前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

百歳学入門(48)ー東久邇稔彦(皇族・102歳)はギネスブックの首相ー自由奔放に生きたその最晩年

   

 百歳学入門(48

 

東久邇稔彦元首相(皇族・102歳)はギネスブックの首相


<晩年長寿の達人たち『別冊歴史読本』
200711月号掲載> 

                     
前坂 俊之(ジャーナリスト)

 

 百二歳。世界の総理大臣、首相経験者の最長寿者としてギネスブックに掲載された、昭和天皇の叔父に当たる東久邇稔彦(ひがしくに なるひこ)について知っている人は少ないであろう。

 

皇族軍人として半生を送り、日本の最大の危機に際して宰相として、難局に当たり、後半生は一転して皇族を離れて自由奔放に暮らして百寿を全うした飛びっきり〝異色な皇族″ である。

 

 東久邇内閣が誕生したのは、終戦二日後の昭和二十年(一九四五)八月十七日のことである。「終戦では降伏に抵抗する陸軍が暴発する可能性がある。天皇の威光による皇族内閣

しか、軍人をおさえて、この難局は乗り切れない」と木戸幸一内府から何度も口説かれていたが、「真っ平ご免です」とガンと固辞していた。

 

最後に憔悴しきった昭和天皇から「東久邇たのむ」と懇望され、「終戦の処理がすめばすぐやめさせてもらいます」と渋々引き受けた。無条件降伏による国の滅亡、連合軍の進駐、占領という歴史上最大の難局に「終戦管理内閣」として引っ張り出されたのである。

 

 この時、東久邇は五十七歳。皇族で初めて総理大臣になった例は、日本の憲政史上、後にも先にもはない。

 

叛骨を培った海外生活

 

 東久邇稔彦は、明治二十年(一八八七)十二月、久邇宮家(朝彦親王)の第九子に生まれた。貧乏宮家だったため、生後すぐ京都の農家へ里子に出され父母の顔を知らずに育った。野山を元気にかけ回って、孤独な「ワンバク坊主」としてのびのびと自由に育った。

 

 十九歳で東久邇家が創設されて皇族の一員に。それでも自由奔放で、やんちゃな性格はかわらず、窮屈な皇族生活になって度々周囲と衝突した。明治四十四年、明治天皇との陪食を体の不調を理由に断わったため、大正天皇からさびしく叱責された。東久邇は「皇族を辞めます」(臣籍降下)と申し出てひと騒動起きた。

 

 大正四年(一九一五)に明治天皇の第九皇女の聡子と結婚する。同九年、夫人と子供らを置いたまま単身でフランスに渡った。陸大、政治法律学校に通い、マルクスの「資本論」を読み、社会主義も勉強した。画家モネやルノアール、政治家クレマンソー、ペタンらの軍人とも交友を深めて、革命的と言っていいほど自由で人間性を謳歌した七年間のパリ生

活を送った。

 

 この間、大正天皇とはうまくいかず、大正天皇の容態悪化によって宮内省かち再三帰国の要請があったが、一向に帰らなかった。皇室の殻を破るその大胆で自由な発想、その叛骨精神、国際的で視野の広い考えはこのフランス生活で培われた。

 その後、陸軍軍人として大将まで登りつめたが、軍国主義に批判的で日米戦争には反対し、和平、終戦を口にして軍からにらまれた。近衛文麿や重臣から、第三次近衛内閣の後継首相に出馬を打診されたこともあったが、これは幻に終わり、東条英機の開戦内閣が誕生した。

 

その欧米派の「皇族のホープ」東久邇がどたん場の終戦に登場したのは何とも歴史の皮肉である。

 首相就任直後の八月二十七日、東久邇は「軍も官も民もすべてが総ザンゲすることが、わが国の再建の第一歩であり、国内団結の第一歩である」と記者会見で述べたが、これは

戦争責任を国民に押しっけるものだ、との反発を招いた。この「一億総ざんげ」論は一躍、流行語となった。

 

 八月三十日、マッカーサー元帥が厚木に降り立った。九月十日、武装解除、戦争犯罪人の処罰など、日本占領政策を発表した。

 九月二十七日、モーニング姿の昭和天皇は米大使館にマッカーサーを表敬訪問。軍服姿のマッカーサーと直立不動の緊張した天皇が並んだ写真を各紙は翌日一面トップで掲載し

た。この写真に驚いた山崎巌内相は朝日、毎日、読売を不敬罪で発売禁止処分にした。

 

これにはGHQが激怒し、「新聞・通信の制限を一切撒廃せよ」と日本政府に命令し、山崎内相の罷免、政治犯の釈放などを強くもとめたため、十月五日、ついに東久邇内閣は退陣に追い込まれた。内閣史上最短の五十四日間である。

 しかし、わずか十数日で国内を「降伏」で統一し、連合軍上陸にも全く危害を加えなかった陸海軍の完全武装解除を実現したその危機管理能力は高く評価された。

 八月三十日、マッカーサー元帥が厚木に降り立った。九月十日、武装解除、戦争犯罪人の処罰など、日本占領政策を発表した。

 

 九月二十七日、モーニング姿の昭和天皇は米大使館にマッカーサーを表敬訪問。軍服姿のマッカーサーと直立不動の緊張した天皇が並んだ写真を各紙は翌日一面トップで掲載し

た。この写真に驚いた山崎巌内相は朝日、毎日、読売を不敬罪で発売禁止処分にした。

これにはGHQが激怒し、「新聞・通信の制限を一切撒廃せよ」と日本政府に命令し、山崎内相の罷免、政治犯の釈放などを強くもとめたため、十月五日、ついに東久邇閣は退陣に追い込まれた。内閣史上最短の五十四日間である。

 

 しかし、わずか十数日で国内を「降伏」で統一し、連合軍上陸にも全く危害を加えなかった陸海軍の完全武装解除を実現したその危機管理能力は高く評価された。

 首相を辞めた東久邇はすぐ「臣籍降下」し、敗戦の責任をとって直宮家以外の皇族は全員皇籍を離脱すべきだ、と主張した。昭和二十二年十月の皇室改革で自ら皇籍離脱し、やつと念願の庶民になった。

 

自由奔放に生きた最晩年

 

東久邇は生まれた環境と、長いパリ生活によって庶民感覚に通じていた。商売にも大変熱心で新橋駅西口の闇市マーケットに皇族のまま「東家」という乾物商を開いたり、喫茶

店、タバコ販売、古美術商などを次々に開店したが、いずれも殿様商売で失敗。二十五年には新興宗教「ひがしくに教」の開祖となって世間をアッと驚かせたが、法務府から教名の使用を禁止されてこれも解散とのように自由奔放に暮らしたのである。

 その後、国を相手に二度も土地の訴訟を起こしたり、九十一歳の昭和五十三年には聡子夫人と死別したが、その直後には知人の女性が無断で妻の座に入籍していることが週刊誌でスキャンダルとして報じられて話題になるなど、晩年まで元気そのもので波乱万丈の人生を送った。

 

「最晩年は、子供や孫とは別に一人暮らし。お手伝いさんらが身のまわりの世話をするほかは訪れる人も少なく、視力もほとんど失い、終日、机に向かってラジオを聞く毎日。数年前から入院生活を続けていた」

(『朝日新聞』平成二年一月二十日付)という。

 平成二年(一九九〇)一月に百二歳で亡くなったが、世界の首相経験者の最長寿者としてギネスブック掲載された。

 

 - 健康長寿 , , , , , , , , , , , ,

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
『オンライン/新型コロナパンデミックの研究』ー「2020年4月,米欧から遅れること1ヵ月.日本は「平時から非常時へ」,「知られざる敵との第3次世界大戦に参戦した。第2次世界大戦(太平洋戦争)の愚かな戦争ではなく、「ITデジタルスマート戦争」にする必要がある』

 コロナパニックと緊急事態法発令へ          前坂俊之(ジャー …

『オンライン/-『早稲田大学創立者/大隈重信(83歳)の人生訓・健康法] 『わが輩は125歳まで生きるんであ~る。人間は、死ぬるまで活動しなければならないんであ~る』

  2018/11/27 記事再録/知的巨人たちの百歳学(112)- …

『鎌倉絶景サンセットチャンネル』★『鎌倉材木座海岸のゴールドラッシュ・サンセット(22023年1月5日午後4時40分)

  鎌倉材木座海岸のゴールドラッシュ・サンセット(22023年1月5日 …

『Z世代のための日中韓外交史講座』⑬』★「延々と続く日中韓衝突のルーツ➉』記事再録/中国紙『申報』からみた<日中韓のパーセプションギャップの研究>』⑦『1883(明治16)年3月5日付「申報』の『琉球人の派閥分裂を諭ず』

  2014年6月30日『中国紙『申報』からみた『日中韓150年戦争史 …

『史上最大のジャーナリスト・徳富蘇峰(94歳)の研究』★『近世日本国民史』(戦国時代から徳川時代末(全100巻)と明治期の人物伝などは約500冊近い本を出版』★『その長寿人生作家論の秘密』★「体力養成は品性養成とともに人生の第一義。一日一時間でも多く働ける体力者は一日中の勝利者となり、継続すれば年中の勝利者、人生の勝利者となる』

    2018/6/01  知的巨人の百歳学(1 …

★10 『F国際ビジネスマンのワールド・カメラ・ウオッチ(178)』2016/5『ポーランド・ワルシャワ途中下車④『世界遺産の旧市街』『タクシー・ドライバーが「トヨタは全く故障がなかった、トヨタしか使うつもりはない』と絶賛した

  ★10 『F国際ビジネスマンのワールド・ カメラ・ウオッチ(178)』 20 …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(91)記事再録/★日韓歴史コミュニケーションギャップの研究ー『竹島問題をめぐる』韓国側の不法占拠の抗議資料』★『竹島は日本にいつ返る、寛大ぶってはナメられる』(日本週報1954/2/25)

    2018/08/18/日韓歴史コミュニケー …

百歳学入門(27)お笑い・ジョークこそ長寿の秘訣・内田百閒の『一笑一若、一怒一老』は超おもろいよ

百歳学入門(27) お笑い・ジョークこそ長寿の秘訣・内田百閒の 『一笑一若、一怒 …

『鎌倉カヤック釣りバカ楽々日記』回想録『人生とは重荷を負うて、遠き道を行くが如し(徳川家康)』=「半筆半漁」「晴釣雨読」の「鉄オモリ」のカヌーフィッシング暮らし』★『15年後の今、海水温の1,5度上昇で、磯焼けし藻場も海藻もほぼ全滅、魚は移住してしまったよ!』  

    2011/07/07記事再編集 前坂俊之(ジャーナリ …

no image
日本メルトダウン脱出法(826)「甘利経済再生相、首相の慰留を振り切り辞任 「何とか耐えて政策を進めて」と首相は慰留」●「甘利大臣“口利き問題”の背景にある 公務員制度改革の抜け穴」●「資源価格下落の利益が 企業の内部留保に吸収されている」●「逆オイルショックの衝撃は世界へ 日本経済が“真の勝ち組”となる条件は」

 日本メルトダウン脱出法(826) 甘利経済再生相、首相の慰留を振り切り辞任 「 …