前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

『オンライン/新型コロナパンデミックの研究』ー『感染症を克服した明治のリーダーたち②』★『後藤新平と台湾統治と中国のねじれにねじれた100年関係』(5月15日)

   

後藤新平と台湾と中国

                   前坂 俊之(ジャーナリスト)

今回の新型コロナとの戦いで最も成功した国は台湾であろう。

その台湾を125年前の1895年(明治28)4月、日清戦争で勝利した日本は植民地にしたが、当時の台湾は「化外の地」(文明の及ばない未開の地)で下関条約を締締した清国全権・李鴻章は伊藤博文首相に、「台湾には四害(アヘン、生蕃(原住民)、土匪、伝染病(風土病)」があり、統治は手を焼くよ」と捨て台詞をはいたほどた。この言葉通り、台湾統治は困難を極めた。欧米からは「日本に植民地経営は無理だ」と言われた。

そこで明治31年(1898)3月、日清戦争終結後、伝染病が蔓延する中国大陸から兵士23万人を検疫、防疫体制を築いて帰還を成功させた陸軍随一の切れ者・児玉源太郎に第4代台湾総督の白羽の矢が立った。

児玉は女房役に戦略家の後藤新平(民生長官)と新渡戸稲造(後の国際連盟事務次長)らを引き連れての台湾に乗り込んだ。

後藤は統治方針を「不言実行」「郷にいれば、郷に従え」と献策、児玉総督の着任施政方針も「言葉よりの実行だ」とやめさせた。民衆を承服させるものは、言葉や美辞麗句ではない。黙って片ッ端から実行する。すると「今度の総督はできるぞ!」と一度に評判が上がり、ウワサは千里を走る、というわけだ。

「植民地政策にはバイオロジー(生物学)が必要だ」が後藤の口癖で、「ヒラメの目を、にわかにタイのようにしろと言ったって、できるものじゃない。郷に入れば郷に従えで、その国民の民度、風俗、習慣に従わねばならない」という原則とした

後藤は台湾総督府民政長官に就任するや、ただちに伝染病撲滅のために『都市の衛生環境改善と医療制度の充実』に取組んだ。「台湾汚物掃除規則」「伝染病予防規則」「汽車検疫規則「伝染病予防消毒心得」と次々に実行した。1899年(明32),台湾医学校を設立して台湾人の医師を養成し、台湾医療の近代化を推進した。毎年のように中国大陸からのコレラ、ペストなどの伝染病の襲撃が続いた。明治29、30年のペスト患者は約3万人(うち死亡者2万4千人)にも上ったが、1917年(大正6)にやっと撲滅に成功した。

 台湾で最も恐れられていたのはマラリアで、1915年(大正4)年の台湾の人口は330万だが、マラリアの死亡者は約1万3千人を超えていた。総督府は1929(昭和4)「マラリア治療実験所」を設立。伝染地区をロックアウトして撲滅し、台湾を『伝染病のないきれいな島』へと変えていった。

中国の宿痾(しゅくあ)で、根絶不可能といわれたアヘン吸飲問題では

後藤は緩急自在な戦略をとり、全面禁止をすれば、暴動が起きる。二個師団の兵力でも鎮圧できない。そこで、アへンを国家の専売として吸飲を条件付きで公認し、50年後にアへン中毒を根絶する「漸禁策」をとった。当初16万人いたアヘン吸飲者は1945(昭和20)年に根絶に成功した。

 

伝染病などの予防、良好な衛生インフラには近代的な上下水道が欠かせない。日本が台湾を領有した直後、台北には上下水道がなく、市民河から水をくみ、浅い井戸水を飲用したために、上下水と糞尿が入り混じた「毒水」が街中にあふれていた。

台湾総督府はこの「毒水」の克服に取組み、土木部技師の浜野弥四郎らが指導して1906年(明治39)、淡水街水道建設に着手、大小水道は一九四一年(昭和16)の段階で156万人に水道を普及させた。台北の鉄筋コンクリート上下水道は東京、名古屋よりも早い建設だった。(黄文雄著「日本の植民地の真実」(扶桑社、2003年)

さらに重要な治水工事のダム建設も、総督府土木部の八田与一技師が1930年(昭和5)に台南市に当時東洋一を誇る烏山頭ダムを完成し、灌漑整備によりダム周辺は台湾最大の穀倉地帯に生まれ変わった。

 

こうして、1945年(昭和20)8月に、太平洋戦争で日本が敗戦するまでは『伝染病を撲滅した台湾』に生まれ変わていた。

ところが、日本の敗戦、撤退と同時に「近代思想、衛生観念のない」(前掲書)の中国・国民党軍が進駐、統治する時代に一転、再び中国からコレラなどが侵入し、その死者は1947(昭和22)2月28日の「二・二八事件」(中国国民党による長期的な白色テロ事件、台湾行政院による犠牲者数は1万8千〜2万8千人)以上」(黄文雄「新型肺炎 感染爆発と中国の真実」徳間書店)の壊滅的な惨害をもたらした。

今回の新型コロナのパンデミックは中国武漢発と言われる。中国は古代から水害、干ばつ、大疫(伝染病)、蝗害の連続的な発生に見舞われており、水害の後には、食糧危機、餓死、伝染病の蔓延して歴代王朝(明王朝など)が崩壊する栄枯盛衰を繰り返してきた。

ここ20年前からの4回のパンデミックをみても、アジア、香港の2回は中国が発生源で、2002、3年のSARS、今回の新型コロナ(COVID-19)、鳥インフルエンザ(H5N1)の感染者も中国で多発している。

その原因を考えると➀中国の衛生観念の希薄さ、医療制度の不備②環境汚染大国③希少動物やコウモリでも何でも食べる食文化③農村部の人畜共棲の生活④情報隠蔽、秘密主義➄皇帝制度、一党独裁共産主義などの政治体制の旧弊さ背景にある。

トランプ大統領は中国に莫大な損害賠償請求を検討し、中国も激しく反発、非難合戦になっており米中貿易戦争は情報戦争にエスカレートしている。1930年代の世界大恐慌、その後の第二次世界大戦前夜の雰囲気になってきた。

 - 人物研究, 健康長寿, 現代史研究, SNS,youtueで社会貢献する方法

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
『地球環境大異変の時代③』ー「ホットハウス・アース」(温室と化した地球)★『 日本だけではなく世界中で、災害は忘れたころではなく、毎年、毎月、毎日やってくる時代に』突入!?』

  『災害は忘れたころではなく、毎年やってくる時代に』         …

no image
「エンゼルス・大谷選手の100年ぶりの快挙」★『「才能だけでは十分ではない。挑戦する勇気が人々の心を変える」』★『ニューヨークタイムズ特集「日本ハムで入団交渉を担当したスカウトが、ミケランジェロやアインシュタインのように何でもできる天才と評価していた』★『連載「エンゼルス・大谷選手の大活躍ー<巨人の星>から<メジャーの星>になれるか」①『A・ロドリゲス氏は「これは世界的な物語だ」と絶賛』』

「エンゼルス・大谷選手の100年ぶりの快挙」   新型コロナ禍で世界中 …

世界が尊敬した日本人(56)松旭斎天勝―世界公演で大成功した「魔術の女王」として、「ジャポニズム」 を巻き起こした。

  世界が尊敬した日本人(56) 松旭斎天勝―世界公演で大成功した「魔 …

no image
日本天才奇人伝⑤近代の巨人・日中友好の創始者・岸田吟香伝②荒尾精ら情報部員を支援、中国各地で情報収集

日本天才奇人伝⑤       近代の巨人・日中友好の創始者・岸田吟香伝② <陸軍 …

no image
片野勧の衝撃レポート(69)戦後70年-原発と国家<1957~60> 封印された核の真実 「戦後も大政翼賛会は生きていた」-「逆コース」へ方向転換(下)

片野勧の衝撃レポート(69) 戦後70年-原発と国家<1957~60> 封印され …

no image
速報(461)『オウンゴール国家「日本」の悲喜劇ー『アジアの平和を脅かす日本の失言・失策癖』(FT紙)

 速報(461)『日本のメルトダウン』   ●『オウンゴール …

no image
速報(143)<低線量被ばくまとめ>『低線量被ばくの人体影響:近藤誠・慶応大』『論文解題:調麻佐志・東工大准教授』ほか

  速報(143)『日本のメルトダウン』   ★<低線量被ば …

no image
日本リーダーパワー史(203)『辛亥革命100年』・今後の日中関係のヒント②日本最大の革命家・宮崎兄弟はスゴイ!

    『辛亥革命100年』・今後の日中関係を考えるヒント② …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(175)★『中曽根康元首相(101歳)が11月29日午前、死去した』★『中曽根康弘元首相が100歳の誕生日を迎えた』★『昭和戦後の宰相では最高の『戦略家』であり、<日米中韓外交>でも最高の外交手腕を発揮した。』

  田中角栄と同期で戦後第1回目の衆議院議員選挙で当選した中曽根康弘元 …

no image
高杉晋吾レポート⑭『新潟県集中豪雨被害ルポ』(上)ダムは被害激増の元凶。被災から身を守る住民の力、脱ダムへ転換を!(1)

  高杉晋吾レポート⑭ 『7月末の新潟県集中豪雨被害のルポルタ―ジュ』 …