前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

終戦70年・日本敗戦史(65)徳富蘇峰が語る『なぜ日本は敗れたのか』⑮ 日本は官学の形式、独善教育によって亡んだ。

   

 終戦70年・日本敗戦史(64)

A級戦犯指定の徳富蘇峰が語る『なぜ日本は敗れたのか』⑮

 日本は教育によって亡んだ。わが官学教育は

形式教育、独善教育で軌道の上を走る事は知っていたが、

軌道の外に走る事は知らなかった。

一切の政治は机上における文書政治となって、文書さえあれば

事実はどうでもよいというような事になった。

 

東條英機陸軍大臣の下に、軍務局長を勤めた武藤章氏は、支那大陸、フィリピン、その他出征地における日本の軍隊の、奪掠、暴行、虐殺などの事実を突き付けられて、今更らこれを否定する事も出来ず、これは兵の素質が低下したもので、教育の欠陥がどこかに存在するであろう、それは師団長たる者が気を付くべき事であらねばならぬなどと、言っているようだが、この教育の欠陥なるものは、兵ばかりでなく、士官にも及ぶ。

即ち軍務局長であった武藤氏自身にも、その上司であった東條陸相にも、あらゆる陸海両面を挙げて、皆なしかりと言うべきものであろう。別言すれば、武官ばかりでなく、文官にも同様に、この観察は及ぼすべきものであろうと、信じられる。

武藤氏は、教育の欠陥という言葉に、恐らくは教育が不足したという意味を、含ませているようだが、われらは教育の不足とか、僅少とか、不充分とかいう意味でなく、教育そのものが、根本的に間違っていたのではないかと思う。

改めてここに言えば、現代的日本の教育は、直接とは言わぬが、今回の大なる敗戦を来たし、我が国家を今日の境遇に陥れたるにおいて、最も大なる分け前を、働らいたものであろうと思う。

別言すれば、日本国は、日本の現行教育によって、亡ぼされたと言っても、余り過言ではあるまいと思う。要するにわが官学教育は、形式教育であった。また独善教育であった。それで軌道の上を走る事は知っていたが、軌道の外に走る事は知らなかった。

こちらの筋書だけの道は、歩く事を知っていたが、その以外には一歩も踏み出す事は出来なかった。

自分の知っている事を最善と思い、自分のなす事を最上と思い、相手が何者であるとか、如何なる事をするとかいう事には、一切無頓着であった。いわば撃剣の稽古はしたが、その型だけを覚えて、真剣勝負という事には、一切修練が及ばなかった。例えば海軍は、あらためて計画した真珠湾の不意討だけは、確かに成功したが、その以外は、する事なす事、総てとは言わぬが、概ねへまをやった。

かくの如く教育が独善的となり、教育が形式的となれば、いわゆる一世の智勇を推倒し、万古の心胸を開拓するという事などは、夢さら心得ていない事である。

それはただに軍事ばかりでなく、一般の政務についてが、またその通りである。日本の政治が、いわゆる官学の法学士政治であって、その以外に活動する事を、知らない結果は、一切の政治は、全く机上における文書政治となって、書つけさえ物を言えば、事実はどうでもよいというような事になり、そのために物資を統制し、全国に過不及なくするのを目的としたる統制経済が、一方には薩摩イモの尻尾も手に入らず、他方には幾万貫という薩摩イモが、空しく腐敗して、顧りみる者ないというような、逆効果を来たすに至った事も、是非もない次第である。

日本でも日露戦争までは、文武の大官中にも、学校教育を受けない者が相当あった。日清戦争に於ける川上操六、日露戦争における児玉源太郎などは、別に名誉ある陸軍大学の卒業生でも何でもない。

東郷平八郎提督なども、英国の留学生で、学校の成績は、左程かんばしきものではなかったという。また軍部以外においても、同様の事が言われ、伊藤博文、山県有朋、松方正義、井上馨なども、法学士でもなければ、文学士でもない。

しかるに星移り物換り、大正の御代を過ぎて、昭和になってからは、軍で幅を利かせた者は、陸海軍大学の卒業生であり、一般の役所で幅を利かせたる者は、内閣より地方の署長に至るまで、皆なほとんど大学の門戸を、くぐった者である。たまには変り種もないではなかったが、それは全く僅有絶無(きんゆうぜつむ)という姿であった。

このようにして、日本は形式と独善とで、活きた人間の活動というものは、何れの方面にも、及ぼす事は出来ず、遂に一人角力を取って、自から倒れるに至ったのである。

      (昭和二十二年一月二十八日午前、晩晴草堂にて)

 

 

 - 戦争報道

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
『日中韓150年戦争史』㉚『日中韓のパーセプションギャップの研究』ー「日本の中国異端視を論ず」(申報)

      『中国紙『申報』からみた『日中韓150年戦争史』 日中韓のパーセプシ …

no image
明治150年歴史の再検証『世界史を変えた北清事変⑦』-服部宇之吉著『北京龍城日記』(大正15年)より③」★『中華思想対西欧キリスト教思想の文明の衝突』★『自由、平等、人権、博愛精神の西欧思想が中国人には全く理解できずパーセプションギャップ(認識ギャップ)、コミュニケーションギャップが疑惑を増幅し戦争になった』

  明治150年歴史の再検証『世界史を変えた北清事変⑦』 支那(中国)人の脳中に …

no image
『オンライン中国共産党100周年講座/2021/7/1日)』★『 2016/07/25の記事再録)日中関係がギグシャクしている今だからこそ、もう1度 振り返りたいー『中國革命/孫文を熱血支援した 日本人革命家たち①(1回→15回連載)犬養毅、宮崎滔天、平山周、頭山満、梅屋庄吉、秋山定輔ら』

      2016/07/25」/記事再録『 辛 …

no image
現代史の復習問題/「延々と続く日中衝突のルーツ➈』/記事再録『中国が侵略と言い張る『琉球処分にみる<対立>や台湾出兵について『日本の外交は中国の二枚舌外交とは全く違い、尊敬に値する寛容な国家である』と絶賛した「ニューヨーク・タイムズ」(1874年(明治7)12月6日付)』

2013年7月20日/日本リーダーパワー史(396)   中国が尖閣諸 …

no image
日本リーダーパワー史 (25) 中国建国60周年のルーツ・中国革命の生みの親・宮崎滔天に学べ②

日本リーダーパワー史 (25)   中国建国60年・中国革命の生みの親・宮崎滔天 …

『世界漫遊・ヨーロッパ・街並みぶらり散歩』★『2016/5『ポーランド・ワルシャワ途中下車③ 『世界遺産の旧市街』ナチスにより徹底的に破壊された市街は市民により丹念に復元され世界遺産となった➂

    2016/06/04  『F国際 …

『Z世代のための戦争史講座①』★『世界海戦史上、トラファルガー海戦を上回るパーフェクトゲームとなった「日本海海戦」の真実①』★『現在はフェイク・ドロン・衛星・ミサイル・21世紀核戦争に大変化』

 以下は「ツシマ世界が見た日本海海戦」(ロテム・コーネル著、滝川義人訳 …

no image
日本戦争外交史の研究』/ 『世界史の中の日露戦争カウントダウン㊲』/『開戦2週間前の『英タイムズ』の報道ー『昨日、天皇の枢密院は,開戦の際にしか公布されない勅令の草案をいくつか採択した』●『疑問の余地のない平和愛好者である ロシア皇帝がどうして世界を戦争の瀬戸際へ追いやったのか』

 日本戦争外交史の研究』/ 『世界史の中の日露戦争カウントダウン㊲』/『開戦2週 …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(35)記事再録/『憲法第9条と昭和天皇』ー<憲法9条(戦争・戦力放棄)の最初の発案者は一体誰なのか>「マッカーサーによって押し付けられたものだ」、「GHQだ」「いや,幣原喜重郎首相だ」「昭和天皇によるもの」―と最初の発案者をめぐっても長年論争が続き、決着はいまだついていない。

 2006年8月15日/『憲法第9条と昭和天皇』       …

『オンライン講座/今、日本に必要なのは有能な外交官、タフネゴシエーター』★『日本最強の外交官・金子堅太郎のインテジェンス➄』★『ルーズベルト大統領は「旅順陥落」に大喜びー 黙っていると”Silence is Consent”(同意した) とみる。どしどし反論せよ』★『黄禍論と戦う、旅順の戦闘、日本海海戦の大勝利に大統領も大喜び』

    2017/06/25日本リーダーパワー史( …