前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

書評/河田宏著「第一次世界大戦と水野広徳」三一書房(1996)★『中野正剛と水野広徳を論議させたところはまるで「三酔人経綸問答」』

   

書評「図書新聞」(1996年6月15日)掲載
河田宏「第一次世界大戦と水野広徳」三一書房(1996年)
前坂 俊之

水野広徳

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E9%87%8E%E5%BB%A3%E5%BE%B3

河田宏

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E7%94%B0%E5%AE%8F

第一次世界大戦のことを考える人は今やほとんどいない。確かに、日本が積極的に武力でアジア、太平洋の各地に戦場を拡大し、日本本土も直接、空襲で焼かれ焦土と化し、軍人、非戦闘員合わせて死亡、重軽傷、行方不明者は約三百万人、

アジアの人々に甚大な被害を出した未に敗戦した第二次世界大戦は何といっても圧倒的に強烈な国民的体験として焼きついている。

それに比べて、参戦しながら、遠く離れたヨーロッパが戦場であり、ドイツ領の中国山東半島の青島要塞攻撃などでわずかに約八百人ほどの戦死者(米国は第一次世界大戦の戦死傷者35万人)を出しただけの第一次世界大戦は日本にとっては対岸の火事であり、濡れ手に粟で経済的に莫大な利益を上げて大戦景気にわいた。

漁夫の利をしめた日本は明治以来の大陸への侵略、膨張政策を一層推進していった。いわば、「天佑となった」この大戦と第二次大戦では、受け止め方が一八〇度違ってもやむを得ぬかもしれない。

ところが、ヨーロッパでは連合国、敗戦国合わせて戦死傷者4772万人を出し、莫大な戦費によって約四百年の栄華を誇ったヨーロッパは没落した。第一次大戦こそ大きな意味を持っており、それまでの戦争の概念をまるつきり変える国家総力戦となったばかりか、それまで支配的であった帝国主義的ルールにも終止符を打ったのである。

ところが、世界史の転換点となったこの第一次大戦の意味を、真に理解していた日本人はほとんどいなかった。海軍大佐の水野広徳らはその例外の一人であった。日本の悲劇はそこに始まり、それ以降の昭和の転落の軌跡は第一次大戦から日本人が何も学ばなかった点にある。

本書はこのターニングポイントとなった第一次世界大戦後のパリ講和会議を軸に、そこに集まった西園寺公望、牧野伸顕、近衛文麿、松岡洋右、中野正剛、水野らが何を見て、どう行動していったかに迫った歴史フィクションである。

日本側の方針はドイツの権益の獲得だけで、それ以外は直接利害に関係しない限り干渉せず、人種差別撤廃を切り札として提出した。これによって、日本の中国、朝鮮政策を列強に認めさせるテコにしたのである。

会議では全く発言せず「サイレント・パートナー」に終始した西園寺ら日本側代表に対して各国は猜疑心を深め、ドイツに次いで日本は侵略国家とのイメージを決定づけた。

新聞記者として取材に来ていた中野正剛は日本全権の態度に絶望して途中で引き上げた。これを境に中野は豹変し民主主義的な悠長な方法では間に合わない、として急進的な国家主義者として政治家になる。

その後の日本の進路を象徴する中野と水野の二人は実際には会ってはいないが、シンガポールで会わせて論議させるところは本書の圧巻であり、まるで「三酔人経倫問答」である。

後半では明治の戦記ベストセラーの「此の一戦」「次の一戦」などを書き、軍国主義者だった水野が第一次大戦前後のヨーロッパを視察して一八〇度変わり、反戦平和主義者になったが、その軌跡をたどった。

激戦地の西部戦線で水野がみたものは、老若男女を無差別に殺戮し、都市も農村も徹底して破壊される近代戦の恐ろしさであり、国家総力戦の実態であった。

著者が取材で訪れた最激戦地のベエルダンは水野の思想的転換を迫った死体累々、全山鮮血染まった約七〇年前を彷彿させるような真っ赤なケシの花が原野一面に咲き乱れていた。水野はそこに次の戦争の実態、東京の焦土と化した姿を二重写しに見たのである。

本書はこれまで解明されることのなかった第一次大戦、パリ講和会議とそれを取り巻く群像に焦点を当て、歴史的事実のディテールを細かく積み重ねながら、水野広徳に迫っており、貴重な労作である。

(静岡県立大学・国際関係学部教授)

 - 人物研究, 健康長寿, 戦争報道, 現代史研究 ,

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

『Z世代への日韓関係近代史の研究講座』★「延々と続く日韓衝突のルーツを訪ねる➀ー『朝鮮の暴動激化―東学党、各地の村で放火、住民殺害、税務官ら焼き殺される。 朝鮮王朝が行政改革を行えば、日本は反乱鎮圧にあたる見込―ソウル(朝鮮)1895年12月12日>

2011年3月16日の記事再録/『ニューヨーク・タイムズ』(1895(明治28) …

no image
知的巨人の百歳学(156)記事再録/ 百歳学入門(155)文化勲章のもらい方ー文化勲章は大嫌いと断った「超俗の画家」の熊谷守一(97歳)と〝お金がもらえますからね″といって笑って答えた永井荷風〈当時72歳〉

    2016/07/22 &nbsp …

日本リーダーパワー史(672)日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(54)「日清、日露戦争勝利の陰で川上操六、田村怡与造、児玉源太郎と三代歴代参謀総長(次長)はそろって日本救国のために殉職(過労死)した。

 日本リーダーパワー史(672) 日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(54)   …

★『湘南海山ぶらぶら動画日記』★『2月18日夕方、クリーンな富士山のサンセットを見ようと久しぶりに葉山森戸海岸、石原裕次郎の記念碑までぶらり散歩したよ。かくも美しき世界に心癒される』』

湘南海山ぶらぶら日記         葉 …

『Z世代のための日本の超天才人物伝⑨』★「藤田嗣治とパリの女たち」★「最初の結婚は美術教師・鴇田登美子、2度目は「モンパルナスの大姉御」のフェルナンド・バレー、3度目は「ユキ」と名づけた美しく繊細な21歳のリュシー・バドゥ』★『夜は『エ・コールド・パリ』の仲間たちと乱ちきパーティーで「フーフー(お調子者)」といわれたほど奇行乱行をしながら、昼間は毎日14時間以上もキャンバスと格闘していた』

2008年3月15日 「藤田嗣治とパリの女たち」記事再録再編集 前坂 俊之(評論 …

『オンライン講座/日本の国難突破力』★『明治維新の革命児・高杉晋作の「不惜身命」★『「風雲児」高杉の神出鬼没、快刀乱麻、勇猛果敢、飄々としたその国難突破力の不動の信念とは」★「平生はむろん、死地に入り、いかなる難局に処しても、必ず、窮すれば通ずで、どうにかなるもんだ。困ったなどとは決していうものじゃない」★『高杉晋作の生家・旧宅を訪ねる(動画)』

     2015/07/29日本リーダーパワー史 …

no image
日本のメルトダウン(532) 「ニューエコノミーを目指す中国の奮闘」(英FT紙)◎「アメリカで叫ばれ始めた「台湾放棄論」―

 日本のメルトダウン(532)     ◎「荒れる …

百歳学入門(149)『百里を行くものは、九十里を半ばにす』 ●『心は常に楽しむべし、苦しむべからず、身はつねに労すべし、 やすめ過すべからず』貝原益軒) 』●『老いておこたれば、則ち名なし』●『功のなるは、成るの日に、成るにあらず』●『 咋日の非を悔ゆるものこれあり、今日の過を改むるものすくなし」(佐藤一斎 )

 百歳学入門(149) 『百里を行くものは 九十里を半ばにす』戦国策 …

『日本を滅ぼした軍閥の研究』★『陸軍工兵の父』上原勇作陸軍大臣の誕生と上原閥の形成ー明治の山県閥、大正の上原閥が陸軍を壟断(ろうだん)し、昭和陸軍の暴走の要因ともなった』(上)』

逗子なぎさ橋珈琲店テラス・富士山を眺めながら講義「日本軍事史」  20 …

no image
片野勧の衝撃レポート(47)太平洋戦争とフクシマ⑳『なぜ悲劇は繰り返されるのかー 福島県退職女性教職員の人々(上)

   片野勧の衝撃レポート(47)太平洋戦争とフクシマ⑳ & …