前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

『超高齢社会のパスポート-晩晴学のすすめ』★『<〝晩成〟はやすく〝晩晴″は難し>』★『晩晴は人生そのものを第一義とし、真に老いに透徹した達人でなければ達し得ぬ人生最高の境地こそ〝晩晴〟である』

   

   百歳学入門(62)記事再録

『オンライン講座/財界巨人たちの長寿・晩晴学①』★―渋沢栄一、岩崎久弥、御木本幸吉、大倉喜八郎、岡野喜太郎、馬越恭平、松永安左衛門―

 
 
前坂 俊之(ジャーナリスト)
 

<〝晩成〟はやすく〝晩晴″は難し>

〝老い″は単なる老朽や老衰ではなく、本当の〝老い〟とは円熟を意味し、その心境に達するには、幾多の試練と努力がいる。
六十歳を超えて、本当の〝老い〟の味を知った翁は、生命力が人間の無用の煩悶と焦慮を払いつくし、はじめて至る明るさと温かみと、いいしれぬ柔らかな境地に達した。
翁はその境地を世の多くが使う〝晩成〟を退けて、〝晩晴〟とした。晩成はあくまで事業を成し遂げた者の心境であって、晩晴は人生そのものを第一義とし、事業はその一部にすぎず、真に老いに透徹した達人でなければ達し得ぬ人生最高の境地こそ〝晩晴〟であるとした。

翁はよく揮書頼まれたが、「晩晴」だけは、容易に書かなかった。ある人がしきりに頼んでも伊庭は笑って「お前にはまだ早い。『晩晴』を書けというなら、もっと修業していさめていたという。

(伊庭貞剛・住友精神を作った男伊庭貞剛)

 
●明治時代の平均寿命は50歳ほどですから、90歳近くまで活躍したという長寿者は、寿命ののびた現在では100歳以上となりますね。数少ないですね。結局、時間的に長生きしたというよりも、晩年に何をしたか、人生の質が大切なのはいうまでもありません。晩年学よりも『晩晴学』こそ大切です。
 
『確かにそうですね、70代、80歳代になれば長寿と認められたころですから、そんな中では、ダントツは日本資本主義の父・渋沢栄一(天保11年1840 – 昭和6年1931)の91歳ですね。生涯500以上の会社を作り、日本の株式会社を最初につくり、その後の日本経済発展のレールを引いたドンであった彼が財閥を作らなかったのはりっぱですね。
 
三菱、三井のように作ろうと思えば、いつでも渋沢財閥は簡単に出来る立場にいたのにやらなかった。
 
「論語」と『ソロバン』を処世術にして「道徳経済合一主義」を唱えていた渋沢は、企業は公益のものとして、私利私欲を最後まで排しています。社会活動、慈善事業、ボランティア、国際親善に彼ほど熱心に取り組んだ実業家は現在もいないんじゃないですか。
 
80歳を過ぎて悪化する日米関係を立て直すための民間人の日米財界会議などに老体を鞭打って船、列車の長旅で出席するなど最長老、トップリーダーとして、最期まで活動したのは大変立派な態度ですね。健康長寿の秘訣については「書をたしなむことと、国際交流である」とも語り、最期まで書をたしなみ、直筆による書簡や掛け軸も数多く揮毫しています』         
 
『三菱財閥では創業者の岩崎弥太郎(50歳没)の長男・岩崎久弥(1865―1955)が90歳で長寿ですね。敗戦での財閥解体で、三菱の全役職を辞任しますが、アジア研究のための東洋文庫を設立、六義園を寄付するなど社会貢献しています。         
三井財閥では番頭といってよい益田 孝(1848- 1938、90歳)が鈍翁と称して茶人として高名でした』
 

『日本の元祖ベンチャーで真珠王・御木本幸吉(一八五八―一九五四)は年齢でも96歳と明治期では最長老ですね。御木本翁は小食、薄着で生命保険が大嫌い。

 
90歳を過ぎても占領軍の米将校と一緒に抜き手を切って見事に泳いで、周囲の者は心臓マヒを起こさないかと、ハラハラさせたという元気者です。
 
長寿の秘訣はおかず以外は、朝晩は米飯1杯、昼はサツマイモとパンだけの小食主義、「食を選んで大食せず、うまいものなら二箸残す。胃腸と一緒に寝る」を死ぬまで続けた。いつも、薄着で、冬でもストーブや電熱器はいっさい使わず、息子が火鉢に手をかざすと叱ったというほど。「衛生を守り、健康に注意することが最も確実な生命保険だ」と死ぬまで入らなかった、合理主義者ですよ』
 
『財閥系では一代で「ホテルオークラ」に象徴される大倉財閥を築き上げた大倉喜八郎(1837-1928)も90歳と長寿。幕末の鉄砲屋から身を起こした成金男です。身長150センチと小柄だが、タフネスで全身、エネルギーの固まり、84歳で子供が産まし、90歳で日本アルプスに登ったというからすごいヤツです。ウナギが大好物で、昼食はいつもウナギのカバヤキに刺身、それにビール1本を死ぬまで欠かきなかったとか』         
 
『とにかく、明治の経済人を城山三郎は「野生児」「野生の人々」と名づけていますが、スケールがケタチガイだね。「東洋のビール王」といわれた馬越恭平(1844-1933)88歳などはその典型の元気人間です。
 
日本で初めて銀座にビアホールを開くなど奇抜なアイデアと四時間睡眠法で働きまくった。大日本麦酒を設立、社長になり、全国のシェアの72%を占め、“ビール王”呼ばれた。
 
精力絶倫で生涯一六〇〇人斬りを達成、一〇〇人目に当たった芸者は落籍し、赤坂、新橋、神楽坂で家一軒をボンと与えたり料亭をもたせ、その数一六人というからスゴイ。スタミナの秘訣は、居眠の名人だったこと。
 
少し時間があるとすぐ休む、会議中でもつまらん報告ではこっくりこっくり居眠り、しかしツボはしっかりおさえていたといいます。モットーは「心配すべし。心痛すべからず」。苦心配慮し、心を配ることは大切だが、自分の身体が痛むほど、心を痛むことは愚かなことだとし、『元気、勇気、長生き、腹のおちつき』の「四気」こそ大事と説いています』         
 
 
『金融界ではスルガ銀行の創業者・岡野喜太郎は101歳、百歳の銀行家はもう1一人「みちのく銀行の」唐牛敏世99歳がそうだよ。かれも100歳まで頭取として仕事をしていて、話題となっているね。大物では日本興銀の財界の鞍馬天狗といわれた中山素平も99歳ですよ』
 
 
『渋沢亡き後の昭和戦後の財界ご意見番といえば「電力の鬼」・松永安左衛門((明治8年1875―昭和46年1971)95歳ですね。戦後の電力再編をその豪腕で1人で纏め上げた彼の明治、大正、昭和3代の放談録、回想録は無類におもしろいし、リーダー、政治家、ビジネスマンに必見です。人間修養のため、歴史を知る上でも大変役に立ちます。
 
戦争と災害など幾多の試練を乗り越えた百戦錬磨の松永は太平洋戦争中にはさっさと伊豆の大田舎の山荘にこもって時機を静かに待つ。松永はどうせ戦争では負けて、彼の出番が回ってくることをちゃんとわかっているんですね。
 
65歳から70歳にかけてです。晩年の死期の迫り来る音を聞きながら、国の滅亡とその先の敗戦の大混乱を端然として見守り、思索している。浪人し、隠居して時代が迎えに来るのをじっと耐えながら待つことは本当に難しい。
戦後の電力再編をやり遂げた後、最後に取り組んだのが日本人へ世界史的な感覚を持った歴史遺書を残すことでした。
 
80歳を過ぎてトインビーの『歴史の研究』を原書でよみ、この世界でもっと難解といわれたこの大冊全20巻の翻訳に取り組み、85歳で、自らイギリスまでわたりトインビーと交渉して翻訳権を取得して、翻訳していますよね。明治人の気迫と情熱を最後まで持ち続けた。この気概こそ見習う必要がありますね』

 – 人物研究健康長寿現代史研究

 - 健康長寿

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
★『オンライン70歳講座』★『今からでも遅くない、70歳からの出発した晩年の達人たち』★『農業経済 学者・近藤康男(106歳)ー70才の人生の節目を越えて、以後40冊以上の超人的な研究力』★『渋沢栄一(91歳)-不断の活動が必要で、計画を立て60から90まで活動する,90歳から屈身運動(スクワット)をはじめ、1日3時間以上読書を続けた』

  百歳学入門(88)農業経済 学者・近藤康男(106歳)ー70才の人 …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(244)/記事再録★『日本の「戦略思想不在の歴史⑮」ペリー来航45年前に起きたイギリス東洋艦隊の「フェートン号」の長崎港への不法入港事件」★『ヨーロッパでのナポレオンの戦争の余波が<鎖国日本>にも及んできた』

  記事再録 2017/12/10  「 …

no image
百歳学入門(76)日本長寿学の先駆者・本邦医学中興の祖・曲直瀬道三(86歳)の長寿養生俳句5訓を実践せよ

 百歳学入門(76) 日本長寿学の先駆者・曲直瀬道三(86歳)の長寿養 …

no image
[ オンライン講座/清水寺貫主・大西良慶(107歳)の『生死一如』12訓★『 人生は諸行無常や。いつまでも若いと思うてると大まちがい。年寄りとは意見が合わんというてる間に、自分自身がその年寄りになるのじゃ』

    2018/11/18 &nbsp …

no image
百歳学入門(236)『百歳挑戦・鎌倉バカ仙人のカヤック釣り日記』(9/15) 人気動画再録「60,70はなたれ小僧、生涯現役、カヤック人生」★『定年なし、年齢差別なし、老人観の全く違う米国では65~74歳はベビーオールド(赤ちゃん老人)、75~84歳まではリトルオールド(小さい老人)、84~94歳はヤングオールド(若い年寄り)、95歳以上がリアルオールド(真の高齢者)』

 2014/09/15 記事の再録/百歳学入門(99) 『百歳挑戦・鎌 …

★⑩日本リーダーパワー史(714)伊勢志摩サミットの陰の主人公はこの人注目!(記事再録)「真珠王」だけでなく『世界の生涯現役・長寿王でもあった御木本幸吉(96歳)』「朝食は茶碗3分目、昼は2分目、夜は「旨い物は2箸残す」

  日本リーダーパワー史(714) <記事再録>百歳学入門(69 …

「Z世代のための、約120年前に生成AI(人工頭脳)などはるかに超えた『世界の知の極限値』ー『森こそ生命多様性の根源』エコロジーの世界の先駆者、南方熊楠の方法論を学ぼう』★『「 鎖につながれた知の巨人」熊楠の全貌がやっと明らかに(3)。』

2009/10/04  日本リーダーパワー史 (24)記事再録 前坂  …

★『オンライン天才養成講座/エジソンの発明術を学ぶ』➂ 』★『発明発見・健康長寿・仕事成功11ヵ条」★『私たちは失敗から多くを学ぶ。特にその失敗が私たちの 全知全能力を傾けた努力の結果であるならば』★『臨終の言葉――「将来に信仰を持ちなさい。前進しなさい。私は人々のためにするだけのことはした。もう思い残すことはない。ブルーに輝いた美しい国の人々が待っている。さようなら」』

2018/11/23  百歳学入門(96)再録 「史上最高の …

no image
百歳学入門(155)文化勲章のもらい方ー文化勲章は大嫌いと断った「超俗の画家」の熊谷守一(97歳)と〝お金がもらえますからね″といって笑って答えた永井荷風〈当時72歳〉

百歳学入門(155)   私は新聞記者時代に春秋の叙勲の取材を何度かし …

no image
知的巨人の百歳学(100)ーギネスブック世界最長寿の彫刻家・平櫛田中(107歳)の長寿の秘訣は!『70、80、洟垂れ小僧、洟垂れ娘、人間盛りは100から、100から』★『今やらねばいつできる、わしがやらねば、だれがやる」』

ギネスブック世界最長寿の彫刻家・平櫛田中(107歳)   平櫛田中記念 …