『オンライン/ベンチャービジネス講座』★『日本一の戦略的経営者・出光佐三(95歳)の長寿逆転突破力、独創力はスゴイよ②』★『「ライオンでも鼻のなかに蚊が一匹はいったら、クシャミくらいするでしょう」』★『金の奴隷となるな、人問がしっかりしておれば、金は自然に集まってくる』
2021/12/27
前坂 俊之(ジャーナリスト)
軽油を給油する下関からの海上油輸送が軌道にのった1914年(大正3)、出光は大陸、満州へ進出しました。
当時日本最大の国策会社・南満州鉄道会社(通称・満鉄、本社は大連)に冬場はマイナス30度にも達する蒸気機関車用に「不凍油」を売り込んだ。見積書を出せと言って、現物も納めたが、2年たっても、うんともすんとも返事がこない。
出光は不合理な要求に対しては断固として交渉、ケンカする態度を貫いてきた。出光はカンカンに怒って「見積書を出したのに結果の連絡がない。あの不凍油を使わないと車両火災が続発しますよ」と満鉄に怒鳴りこんだ。満鉄側は「暴言を取り消せ。さもなければ出入り禁止にする」と対立はエスカレートした。
結局、この不凍油と、満鉄が使っていた外国産の不凍油の比較走行テストをすることになり、その結果は出光が完勝した。
実は外国産のもので車両火災が多発していたが、出光の不凍油では出火は全くなかった。これ以来、出光は満鉄から絶対的な信用を獲得し、出光の名は満州一帯ににとどろいた。
「私はいつも真剣勝負だ。しくじりをやれば命をとられ、店はつぶれる。出光の歴史は、堂々たる主張と努力と熱意とをもって相手を溶かして味方にする戦法だ。(『我が六十年間』第一巻)と語っている。
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●「ライオンでも鼻のなかに蚊が一匹はいったら、クシャミくらいするでしょう」
満州を抑えた日本は、日中戦争(1937年(昭和12)7月)の勃発で、中国本土での泥沼の戦いに突入していった。当時、中国ではまだ電灯は普及しておらず、民衆は灯油によるランプ生活だった。灯油の供給の大半は英米の石油メジャーが握っており、出光のシェアのほんの一部だった。
佐三は日本軍用と日中民衆の両方のために石油基地の建設構想を企画した。「大連と上海(10万トン)に石油備蓄タンクを建設、タンカーで米国から石油を輸入して、大連からは満州一帯に供給、上海からは大陸中央部には陸路で輸送する大プロジェクトを計画した。
しかし、出光には手元資金もタンクの建設資材も全くなかったが、銀行から融資を受けるつもりだった。
まず、陸軍と交渉した。「民生用など必要ない」と即座に拒否された。同業の石油連合も猛反対し、社内からも「冒険すぎる」と反対意見が続出した。 親会社の日石社長に説明すると「資源、資本がケタ違いの英米メジャーに対抗できるはずはない。日本国内も外資に抑えられているのに、単独で勝負しようなんて無茶だ」と忠告した。四面楚歌となったが、一向にくじけなかった。
「あえて困難に立ち向かう」が信条の佐三は「ご忠告ありがとうございます。しかし、ライオンでも鼻のなかに蚊が一匹はいったら、クシャミくらいするでしょう」と苦笑し『小も大を制する』で闘志を燃やし続けた。
出光は社員に対しては「これは国家への奉公だ。出光の実力をためす絶好の機会となる」と説得を続けた。
興亜院と支那派遣軍総司令部ともねばり強く交渉。『石油の1滴は血の1滴』を理解していた陸軍の良識派の将校は同意し、出光しかないとして建設許可を出し、上海の建設用地を確保することができた。
佐三は次の足で東京・丸の内の第一銀行本店をはじめて訪ねて、融資を申し込んだ。対応に出てきたのは渋沢栄一の孫の渋沢敬三担当(その後、日銀副総裁、同総裁)。渋沢とは初めての出会いだったが、上海油槽所の建設計画を説明して、100万円の融資を申し込むと「よろしゅうございます」と直ちに了承した。
驚いた佐三が「本当ですか? 私には担保もなにもありませんが・・・」
渋沢は「それは承知しております。あなたはウソはいわない人ですからね。担保なんかいらないです」と笑顔で答えた。出光の大胆な経営法と信用の高さを前もって知っていたのである。
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●「我に道理があるならば百万に共われゆかん」
―出光の信念と行動力はこの言葉にピッタリだ。軍部にもおくせず勇気をもって反対言論を貫いた。
戦争中に軍部に対してはっきりものを言った知識人は数少ない。1940(昭和15)年2月2日に国会で反軍演説をした斎藤隆夫議員は衆議院議員を除名された。ジャーナリストの桐生悠々の「他山の石」は発禁となった。弁護士の正木ひろしの個人誌「近きより」の言論抵抗などが知られている。当時の全国紙の「朝日」「毎日」「読売」なども軍部の圧力でペンの戦いに屈し、戦意高揚キャンペーンに終始した。「吉田茂」「松安安左衛門」「尾崎行雄」などは軍部と正面から戦った。
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出光の国土要塞化事件ー陸軍とも火花を散らした
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1937年(昭和12)、出光は門司商工会議所から推薦され貴族院議員に当選した。日中戦争が7月に勃発、国家総動員法が施行された。陸軍は外敵が攻めてくることを想定して、「要塞地帯法改正案」を提出した。出光の地盤の門司も要塞地区に指定され、当局の許可なしに住民は庭に穴を掘ったり、木を切ったりすると罰せられる法律。
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出光議員は議会で質問に立ち「国民の住居権を侵害するものだ」と真っ向から反対。陸軍省の武藤章軍務局長は「敵は国際スパイ戦や謀略戦を仕掛けてくる」と大声で怒鳴りつけた。
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出光は「大声で怒鳴って片づけるのは、軍の悪いクセ。声の大きさだったら、私も負けない」と逆に怒鳴り返し一歩も引かなかった。その気迫・闘志に押されたのか、武藤局長が「言い過ぎがあったとしたら、謝る」とサヤを納めて、同法案は廃案となった。
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元陸軍少将は「吉田茂でさえ憲兵に引っ張られた時代に、あれほど軍にタテついた出光が生き残ったのは不思議だ」とその勇気と度胸に感心したという。(『出光五十年史』より)
こうして出光は独自の潤滑油や搬械油を開発してメジャーを抜いて、満州、朝鮮、台湾までの幅広い海外市場に進出していった。
出光は「我が六十年間」の中で、自分の頭で考え体当たりで実践してきたその独創的な経営哲学についてこう語る。
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金の奴隷となるな、人問がしっかりしておれば、金は自然に集まってくる
「創業後7、8年(大正中頃)は銀行から資金融資が受けられず、死ぬか生きるか、非常な苦しみを味わった。その間に覚えたことは、人間がしっかりして、力を合わせておれば、どこからか金は出来てきて、難関は突破していけるということだ。。それが「人間こそが資本である」という言葉になった。出光は主義方針を貫き通して銀行以外の金は借りなかった」
つづく
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