前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

『オンライン/明治史外交軍事史/読書講座』★『森部真由美・同顕彰会著「威風凛々(りんりん)烈士鐘崎三郎」(花乱社』 を読む➂』★『『日清戦争の引き金の1つとなった『明治19年の長崎清国水兵事件とは何か』』

   

   日本リーダ―パワー史(979)

今、米中覇権争いで、台湾や尖閣諸島、南シナ海をめぐる米・中・日3国の対立がエスカレートし軍事的緊張が高まっている。本書はこの150年間の日中韓友好・対立・戦争史のルーツを知るための絶好の書といえる。森部真由美さんら同顕彰会著「「威風凛々(りんりん) 烈士鐘崎三郎」(花乱社、(A5判/並製本/414ぺージ/本体3000円+税)

http://karansha.com/

が5月3日に出版された。

内容は1891年(明治24),運命に抗うように上海に渡り,時代に翻弄され,26歳で落命する鐘崎三郎の人物像と,彼を見守った多彩な人士たちの記録です。

明治の近代精神に燃えて大陸に渡った若き鐘崎三郎(福岡県出身,1869-94)。日清貿易研究所で学び,商店経営を実践,各地を旅して経済交流の最前線に立つも,1894年,日清戦争が勃発。陸軍に通訳官として派遣されて捕縛,刑場に散った鐘崎三郎の生涯を子孫の森部真由美さん(67)=福岡市=らが自費出版したもの。

 

鐘崎の足跡を丹念に追跡し、明治に自由民権運動としてスタートした「玄洋社」(ブラックドラゴン)は昭和戦後(1945年)にGHQによって「超国家主義」のレッテルを張られて歴史から抹殺されたが、その玄洋社の人脈や、大陸を志向した九州人たちの人脈を地道にたどっている歴史ドキュメントになっている。

同時に、『烈士の面影』(大正13年刊)・『烈士 鐘崎三郎』(昭和12年刊)の両書は現代人、地元の子供たちにも読みやすい現代文に改め、その後の記録を加え増補再刊している。

さらには、同書に登場する明治維新からのそうそう人物や玄洋社の面々の人物史約50人のメモも別冊子でつくり、各図書館に配布。

地元の抹殺された歴史、人物を掘り起こして歴史認識をバージョンアップしており、大変丁寧な本づくりであるのにも感心しました。(文・前坂俊之)

 

『忘れ去られた近現代史の復習問題』―『日清戦争の引き金の1つとなった『明治19年の長崎清国水兵事件とは何か』

      2017/04/24

 

『忘れ去られた近現代史の復習問題』―

日清戦争の引き金の1つとなった『明治19年の長崎清国水兵事件

とは何か』

 

長崎清国水兵事件

1885年(明治18)8月1日、清国北洋艦隊水師提督・丁汝昌は「定遠」、「鎮遠」、「威遠」、「済遠」の鉄甲船巨艦四隻を率いて長崎港に入港した。同時にロシアの東洋艦隊も旗艦ウラジミル・マーマック号に同国海軍大臣セスタコフが坐乗して入港しており、さらに英国艦隊九隻が近距離の対馬沖で目を光らしていた。

 

当時英国は朝鮮沖の巨文島を占拠しており、ロシアは朝鮮の東北にあるラザノフ港をねらっていた。露国の野望を見抜いて朝鮮を属国視している清国は、ロシア東洋艦隊がウラジオ出港したという急電が入り、丁汝昌の北洋艦隊をしてこれを尾行させたともいわれた。

 

また一方、清国は琉球独立の黒幕となって、すでに艦隊の一部は琉球に入り、丁汝昌も近く琉球に向うともいわれていた。やっと明治維新によって開国したアジアの後進国・日本の国力、海軍力などないに等しく、英、露、清などからは全く無視されていた。

この時、長崎清国水兵事件がおこった。

 

 8月13日夕、清国水兵五名が長崎寄合町の丸山遊廓『楽遊亭』で娼妓をあげ遊興した後、外で食事をしてまた帰ってくるといって出ていった。午後八時ごろ別の清国水兵五名が酔ってはいり込み、店員が『部屋が全部ふさがり遊女もいない』と断ったのを押しきって登楼した。

そこへ先きの清国水兵五名が帰ってきて、遊女に迎えられ各自部屋に入っていったから、後から来た連中は納まらない。わけを説明するにも言葉が通じぬ。怒った清国水兵はもっていた日本刀をふり回し、金襖をつき破り、火鉢をなげつけて暴れるので、丸山町派出所へ訴えて出た。

黒川小四郎巡査がかけつけ説諭しょうとすると、五人は同巡査を突き飛ばして出ていった。間もなく今度は十五、六人の集団となった清国水兵がきたが、そのうち乱暴した一人が交っているのを認めた黒川巡査がその水兵をひきずり出そうとして乱闘になり、さきの水兵は日本刀で同巡査に2度斬りつけた。

黒川巡査は重傷のまま日本刀をもぎとり逃げる相手を追い船大工町路上で再び格闘中、かけつけた同僚巡査に取押えられた。この水兵は王祭(25)で頭部に一ゕ月の重傷を負った。

日下長崎県知事からこの事件は政府に急報され、伊藤総理の命で寺原警保局次長は四十余名の警官をつれ横浜から海路、長崎へ急行した。一夜あけた八月十四日、長崎市内は清国水兵が多数横行して不穏な空気が流れたが、別に衝突もなく、その間、彼らはみやげものや刀剣類を買いあさっていた。

15日午前8時ごろ、海岸通りの広馬場派出所で福本巡査が立番中、清国水兵四、五人が通りかかり、同巡査の前で放尿したのでこれを制止すると、路上のスイカの皮を拾って同巡査の顔をなで、さらに巡査を囲んで袋叩きにした。この清国水兵の集団暴力をみていた市民が怒り出し、ついに〝白ドッポー組″という車夫を中心とする威勢のいい一団が立ち上った。

『水兵危うし!』とあって上陸していた清国士官が警笛を鳴らし水兵を集合して〝白ドッポー組″と乱闘となった。清国水兵は日本刀や青竜刀を抜き、ドッボー組も日本刀や出刀庖丁で立ち向かい、斬りあいとなった。

この時、清国の貿易商や支那料理屋の二階から清国水兵のため刀剣類が投げられたので、水兵たちは優勢となり、ドッポー組や警官隊をじりじり追い詰めた。

警官隊はこれまで帯剣をかたく戒しめ無手で対抗していたが、ついに清国水兵のために梅ガ崎署まで押込まれたので、江口峰吉署長は「抜剣」を命じ、警官隊は一斉に躍り出し、ここに日清の市街戦までに発展した。

 この乱闘は夜半までつづいたが、清国水兵たちの軍艦引きあげて、市街戦となった市内各地も一応収まったが街のあちこちには血まみれ姿が横たわっており、清国水兵たちは大浦のドイツ人ホテルを仮収容所として手当を施した。

長崎始審裁判所で取調べにかかった。相手が外国人であるため、清国領事の立会いを求めたが、ようやく十六日午前二時になって領事葵幹がやってきた。しかも、それが支那式の大ゲサなもので、行列の先頭に「大清国領事街門」と大書した高張提灯一対を押し立て、その後から網羅をうち鳴らしている尊大さである。

双方の臨検が終った時はもう朝になっていた。日本側は死者一名、負傷者二九名、清国側は死者八名、負傷者四二名であった。

 結局、事件は外務省に移され、取調局長・鳩山和夫は外務省顧問米人デ二ソンを同伴長崎に出張、清国側から日本駐在参賛官・楊枢が顧問英人ドラモンドを同伴してきた。

双方審理の結果は、水兵の王葵逮捕の際、警官が捕縄を用いず普通のワラ縄を用いたのは、清国軍人を侮辱したもので、非は日本側にありということになった。その結果、賠償金を日本側から五万五千円、清国側から一万五千五百元を支払うことで和議は成立したが、この外交談判には国民は承知しなかった。

もともと事件は清国水兵の乱暴狼藉から起ったものなのに、日本側が清国以上に賠償した伊藤内閣の軟弱外交に世論は沸騰し、『傲慢清国』に対する批判が高まった。

<参考文献『世相と事件史、日本の1世紀』全日本新聞連盟編 同連盟刊 1968年≫

 - 健康長寿, 戦争報道, 現代史研究

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
日本メルトダウン脱出法(703)「一方通行の日米安保に米国で高まる不満(古森義久)」「TPPは日本に無益、中国経済圏拡大への対処こそ重要だ(野口悠紀雄)」

   日本メルトダウン脱出法(703) 一方通行の日米安保に米国で高まる不満(古 …

no image
終戦70年・日本敗戦史(135の続)「国を焦土と化すとも」と国際連盟を脱退する外交大失敗を冒した荒木陸相、森恪、松岡洋右のコンビと新聞の不見識

   終戦70年・日本敗戦史(135の続) <世田谷市民大学2015> …

no image
明治150年歴史の再検証『世界史を変えた北清事変⑤』-服部宇之吉著『北京龍城日記』(大正15年)より」★『義和団の乱の原因は西教(キリスト教)を異端として排斥した清朝祖宗の遺訓からきている』●『北清事変はキリスト教対中華思想の文明の衝突』

  明治150年歴史の再検証『世界史を変えた北清事変⑤』 以下は服部宇之吉著『北 …

日本リーダーパワー史(647)日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(40)<国難『三国干渉』(1895年(明治28)に碩学はどう対応したか、 三宅雪嶺、福沢諭吉、林ただすの論説、インテリジェンスから学ぶ』(1)『臥薪嘗胆論』①<三宅雪嶺〔明治28年5月15日 『日本』〕>

  日本リーダーパワー史(647) 日本国難史にみる『戦略思考の欠落』 …

no image
終戦70年・日本敗戦史(118)日清戦争はなぜ起きたのか⑤ー日中韓パーセプションギャップの対立から戦争へ② 原因としての長﨑清国水兵事件、防穀令事件、金玉均暗殺事件

 終戦70年・日本敗戦史(118)                   <世田谷 …

no image
記事再録/知的巨人たちの百歳学(133)ー「富岡鉄斎(87歳)ー『創造脳は長寿脳である』★『 万巻の書にかこまれて、悠々自適の晩年』★『万巻の書を読み万里の路を行くー鉄斎芸術の源泉とは』

『知的巨人の長寿学』・富岡鉄斎(87)に学ぶ   『創造脳は長寿脳であ …

『オンライン講座/ウクライナ戦争と日露戦争の共通性の研究 ⑨』★『日露戦争勝利と「ポーツマス講和会議」の外交決戦②』★『その国の外交インテリジェンスが試される講和談判』★『ロシア側の外交分裂ー講和全権という仕事、ウイッテが引き受けた』

  以下は、 前坂俊之著「明治37年のインテジェンス外交」(祥伝社 2 …

『最悪の国難(大津波)を想定して逆転突破力を発揮した偉人たちの研究講座①』★『本物のリーダーとは、この人をみよ』★『大津波を予想して私財を投じて大堤防を築いて見事に防いだ濱口悟陵のインテリジェンス①』

  2012/09/11  日本リーダーパワー史( …

『オンライン講座・吉田茂の国難突破力➄』★『2月4日、チャーチルが<鉄のカーテン>演説を行う、2/13日、日本側にGHQ案を提示、3/4日朝 から30時間かけての日米翻訳会議で日本語の憲法案が完成、3/6日の臨時閣議で最終草案要綱は了承,発表された』★

『オンライン講座/日本国憲法制定史➂』    日本リーダーパ …

★『Z世代のための日本政治史講座㉒』★『歴代”宰相の器”とな何か!』★『日本の近代化の基礎は誰が作ったのか』★『わしは総理の器ではないとナンバー2に徹した西郷従道』★『なんでもござれと歴代内閣に重宝されて内務大臣三回、海軍大臣七回、陸軍大臣(兼務)一回、農商務大臣などを歴任、縁の下の力持ちに徹し、有能人材を抜擢した』

     2012/09/09 &nbs …