前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

記事再録/知的巨人たちの百歳学(136)-『酒で蘇生した「酒仙」横山大観(89)の「死而不亡者寿」(死して滅びざるもの寿)

   

  「百歳・生き方・死に方-臨終学入門(118)

  富士山は無窮の象徴である」と富士山を中心に描いた。絶筆も『不二』だったが、一度も富士山に登ったことはなかった。

                               前坂俊之(ジャーナリスト)

wiki 横山大観

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E5%B1%B1%E5%A4%A7%E8%A6%B3

横山大観は、明治初めに岡倉天心の理想を受け継ぎ、日本画の近代化を行うと同時に、明治・大正・昭和の三代にわたって、日本画を革新し続けてきた、わが国、画壇の最高峰である。

大観は生涯、「富士山は無窮の象徴である」として、富士山を描き続けた。絶筆も『不二』だったが、一度も富士山に登ったことはなかった。日本精神の原点として、富士山の美姿に打たれ、描き続けたのである。終生、在野精神を貫き、昭和十二年(1937)、第一回の文化勲章を受章したものの芸術院会員は断った。

九十歳の長寿を全うし、最後まで旺盛な創作欲は衰えなかった。そのエネルギーの源泉は日本酒。それも広島の銘酒「酔心」以外は一切飲まなかった。

「酒仙大観」といわれ、若い時は毎日二升(3・6リットル)は軽く飲み干し、八十歳を過ぎても一升は欠かさなかった。御飯はほとんど食べず、朝から2合(0,リットル)を飲み、昼は三合、夜は残りを飲んだが、それでも足りなかった。

酒の肴は肉や魚は全く口にせず、オカズはもっぱら野菜やウニ、カラスミ、果物などで、静子夫人は「ウグイスのように、ナッパぽっかり食べています」と。固形物をとらないため、大観の胃は普通の半分ぐらいに小さくなってしまったという。

「酒は米のジュースなので、米食しなくても同じこと……」

と、大観はすましていた。

昭和三十一年二月、八十八歳の大観は辻政信参議院議員の仲立ちで、不和だった中村岳陵(日本画家)との和解の宴を築地の料亭で催した。

この時、大観は飲み過ぎて、下痢が続いて病にふせった。それでも連日、「酔心」を飲んでいたため突然、危篤状態に陥った。

三月十九日、日本美術院の重鎮たちに危篤通知が出されて、友人や弟子がかけつけた。病床でお別れに「先生は酒がお好きだから、最期はお酒を飲ませて送ろう」

と目覚めた瞬間に吸飲みで「酔心」を一合飲ませた。ところが、これで再び意識がよみがえり、翌朝には快方に向かって危機を脱した。元気になった大観は再び、二日に一升近くの酒を飲み始め、翌32年11月には病床から完全に離れ、画筆を持つまでになった、という。まるでウソのような本当の話である。

「堂々男子は……」

「世間では私を大酒飲みと思っているが、私はただ酒を愛するだけです。酒徒なのです。だがいくら酒が好きでも寝床で飲むんじゃまずい。とくに吸飲みなんかではね」と大観。

最晩年には「酔心」を、酒七分、水三分、または半々に薄めてちびちび飲んでおり、主治医は「大観は飲むと心臓の働きも活発になり、酒は強心剤とも言える。長年の習慣が酒に適した身体を作ったのではないか」とあきれる。

飲んで興にいると、岡倉天心作の「日本美術院歌」を朗々と大声で歌い、「堂々男l子は死んでもよい」の「よい」に、なんとも言い表わせない味と調子をにじませた。

大観がこの歌を歌いだすと、主治医らは体調のよい証拠として喜んだ。この美術院歌を大観がレコードに吹き込んだ時のこと。しらふではなかなか歌えない。ずっとできないまま、二週間ほど経ったある日、制作者が「レコードができました」と突然、持ってきたので、大観は「俺は吹き込んだ覚えはない」と驚いた。

よく聞いてみると、ある晩、隣室にそっとテープコーダーが持ち込まれ、大観が酔って歌い練習していたところを録音したのだった。「油断もスキもありません」とぼやいた。

晩年、大観は老子の言葉の「死而不亡者寿」(死して滅びざるもの寿)を好んで、揮号していた。

 - 人物研究, 健康長寿, 現代史研究

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
ニューヨーク・タイムズで読む日本近現代史 ②明治維新にアメリカ人が見た中国、インド、日本人のカルチャーショックを比較する

<『ニューヨーク・タイムズ』で読む日本近現代史 の方がよくわかる②> &nbsp …

『Z世代のための日本興亡史研究』★『2011年3月11日の福島原発事故発生で民主党内の菅直人首相対鳩山由紀夫、小沢一郎、野田佳彦の派閥闘争が激化、自滅した』★『成功例の江戸を戦火から守った西郷隆盛と勝海舟、高橋泥舟、山岡鉄舟(三舟)の国難突破力①』★『人、戒むべきは、驕傲(きょうごう)である。驕心に入れば、百芸皆廃す』(泥舟)』

2011/06/04 日本リーダーパワー史(157)記事転載再編集 『江戸を戦火 …

「第45回 東京モーターショー2017」-『TOYOTAブースの「GR HV Sports」コンセプトカー』★「DAIHATSUブースのコンセプトカー」

日本最先端技術『見える化』チャンネル  「第45回 東京モーターショー2017」 …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(1)記事再録/日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(元寇の役、ペリー黒船来航で徳川幕府崩壊へ)ー日清、日露戦争勝利の方程式を解いた空前絶後の名将「川上操六」の誕生へ①

    2015/11/18 /2015/11/2 …

no image
『リーダーシップの世界日本近現代史』(279)★『新型肺炎の国家リスクにどう対応するか」★『 帝国ホテル・犬丸徹三が関東大震災で示した決断/実行力 に学ぶ>

 2011/04/03   日本リーダーパワー史( …

no image
TPP交渉、日中交渉で外交力を発揮せよ①>日本は戦争では勝ったり、負けたり、外交では負け続けてきた「交渉力無能国家」

   <TPP交渉、日中交渉で外交力を発揮せよ①> &nbs …

no image
日本一の「徳川時代日本史」授業④福沢諭吉の語る「中津藩で体験した封建日本の差別構造」(旧藩情)を読む④

 日本一の「徳川時代の日本史」授業④   「門閥制度は親の仇 …

no image
『オンライン/最後の海軍大将・井上成美が語る山本五十六のリーダーシップ論』★『2021年は真珠湾攻撃から80年目、米中日本の対立は火を噴くのか!』

    2019/08/04 &nbsp …

no image
 日本メルトダウン(994)―『かつての「政財官」鉄のトライアングルの『日本株式会社』、「世界で最も成功した共産国日本」、「社会主義国家以上に社会主義的な日本の会社主義」は昔の夢、いまや「アジアの後進国」に転落し、「小中学生の数学テストではシンガポール、香港、韓国、台湾にぬかれて5位。これではIT競争力の復活は絶望的、日本沈没待ったなしを示す赤信号情報9本』●『  20代兄弟が生んだ1兆円企業、モバイル決済「ストライプ」の躍進』●『アジアの富豪一族資産ランキング」発表、日本は二家族がトップ50入り』

 日本メルトダウン(994)   20代兄弟が生んだ1兆円企業 モバイ …

『Z世代のための 欧州連合(EU)誕生のルーツ研究」①』★『EUの生みの親・クーデンホーフ・カレルギーの日本訪問記「美の国」①』★『600年も前に京都と鎌倉が文化の中心で栄えていた。それと比べるとパリ、ローマ、ロンドンは汚ない村落に過ぎなかったと、父は私たちに語ってくれた。』

      2012/07/05  日本 …