片野勧の衝撃レポート(76)★原発と国家【封印された核の真実】⑫(1981~84)風の谷のナウシカーイスラエルが建設中のイラク原子炉を攻撃(上)
2016/05/19
片野勧の衝撃レポート(76)
★原発と国家―【封印された核の真実】⑫
(1981~84)ー風の谷のナウシカ
■イスラエルが建設中のイラク原子炉を攻撃(上)
片野勧(ジャーナリスト)
福田赳夫首相の後を継いだ鈴木善幸首相は1981年5月、同年1月に就任したばかりのD・レーガン米大統領と首脳会談を行い、両国間の原子力諸懸案事項について速やかに協議することで意見の一致を見た。
その結果、同年10月末、東海再処理施設における米国産核燃料の再処理に関する新しい日米共同決定文書が署名され、同時に共同声明その他の関連文書が発表されたのである。
鈴木首相がレーガン大統領と会談した約1カ月後の6月7日。イスラエルのF-16A戦闘機8機が、イラクの首都バクダッド南西17キロの場所に建設中だった原子炉を攻撃して破壊した。しかし、原子炉には放射性物質は存在せず、死の灰がまき散らされることはなかった。
この時期、すでにイスラエルは核兵器を保有し、運用できる体制をつくり上げていたことは公然の秘密だった。そこで安保理決議が出された。
「イスラエルは核兵器不拡散条約(NPT)を受けいれていない。……その核施設をIAEA(国際原子力機関)の保障措置下におくよう緊急に要請する」と明言しているが、それは今日に至っても果たされていないという(常石敬一『日本の原子力時代』岩波現代全書)
イスラエルによる原子炉攻撃から20年後の2001年9月11日。ニューヨークの世界貿易センタービルなどに航空機が突入した。米国はこの事件を契機に原発の既存の施設を補強し、設計段階から対処措置をとるようになった。
一方、日本の外務省は83年度、日本国際問題研究所に原子炉が攻撃された場合のシミュレーションを研究委託した。そこで提出されてきた報告書「原子炉施設に対する攻撃の影響に関する一考察」によると、攻撃によって核施設が受ける被害を3つのケースに分けて分析。
第1は周辺の機器や配線・配管が機能しなくなり全電源喪失。第2は攻撃による格納容器破壊。第3は原子炉直接破壊。3・11の福島第1原発の事故は一番軽い第1のケースに相当する。最悪のケースの原子炉直接破壊で死亡者数1万8000名、呼吸器系のガンによる死亡者数2万4000名に上がる可能性がある、としている(『前掲書』)。
■カール・セーガンの「核の冬」
1984年3月、宮崎駿のアニメーション映画「風の谷のナウシカ」が公開され、人気を呼んだ。その「あらすじ」は――。
「人類は自然を征服し、繁栄を極めていた。しかし、『火の7日間』と呼ばれる戦争で文明は崩壊。それからおよそ1000年、有毒な病気を発する森の“腐海”のほとりに、小国『風の谷』があった。
ある夜、風の谷に巨大な輸送機が墜落。墜落したのは世界統一の野望を持つトルメキア王国。そこでトルメキアの皇女クシャナは大編隊を組み、風の谷に送り込み、その族長ジルを殺し娘ナウシカを人質にして連れ去った。だが、トルメキアの編隊は墜落。ナウシカは腐海に落ちたアスベルを救出し、そこで腐海の秘密を知ってしまう。果たして残された人類の運命は……」
この映画は巨匠・宮崎駿の同名マンガを映画化した長編ファンタジー・アニメである。そのころ、カール・セーガンらによって提唱された「核の冬」も世界を震撼していた。
この「核の冬」は核戦争によって地球上に大規模環境変動が起こり、人為的に氷河期が発生するというもの。「風の谷のナウシカ」は、その「核の冬」を思い起こさせ、一世を風靡した。
■「下北半島に原発のメッカを!」中曽根首相
大柄で背の高い男が目の前に立っていた。胸を張って堂々とした態度は、威厳を滲ませるに十分で、会場にいた人々を圧した。彼は演説を始めた。1983年10月、田中角栄のロッキード裁判丸紅ルートで懲役4年、追徴金5億円が下された日からおよそ2カ月が過ぎていた12月8日、青森市――。この日は奇しくも太平洋戦争の「開戦の日」だった。
「下北半島は日本有数の原子力基地にしたらいい。原子力船の母港、原発、電源開発ATR(新型転換炉)と、新しい型の原子炉をつくる有力な基地になる。下北を日本の原発のメッカにしたら、地元の開発にもなると思う」(山岡淳一郎『原発と権力』ちくま新書)
闇将軍として力を振るってきた田中角栄の議員辞職勧告決議案をめぐって国会は紛糾。そこで鈴木首相の後を継いだ中曽根康弘首相は「人心一新」を理由に衆議院を解散。その遊説先でぶち上げたのが、この演説だった。
中曽根の生の声を聞こうと人々は駆けつけた。しかし、青森市民にとっては寝耳に水。中曽根は30年前の1954年3月2日、国会で戦後初の原子力予算総額2億3500万円を議員提案。その後も日本の原子力開発を主導してきた政治家である。
予想通り、総選挙で自民党は大敗したが、中曽根が原子力の拠点として考えていたのは、太平洋沿岸に広がる下北半島の「むつ小川原」地域だった。しかし、中曽根発言の時には、すでに水面下でレールは敷かれていた。以下、「朝日新聞」(1984年7月19日付)を参考にさせていただく。
全国の電力会社でつくっている電気事業連合会は原子力発電所から出る使用済み核燃料の再処理工場、低レベル放射性廃棄物の貯蔵施設、ウラン濃縮工場の3施設を青森県上北郡六ヶ所村の「むつ小川原」開発区域内に一括して建設する方針を決定していた。
なぜ、核燃料サイクルを構成するこれら3施設をつくらなければならなかったのか。そのころ、わが国の原子力発電所は全発電量の約20%を占めるまでに成長したが、ウラン濃縮は米、仏に、また再処理は英、仏に依存するなど原子力発電は、ほぼ全面的に外国に依存していたからである。
特に使用済み核燃料の処理は国内でできず、「原発はトイレのないマンション」と揶揄されていた。しかも、英、仏両国に預けてある使用済み核燃料を再処理したあとの高レベル放射性廃棄物などが、1992年度以降にわが国に戻されてくることになっていることもあり、その処理施設づくりは緊急の課題となっていた。
核燃料サイクルを構成するこれら3施設の建設費は総額約1兆円。地元の反対がなければ、1986年ごろに着工し、1995年ごろに全施設が完成するという国家の一大プロジェクトになるはずだった。
しかし、朝日新聞社が1984年9月6、7日に行った意識調査によると、六ヶ所村に建設計画が進んでいる核燃料サイクルに対して、賛成31%、反対35%、その他・答えなし34%と、ほぼ3分の1ずつ占めていることが判明。
■仏から厳戒プルトニウム移送
そんな中、先に述べた使用済み核燃料を再処理したあとの核燃料物質プルトニウム約290キロを積んだ貨物船「晴新丸」がフランスから東京港に入港してきた。1984年11月15日未明――。動力炉・核燃料開発事業団の高速増殖実験炉「常陽」用の燃料として運ばれてきたものだ。
「核ジャック防止」を理由に輸送日程やルートなど一切明かされない極秘裏の入港だった。しかし、小さな原爆なら20個もつくれるとあって、反原発・環境保護団体は抗議した。そんな中、人口の密集する首都圏を走り抜け、厳しい検問、立ち入り禁止規制の下、午前10時過ぎ、茨城県東海村の動燃東海事業所へ輸送は完了した。日本にとって、プルトニウムが海外から大量に運ばれるのは初めてだった。
平和目的に使われるといいながら、核兵器に転用可能なプルトニウム。船は無寄港で、フランス領海はフランス海軍、日本領海に入るまでは米海軍が護衛に当たっていた。軍事衛星を使って、24時間態勢で監視していた。そのとき、米国は自衛隊派遣を打診してきたが、当時の日本の世論は自衛隊の海外派遣はダメということで慎重にならざるを得なかったのだろう。
極秘裏に進められたプルトニウム輸送。暗号名は「カミュ」。フランスのブランデー名にちなんでつけられたという。指揮を執ったのは動燃の企画部調査役の菊池三郎氏だった。菊池氏の証言。
「米兵は3班に分かれ、船内の通信機などあちこちを調べていた。彼らは何も言わず、私の仕事はサンドイッチを差し入れするだけだった」(中日新聞社会部編『日米同盟と原発』中日新聞社)。
使用済み燃料プールは満杯に近づいている日本。その使用済み核燃料を再処理してプルトニウムを分離、回収し、MOX燃料(ウラン・プルトニウム混合燃料)をつくる。それを高速増殖炉(FBR)に回して稼働させ、軍事転用も可能なプルトニウムを生成する、のが日本の原子力政策の基本だった。
長年、原子力利用は動燃(動力炉・核燃料開発事業団)や原子力研究所などの科学技術庁グループと、電力・通産連合の双発推進体制で行われてきた。しかし、石油危機で産油国の輸出制限に震え上がった日本政府は、エネルギー供給源の多角化を前提とした「総合エネルギー政策」を国家的プロジェクトに据え、資源エネルギー庁に「総合エネルギー調査会」の事務局を置き、独自に原子力政策を立案するようになったのである。
■中曽根の「東奥日報」インタビュー
後年、中曽根康弘は青森県紙の「東奥日報」(2006年3月19日付)のインタビューにこう答えている。
――遊説先の青森市で「下北を日本の原発のメッカにしたら、地元の開発にもなると思う」などと発言したが、どんな背景があったのか。
「原子力は日本のエネルギー、生活力を支える非常に大事な要素になると考えていた。電力一つ取っても石炭・石油から脱却しなければならない時代が来る。中長期の原子力開発計画を頭に描いた場合、日本列島の中で原子力の開発センターになるのは、広大な土地があり、海にも面している下北半島だと考えていたから、そのように話した。大体、そういうふうに展開してきたと思う」
――電気事業連合会が青森県に再処理工場を含む核燃料サイクル施設の立地を要請するのはメッカ発言の翌年の84年4月だが、事前に水面下の動きを把握していたのか。
「もちろん、そうだ。恐らく、原子力の将来を考えている、いろんな事業体が立地問題を考えていたと思う。発電所の立地点は電力需要地との関係もあり、全国に分散しているが、原子力の中心になる再処理事業まで含む中枢センターというのは全国に一カ所程度だ。それはやはり、下北半島だとにらんだし、その通りになったと思う」
「東奥日報」の最後の質問。
――下北半島は日本のエネルギー政策に果たしてきた役割をどう評価しているか。
「日本の原子力発展については一番高い貢献をしてもらっている。今後の原子力開発の将来を見ると、下北半島にはまだ余裕がある。施設立地をお願いする前に、国が責任を持って港湾と高速道路の整備を急ぎ、原子力推進に国として力を入れて取り組むことが大事だと思っている」
■六ヶ所村「再処理工場」のトラブル
当初から核燃料サイクル施設の候補地として位置づけられていた六ヶ所村。5000ヘクタールの土地は買収され、住民は追い出された。物事の本質を隠して用地を買収する、この方法は電力会社の常とう手段。
核燃料施設の建設が始まったのは80~90年代にかけてである。しかし、トラブル続きで、工期が大幅に遅れ、そのたびに莫大な国費が投入された。1988年3月に操業開始した「濃縮ウラン工場」は操業から3カ月足らずで事故を起こす。制御系統のトラブルで2000年3月、生産ラインが次々と停止した。
六ヶ所村「再処理工場」のトラブルによる完成延期は実に18回に及んだという。2011年2月時点の建設費は当初予算の3倍近い2兆1930億円に膨張。1993年の着工から20年以上が経つのに、いまだ未完成のままである。
そこへ東日本大震災が襲いかかり、再処理工場は外部電源を喪失。使用済み核燃料の貯蔵プールの水約600リットルがあふれた。完成のめどすら立たないまま、「国策」という名の下で湯水のごとく税金が投入されているのである(山岡淳一郎『前掲書』)。
原発を推進してきたキーパーソン・中曽根康弘にとって福島第1原発が引き起こした未曽有の災害は、海軍主計士官として経験した太平洋戦争に次ぐ第2の敗戦といっていいだろう。
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