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知的巨人の百歳学(143)知的巨人たちの往生術から学ぶ②-中江兆民「(ガンを宣告されて)余は高々5,6ヵ月と思いしに、1年とは寿命の豊年なり。極めて悠久なり。一年半、諸君は短命といわん。短といわば十年も短なり、百年も短なり」

      2019/07/09

 

  百歳学入門②ー知的巨人たちの往生術から学ぶ②

  

前坂 俊之

 
「確かに、宗教家は死の芸術家、死に方の美学の追及者ですからね、死に方のりっぱなお手本を示してもらわないと困るというわけです。しかし、葬式坊主が日本の宗教者の大半を占めているように、いまや世の中全体が”偽(にせもの)と戯(たわむれ)の人間ばかりになってきている。そんな気がしますが、宗教者以外に見事な最期だったなという人はありますか・・」
 
『何といっても、死に方の美学でいえば、明治人はすごい。生きることに一生懸命だった明治人は死ぬことまで一生懸命努力した、最後の瞬間まで精一杯生きたといえます。中江兆民、森鴎外らは特に壮絶です。
 
森鴎外は陸軍軍医としてトップに上り詰めながら、深夜に帰宅してからの短い自分の時間を寝食けずって文学活動にいそしみ、膨大な作品を書いた。『渋江抽斎』などの史伝小説、戯曲、『元号考』など考証と幅広い超人的な執筆活動をしています。『舞姫』などの恋愛小説も書いていますから、コチコチの陸軍内では、風上に置けないとして、左遷もされていますね。
 
その森鴎外が体の変調に気がついたのは1920年(大正9) 1月、59歳のときです。腎臓病で、翌年にはますます症状が悪化し、死病であることを自覚します。死の二ヵ月前に親友への手紙で、死の心境を吐露。「医者に見せると、一切の仕事をやめて、入院せよというのは間違いない。だが、自分は目下『元号考』の著述に取組んでいる。一年長く生きるより、著述を完成させたいので、医者にはいかぬ」と。
1922年(大正11年)に入ると、肺結核も併発した。いよいよ最期と悟った鴎外は遺言を口述します。
 
「死は一切を打ち切る重大事件なり、いかなる官憲威力もこれに反抗することをえず、余は石見人森林太郎として死せんと欲す」。
これから3日後の7月9日に61歳で死去しています。』
 
 
 
『「東洋のルソー」といわれた自由民権の思想家・中江兆民(1847 ―1901)の死はもっと壮絶ですね。明治34年3月、兆民54歳の時、ノドに激痛を覚え、医者から「口頭ガンで余命は一年半、せいぜい二年」と宣告されます。
 「余は高々5,6ヵ月と思いしに、1年とは寿命の豊年なり。極めて悠久なり。一年半、諸君は短命といわん。短といわば十年も短なり、百年も短なり」と覚悟を決める。早速、気管を切開するガン摘出手術を受けて、筆談でしか意思の疎通ができなくなった。
 
 兆民は呼吸も困難、食事もノドを通らず、身体も動かすことも出来ず、四六時中激痛にさいなまれ、やっと麻痛剤で眠る状態が続いた。痛止めなどもない時代のこと。
 
 
すさまじい苦痛と闘いながら、気力をふりしぼり、一冊の本もたず、記憶だけで毎日、書きつづけ、約2ヵ月で 8月3日に遺作『一年有半』を脱稿、これが博文館から出版され約二十万部のベストセラーとなります。同9月3日、医者に死期の明言を迫り、「来年2,3月ごろまで」との回答を得る。
 
一層激しくなる疼痛、不眠、咳痰に苦しみなが、最期の力の1滴までをふりしぼって、わずか二十日余りで『続一年有半』を書き上げて、10月15日に出版する。
 
この中で、自説の「無仏、無神、無精魂」を主張しています。神仏には一切頼らぬという合理主義者の兆民に、周囲からの加持祈祷の勧めがくるのを断固拒絶。このあと気力を使い果たしたのか12月13日に衰弱で死去、享年54歳です。
 
 
遺言は「遺骸は解剖すること、葬式は行わざること」、このため、弟子たちは葬式を廃して、遺骸に告別する儀式を行った。これが現在の告別式の始まりで、板垣退助、大井憲太郎、頭山満ら自由民権運動家、幸徳秋水らの門弟約一千人の参列して盛大な告別式を行なっています。』
 
『2人の死に様には切腹の美学と共通のものが感じられる。死を自らの意志で生に換える。正しく、よく生きることは、よく死ぬこと、生者必滅、生死一体の実践です。私は還暦が過ぎても老いとか、自分の死の足音を実感したことはなかったんですが、64歳過ぎたある日、突然、残り少なくなった砂時計のように、毎日の時間がつるべ落としに早くなっていくのを痛感して、時間の観念が変わりました。明日はない、明日は死ぬかも知れぬ。そのためには今日を生きる、現在この瞬間を懸命に生きよう、一日一生、一瞬一生の思いが強くなりましたね』
 
「皆さんの生きるクスリとなる『禅話』がありましたら、言ってください」
 

 

『私が一番好きなのは一休さんの頓知話ではなく、これはホントの話のようです。

 
 応仁の乱(1467 – 1477)によって焼け落ちた京都・大徳寺に一休宗純が勅命で住持(第47代)に任じられたのは81歳の時のことです。一休は寺の再建をはたすと、さっさとやめ、1481年に87歳で亡くなります。亡くなる直前に遺言状を書き、その開封にはきびしい条件をつけました。
 「この遺言状は決して開けてはならん。しかし将来、大徳寺が危機存亡の淵に立った時はその限りではない。ただし、開封する前に役僧が集まって1週間、真剣に検討して、どうしても名案が浮かばない時にのみ開けてもよい」
一休の没後百年ほどたって大徳寺の存立にかかわる重大問題が起こった。役僧が集まり鳩首会談を何度も繰り返したが、対案は浮かばない。遺言を守ってさらに1週間、会議を続けたが、ついに名案は浮かばなかった。ギリギリの瀬戸際に追い込まれた。
最後の手段は一休の知恵にすがり、教えを乞うしかない。ふるえる手で一休の遺言状を取り出し、全員緊張に震えるながら開封した。そこには次のように書かれていたといいます。 「なるようにしかならん。心配するな」』
私は人生の壁にぶつかるといつもこの話をおもいだしますね」
 
『ウーン・・人生の知恵ですね。将来の起りうることで人があれこれ心配したり、不安を覚えることで、実際に起ることはその何十分の一と言います。起らないことのほうが圧倒的に多いのです。どうも心配性の人、不安がる人、不安が心配となって心痛になる人が多いのですが、一休のように『なるようになる』と心の持ち方を帰ることが大事ですね、生きる知恵です。なるようなって、もしおこってしまえばそのときはそのときで考え、対策をとればよいこと、つまり取りこし苦労をしないことですね』
 
 
 
『この一休さんという号のいわれは、禅宗の『碧巌録』の一節に 『有漏路(うろじ)から無漏路(むろじ)へ通う一休み、雨降らば降れ、風吹かば吹け』というのがあります。ここからきています。
 
 
「(有漏路)」とは迷い、煩悩の世界、「無ろじ(無漏路)」とは悟り、仏、あの世の世界のことです。人生とはまったく一時のもの。この世からあの世に行く、ほんのひと時であり、その一休みが人生であるというわけです。人生は迷いのある状況から惑いのない境地への旅であり、そこでの一休み、雨降らば降れ、風吹かば吹けといって、「一休」と号したんですね。雨が降ろうが風が吹こうが、大したことはないという意味ですね。
広大な宇宙の世界、人類の進化とくらべると、人間の生命なんて一瞬の光のようにすぐ消えていく。10年や20年長生きしたところで、大したことはない、宇宙の何万光年という時間と比べればみんな等しく一瞬のうちに死んでいく。人間本来無一文、無生命、なんでそんなに急ぐのか、あくせくしなさんなということになる。
 
「まあそんなに硬くなって肩肘張って、ツッパって生きていくことはないではないか、良慶さんの「ゆっくりしいや」「ぼちぼちいこか」というところにかえってくるね。
 
まあ、人間本来無一物なんですね。おぎゃあとハダカデ生まれて、ハダカで新で死んでいく。死ねばわずか1畳にみたない棺に入るしかない。権力の栄華を尽くして世界中の黄金財宝金銀カネも、富と、山海の珍味と美食、贅沢をあじわい、ハーレムをつくって世界中の美女をはべらして性的なものをこれまた味わいつくしても、死ねばも壮大なピラミッドや、金銀でかざった巨大な墓をつくってみても、死ねばわずか1畳にみたない棺に中に入るしかない。所詮、権力とはむなしいものです。ピラミッド、中国の漢民族の皇帝の墓をみてもおなじですね。
 

「立って半畳、寝て1畳、天下をとっても2合半」という昔の武士の戯歌がある。

 
それだけの生活空間があれば人ひとり生きてゆけるのです。また、天下をとっても、その美酒に酔えるのは酒を2合半も飲めば人間満足するという意味です。50代までは浴びるように飲んでいたのが、60歳も過ぎれば日本酒ならせいぜい3合ほど、ワインだって半ボトルくらいしか飲めなくなります。所詮人間の胃袋とはそんなもの。
 
 
無理をせずあるがままに任せて淡々と無欲に徹し切る。
 
肩肘張って、百万人といえどもわれ往かんなんて悲壮がることもない。権力や富などとは別の地平で、自然のまま、運命に従順に静かに生きてゆく。古来からそのような自然の中に隠棲して風雅に生きてきた西行、吉田兼好、一休、96歳まで長寿を保った『超俗の画家』「仙人画家』の熊谷守一のような生き方を理想としている人も多いですね。

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