前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

<裁判員研修ノート⑨> 『無実を訴えて62年』―加藤新一事件の再審で無罪判決が下る

   

無実を訴えて62年―加藤新一事件の再審で無罪判決
           前坂 俊之(ジャーナリスト)
 
<月刊ジャーナリスト」1977年11月号掲載>
 
加藤新一翁を訪ねて
 
 「私は強盗殺人の犯人ではない」-と62年間、無実を訴え続けた加藤新一老(八六)=山口県豊浦郡豊田町=にこの七月七日、広島高裁はやっと無罪の判決を下だした。
 寿命が伸びたとはいえ、62年間といえば人の一生に匹敵する。気の遠くなるような歳月、加藤老を支え続けたものは、〃正義は必ず勝つ″という火のような情熱だった。
この”執念〟がついに実を結んだわけだ。
 
 しかし、自らの無実を晴らすために六二年間も戦わなければならないわが国の裁判制度とは一体何だろうか。夏の強烈な陽ざしが照りつける広島高裁前で「無罪」の報を聴いた時、喜びよりも、この重苦しい問が一層、澱(おり)のようになって私の胸に広がった。「勝利」「歓喜」「晴れて白日の身」という文字やバンザイという言葉が白々しく聴えた。
 加藤老は判決の印象を「感慨無量です」とただ一言、言葉少なに語った。この言葉は喜びの言葉以上に、判決をお祭り騒ぎにして、明日からは忘れ去ってしまうマスコミの一過性に対する批判のように私には痛く響いた。
 
 途方もない冤罪
 
 それから一カ月半ほどたった八月二四日。私は山口県に加藤老を訪ねた。今度で六度目の訪問だった。
 
 私が加藤老を知ったのは、今回(六度目)の再審請求を出した五〇年六月の三カ月ほど前だった。今回の主任弁護士、原田香留夫弁護士(呉市在住)から「途方もない冤罪がありますよ」と聴いたのである。その夏に私は加藤老を自宅に訪ねた。
以来、夏休みや冬休みを利用して、この二年間、私はしばしば山口に足を運んだ。六十年余も無実を訴え、孤立無援で戦い続ける超人的な執念の源泉をどうしても知りたいと思ったのである。
 
 これまでの再審で無罪を勝ちとった〝日本のがんくつ王″吉田石松翁、金森健士老は無罪判決があってからいずれも約九カ月から一年後に亡くなっている。念願かなって、ホッと一安心し、心の緊張がゆるむのであろう。加藤老は八六歳と吉田翁よりも高齢だけに、私はこの点が気になった。
 
 明るさただよう表情
                    
 加藤老は夏の暑さには弱い。毎夏、決まったように体が衰弱し、豊田中央病院に入院していた。この夏も判決前の六月に狭心症で倒れ、同病院で判決後も静養中だった。
 二階東端の病室に入ると、加藤老はベットの上にあぐらをかき、ベニヤ板を下敷に度の厚い眼鏡ごしにせっせと手紙を書いていた。表情は以前よりも柔和になっていたが、ひどく頬がこけている。糖尿病で食事制限をされているという。しかし、声は元気に満ちていた。
 「体重が八キロも減ってね。これ以上、ここにいたら殺されます。もう涼しくなったので家に帰ろうと思って……」と、にこやかに微笑した。表情には明るさが漂っていた。
 二年前。はじめて私が訪れた時、加藤老は病室内でもどかしそうに事件のことを訴えた。自分の真実の声を何でくみとってくれないのかというあせりと憤りが表情に交差した。だが最後には祈るような静かな口調でこう話した。
 
 「今度は最後の訴えになるでしょう。たとえ、無罪になって、いくぼくかのお金をも
らっても、働きざかりを監獄にぶち込まれて、その損害は金では償われませんよ。あと余すところ、いくらもありませんが、往生ぎわに親子がニッコリ笑って死ぬるようにならにゃイカンと思ってね。そこを一番重くみております」
 まわりの病人や付添いの人たちを意識して、小声で話す加藤老の姿に私は痛々しさと同時に強く胸を打たれた。側で加藤老の世話をしながら、話をじっと聴いていた娘のキクヨさんは「これで無罪が晴れねば、虫けらみたいな人生で……。犬死です」と言葉を詰まらせた。
 
 声高に語る人生と裁判
 今回の無罪判決で加藤老の宿願はかなえられた。あるときは自嘲的にもさせた思いや屈折した心情を強いた重荷もやっと取り除かれた。全国から舞い込む数多い激励や視いの手紙が長く閉ざされたままだった加藤老の人生に、最後になったとはいえ、明るさを呼び、戻した。
 加藤老はもう気がねも遠慮もせず、声高にこれまでの人生や裁判を語った。
 
 「〝警察″という二字を見ただけで、私の血は今もカーッと逆流するような思いですよ」-。目を二度、三度大きく見開き、憤りを全身に表わした。無罪判決を下だしたとはいえ、裁判官に対する怒りも消えない。
 「へっびり腰の判決ですね。私に対して一言、すまなかったとか、あやまるべきですよ。無罪を言渡して、逃げるように立ち去るとは、保身に徹した小心な裁判官ですね」と不満を隠さない。
 「今一番気にしているのは私の命ですよ。何年生きられるか知らんが、このままコロッと死ねば、線香花火のような気がする。私がこれまで苦心惨たんした国家権力の恐しさをみんなに知ってもらわねば、死んでも死にきれん。国家賠償を請求して、今高まっている再審のうねりを広く国民的な運動にしていくために余命をささげたい」
 八六歳には思えない情熱を裁判前と同じようにほとばしらせた。改めてその〝執念″の強さに驚かされた。
 
 変わらぬ地元の風土
 確かに、三十数年前、国家権力のデタラメさと横暴に泣いた一般庶民は今やその痛みも傷もきれいさっぱり忘れ去っている。
この〝健忘症″が自らの痛みはもちろん、他人の痛みをも理解できない「人権に鈍い」体質を作り上げている。それ以上に、その体質が加藤老を六二年間にわたって孤立無援の中に置き、逆に村八分に差別してきた要因なのである。
 
 加藤老事件は世界の裁判史上に例のない事件だといわれる。それは世界に例のないほど不名誉だといわれているのと同じではなかろうか。官権が一度張った虚偽のレッテルをう飲みにして、事実を自らの目と耳で確かめようとする自立的な人間が周囲には世界に例を見ないほど皆無だったということになるから。
 
 無罪判決で加藤老への見方は変わっただろうかー。
 
 「イヤー。田舎の人は容易にはかわりませんよ。今でも殿井(加藤老の住む所)では、悪い奴の張本人は加藤じゃという評判が根強いんですから。しかし、私しゃ何ともないですよ。毀誉褒肢にはなれていますから。わからん人に何ぼ言ってもわかりません」と加藤老は語気を強めた。六二年間、菟罪を晴らせなかった地元の風土は依然、払拭されることなく続いているのである。
 
                  (前坂俊之・毎日新聞記者)

裁判員研修ノート⑧  http://maesaka-toshiyuki.com/detail?id=381

裁判員研修ノート⑦ http://maesaka-toshiyuki.com/detail?id=380

裁判員研修ノート⑥  http://maesaka-toshiyuki.com/detail?id=373

 

 - 現代史研究 , , , , , , , ,

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

『Z世代への昭和史・国難突破力講座㉓』★『日本一の戦略的経営者・出光佐三(95歳)の独創力・ケンカ力③』満鉄・陸軍に対しても不合理な要求には断固戦い、ケンカも辞さない土性骨があった

2021/12/27『オンライン/ベンチャービジネス講座』記事再録、再編集 前坂 …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(103)記事再録/『日露戦争の勝利に驚愕したヨーロッパ各国』★『ナポレオンも負けた強国ロシアに勝った日本とはいったい何者か、パリで最高にモテた日本人』★『「あの強い日本人か」「記念にワイフにキスしください」と金髪の美女を客席まできてキスを求めたかと思うと、店内の全女性から次々にキスの総攻撃にあい、最後には胴上げされて、「ビーブ・ル・ジャポン」(日本バンザイ)の大合唱となった、これ本当の話だよ』

2017/06/16  /日本リーダーパワー史(826)『明 …

no image
速報(371)『日本のメルトダウン』『12月14日MBSラジオ、小出裕章が出演』『敦賀廃炉、日本原電役員に年収3千万円超のデタラメ』

速報(371)『日本のメルトダウン』  <小出裕章非公式まとめ転載> ◎『12月 …

日本リーダーパワー史(615)世界が尊敬した日本人(85)関東大震災の復興、「横浜の恩人」の原三渓ー今も天下の名園・三渓園にその精神は生きている。

  日本リーダーパワー史(615)ー世界が尊敬した日本人(8 …

『オンライン昭和史講座/白洲次郎の研究②』★『日本占領から日本独立へマッカーサーと戦った2人の日本人』★『吉田茂とその参謀・白洲次郎(2)』★『戦争に負けても奴隷になったのではない。相手がだれであろうと、理不尽な要求に対しては断固、戦い主張する」(白洲次郎)★『憲法問題の核心解説動画【永久保存】 2013.02.12 衆議院予算委員会 石原慎太郎 日本維新の会』(100分動画)

2013/03/14  /日本リーダーパワー史(368) 『吉田さんに …

no image
知的巨人の百歳学(141)-日本画家・奥村土牛(101歳) は「牛のあゆみ」でわが長い道を行いく』★『スーパー長寿の秘訣はクリエイティブな仕事に没頭すること』』

  『60歳から代表作を次々に出した奥村土牛』 芸術に完成はあり得ない …

no image
国際ジャーナリスト・前田康博氏の動画ニュース解説➂「2015年、終戦・抗日戦争勝利70周年の日韓関係はどうなる」(12/17)

                      日本リーダーパワ …

no image
「最後の木鐸記者」毎日新聞・池田龍夫氏(87)を偲ぶ会―晩年に病苦と闘いながら「新聞に警鐘を鳴らし続けた」不屈の記者魂をたたえる。

「最後の木鐸記者」毎日新聞・池田龍夫氏(87)を偲ぶ会―晩年に病苦と闘いながら「 …

no image
日本メルトダウン脱出法(796)「中国企業と国家:一段と厳しくなる締め付け (英エコノミスト誌)」●「古舘伊知郎、「報道ステーション」降板の理由 「12年を一つの区切りと思った」●「軽減税率というポピュリズムが政治を汚染する 200億円で新聞を「買収」した安倍政権」

 日本メルトダウン脱出法(796) http://jbpress.ismedia

no image
速報(327)『日本のメルトダウン』◎『六ケ所の再処理工場が1日33京ベクレル』『子供と第一次産業を守れ』(小出裕章(MBS)ほか4本

速報(327)『日本のメルトダウン』   ◎『六ケ所の再処理工場が1日 …