっ深かつたから「本邦の支那、朝鮮に対すべき国是を議す」「観争と平和」その他の論文を書いて支那に対する積極策をも論じた。これらの論文からその要点を拾って見ると次の通りである。

 まず支那朝鮮に対する政策としては「進んで東洋諸国をして西洋諸国と競はしめんと欲せば、我れ2国を提携誘導するべきである。我が独立を保全せんと欲せば2国を挙げて欧洲諸国の併呑にまかせるべきではない」と記し、この二国とわが国との関係及び二国の実情を論じた後、朝鮮はこれを援け、支那はこれを討つべし」という緒論を掲げた。

 

すなわち朝鮮については「朝鮮人は活眼を備へて彼我内外の長短を見るの明.あり、能く己が短所を知って他の長所を根らんと欲す‥‥向後我が官民の彼を遇する益々丁寧親切なれば、其文明.一歩を進むる毎に彼れの我れを尊信するいよいよよ深きに至る可し、我れ朝鮮を輔けてその独立を全うせしむるは決して至難の業に非ず、益々今日の朝鮮政策を拡張し、その君臣をして我が恩威を感仰せしむれば足れり」と論じ、

支那に対しては「そのやや活眼を具えて、我が実情を詳かにする者は、我が人民の強健なる、我が兵士の勇猛なるを怖れること極めて深く、日夜我が呑嘴にあはんことをこれ憂う・‥・之に反して頑瞑固陋の徒は(この徒最も支那に多し)徒らに尊大自負にして、全く城外の事情を知らず、我壌地の狭小なる、我が民衆の寡少なるを聞き、すこぶるこれを軽んずるの意あり、たまたま本邦に遊んで、我が形勢を説く者に遇うも、この輩唯だ世間の事情に暗き、我が漢学先生と会して、邪説横行、財政紊乱、大道煙減など云へる無根の妄言を聞くのみなるが故、何より以て本邦の実情を尽すに足らず、道聴途説転々用い伝えて、ますます我を軽んずるの意を長ずるに過ぎざる也。故に機を見るに明かなる士は早く支那を輔導するの妄見を棄て、支那は決して輔く能はざる者と考えて、我が之に対する国是を定めざる可らず」と諭した。

 また支那に対してはすでに欧洲諸国の分割が始っていたので、かかる情勢に機先を倒し、支那における変動を利用する政策として私は支那の討伐を主張した。

当時、朝鮮問題で政府は韓国政府と折衝中であったが、清廷が韓国側の背後にあって糸を引いていたから、日本が強硬な方針をとれば清国と一戦を交えなければならない形勢であった。私は支那と戦つても勝算歴々たるものがあると考えていたから、支那と一戦を交えることを恐れず、朝鮮問題の解決に当るべきであると叫び続けた。

 

<以上は尾崎行雄『民権闘争70年』(読売新聞社 1952)

 - 人物研究, 健康長寿, 戦争報道

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

『ある国際ビジネスマンのイスラエル旅行記①』★『35年ぶりに、懐かしのイスラエル第3の都市・ハイファを訪ねました。』★『エルサレムでは偶然、岩のドームの金色屋根に接近し、数名の自動小銃武装の警官からムスリム以外は接近禁止と言われた』

2018/02/24 『F国際ビジネスマンのワールド・カメラ・ ウオッチ(229 …

[ Z世代のためのAI(人工知能)を上回る天才脳の作り方①」★『世界天才老人NO1・エジソン(84)<天才長寿脳>の作り方』ー発明発見・健康長寿・研究実験、仕事成功の11ヵ条」(上)『隠居は非健康的である。死ぬまで研究、100歳までは引退しない』

  2018/11/23  記事再録 百 …

『2022年7月・KamakuraBeach(鎌倉海水浴場)のにぎわいが、久しぶりに戻ってきた』(7月24日午後1時)材木座海岸、由比ガ浜海岸で夏を楽しむ、

  湘南最大のロングビーチで、曲線を描いて打ち寄せる白波がなんとも美し …

no image
日本リーダーパワー史(88) 経済最高リーダー・渋沢栄一の『道徳経済合一主義の経営哲学に学べ』

日本リーダーパワー史(88) 経済最高リーダー・渋沢栄一の『道徳経済合一主義の経 …

『オンライン/日本恋愛史講座』★『 ウナギ狂で老らくの恋におぼれた大歌人・斎藤茂吉(71)』★『53歳で30歳年下の女性に老らくの恋』★『熱烈なラブレターを出す』★『・ボンレスハムはダイヤモンド以上の貴重品 』

2013/07/25     百歳学入門(77)記 …

no image
『中国紙『申報』からみた『日中韓150年戦争史』➉福沢諭吉の「脱亜論」と時事新報主張に全面的に賛成した英国紙

     『中国紙『申報』からみた『日中韓150年 …

no image
『F国際ビジネスマンのワールド・ニュース・ウオッチ(197)『直近のNYTは大隅教授のノーベル賞受賞を多角的に報道(Yoshinori Ohsumi of Japan Wins Nobel Prize for Study of ‘Self-Eating’ Cells )日本の科学ジャーナリズムの貧困とは大違い』●『「社会がゆとりを持って基礎科学を見守って」大隅さんは会見で繰り返し訴えた』

 『F国際ビジネスマンのワールド・ニュース・ウオッチ(197)★ Yoshino …

『テレワーク、SNS,Youtubeで社会貢献し臨終定年をめざ方法』★「鎌倉鶴岡八幡宮の源氏池に咲きほこる「蓮の花」★『蓮の花は四日の命 -初日は早朝5時頃から外側の花弁がゆるみ、ゆっくり開花、4~5㎝ほど開花するとそれ以上開かず、八時頃より閉じはじめ元の菅の状態に戻る』

<2012/07/12の動画再録>   鎌倉蓮の花百選ー鶴岡八幡宮の源 …

no image
知的巨人の百歳学(138)-『六十,七十/ボーっと生きてんじゃねーよ(炸裂!)」九十、百歳・天才老人の勉強法を見習えよじゃ、大喝!』-儒学者・佐藤一斎(86歳)の『少(しよう)にして学べば、則(すなわ)ち 壮にして為(な)すこと有り。 壮(そう)にして学べば、則ち老いて衰えず。 老(お)いて学べば、則ち死して朽ちず』

  2018/04/11    …

『鎌倉ウインドサーフィンチャンネル」★『春の嵐の海で富士山サンセットに向かって飛び、波根(はね)、舞うサーファーたち』(2023年3月1日午後5時)

鎌倉ウインドーフィン(2023年3月1日午後5時)