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日本リーダーパワー史 ⑯ 日本のケネディー王朝・鳩山家のルーツ・鳩山和夫の研究③

   

日本リーダーパワー史 ⑯ 

日本のケネディー王朝・鳩山家のルーツ・鳩山和夫の研究③
                 
  前坂 俊之
          (静岡県立大学国際関係学部名誉教授)
 
 
  生きた学間の勧め
 
父が外務省に入ったのは明治十八年である。外相井上馨侯の懇望で学友斎藤修一郎氏を通じて外務省入りを要請された。「大学教授と弁護士の経験しかない私に役人になって勤まるかどうかわからないし、法律事務所に働く人々のことも考えねばならぬので、代言人の地位を棄てかねます」と謝辞したが、事務所の人を連れて来給えという熱心さに感激して外務省入を決意したのであった。

しかし実際は明治二十三年1月の辞職に到る五年間は、主として大隈侯の下に働いたのであって、父が外交官として種々の業績を残し得たのも、また当時の対外的難局に際し自説の主張に可成り大胆であり得たのも大隈侯の後援が与って力あった。

大隈侯とは不即不離関係に立って後年早稲田大学にも携わり、非常な尊敬を払っていたのは、外務省時代初めて大隈侯と逢って、正当な理由の存するところ、
積極的に堂々と対処すべきであるという点に於いて一致し、且つ全幅の委任を受けたたであろうと思われる。大隈外相の下で処理した事件は前述のほかに長崎事件、神戸桟橋事件、神戸雑居地問題、最恵国約款解釈問題等が主なるもので、今日の国際情勢と対比して非常に興味の深い事件が多い。
 
例えば長崎事件は、明治十九年八月十三日のこと、清国の北洋水師提督丁汝昌がウラジオの帰途長崎に寄港した際、軍艦鎮遠、定遠、済遠、鷲の乗組水兵が丸山遊廓で暴行した上に、これを制止したわが警官に抵死、同負傷二十名、日支双方に数十名の傷者を出した椿事が起った。

対外勢力の微弱な当時解決困難で徒らに遷延するのみであったが、翻訳局長の父は長崎出張を命ぜられ滞在四カ月、犯人処罰、損害賠償に依て解決し長崎居留地問題も三十万円で買収して円満に収め得たのである。

その帰途神戸において桟橋事件の真相を掴んだので、大隈侯に報告し解決方を一任された。それは伊藤公がかつて兵庫県令時代に交換された借地契約の中に、外人専用の桟橋を許可する一項があったが、ランチを着ける意味において桟橋を許可したのを、堂々汽船を着ける巨大なものを築造し密輸入を盛んにした。

かかる不法はないと調査の後明治二十一年神戸に赴き、当時の森岡県令と会い、数十名の人夫を桟橋に出すことを依頼する一方、英国の代理公使ドレンチ氏に対し交渉を開始したが一向時があかぬ。

「こういう不当な桟橋は、もしそちらで撤去しなければ当方で撤去する、その人夫賃はそちらで支払うべきである」と談判したが相手は馬耳東風、翌日人夫を連れて実際に取こわしにかかると初めて狼狽して、不名誉なことだから自分で取除くといって二日で事件は片づいた。

 
 こうして、総理や大蔵大臣もそれにはやり損ねるだろうと反対した海関税の換算改正も六カ月の期限つきで目的を達することが出来、最後に最も重要な最恵国約款の解釈にも成功を収めることが出来た。

例えばイタリー人が「日本の法律に遵うから自由に日本内地に入りたい」と条件づきの条約が出来ると、英国人は最恵国約款に基いて内地に無条件に入る権利を主張したのであったがこんな馬鹿げたことはないと主張し、米国からはじめて順次に各国交渉を行いメキシコとの条約締結交渉に於いて此の解釈問題の試験をするとの父の進言が大隈外相に容れられ、その時の解釈が動かし得ないものとなって、後の条約改正にまで発展したのであった。

 このかずかずの場合において法律の勉強をしても実地の役に立たねば面白くないとよく私に語った父の心事なり立場を理解することが出来るのである。弟秀夫が大学を卒えて何になろうかと相談したことがあった。父はこんなことをいった。  
            
「凡そ学問をやる以上何人といえども世界的の学者にならなければその効はない。だが法律では困難だ。なぜかといえば法律を研究する材料は世界的のものでない。

ここが物理学、化学等の自然科学と法律との世界的価値において相達している点である。勿論法律学においても世界的価値のある研究をなすことは不可能ではない。

しかし自然科学は材料が世界的に共通であるから世界的な学者になることは出来るけれども、法律は一国、一社会に限られ日本における材料によって研究するものだから世界的の学者になれないし、世界的価値を認められるべき発見の研究をなすには非常に難易の差がある。

結局日本の法律論であり研究である。日本の法律学者になるくらいなら法律上の知識を実地に応用し世の為に働いた方がいいではないか」

 
と大学に残るという弟に軽く反対して残りたければ残ってもいい、いつかは世の中のため働けるのではあるから、だがしかしお前の持つ知識を世の中のために役立たせる方がいいのではないか、つまりは弁護士になった方がいいではないか、ということをいったのであった。

恐らくは学者であるところのものを社会に捧げると同時に、一方父の理想を実現せんとした心事の一端を示すものであろう。

 
一時には一事を
 
 父は私達兄弟と本当によく遊んで呉れた。

「人間はその性質として苦しいことよりも楽なことを喜ぶものだ。従ってその人間性は多く遊戯の間において養われるものであるからその選択と方法は最も注意を払わねばならぬ」という意見を持っていたのであって、私共に色々な遊び道具を与え自ら進んで遊んで呉れた。

おはじき、ナインピンス、囲碁、将棋、撞球、器械体操、相撲、クロケィ、テニス、凧揚げ、ピアノ、オルガン、唱歌等の外に庭には花壇がつくられた。

 
 私が大学に入ってからでも、試験勉強をしていると、当時私達兄弟の勉強部屋は二階にあり父母の居間は階下にあったので、「大学の席順などを心配する奴があるか、下へ来て遊べ」などといって私の読んでいる本を伏せてしまったこともあった。

そして玉突きの相手をしようと下へ連れだして玉突きをしたり、相撲をとった。して喜んでいた。学校で特待生になったとか、一番になったとかいうことを聞いても、それはよかったということは断じていわなかった。答案の採点のよいように書くだけならば、先生の言ったことを覚えていればそれでよい。それで世の中に立って何になるかという詰込主義に反対した父の考えは私達にも徹底的に払みこんでいた。

 
 これを実行したのは父がはじめてだろうと思うが、日曜祭日には必ず「本日不在」の看板を玄関に掲げて私共と遊んでくれた。また一家揃って外出し、郊外散歩や動物園に行ったものである。そして手帳と鉛筆を持って観察したことを記入し帰宅後日記に託すようにし向けられた。

 こうして共に遊んでくれた間に父は色々なことを教えてくれたのであった。私は碁を打ちながら大きい男が「待った」というのはおかしく思うけれど、これは全く小さい時に父から教えられた結果でぁった。碁将棋の相手をしている時待ったというと、「そういう卑怯なことはいうな、自分で待ってくれといってはならないが、しかし相手が待ってくれといった時には待ってやれ」といって、英国のスポーツマンシップを教えてくれたのである。

私が代議士になって衆議院の図書室でセンターという人の「英仏及び欧州のデモクラシー」という本を読んだ時、スポーツにはファイティング・スピリットが必要であるが勝利のため手段を選ばぬのはいけない、必ずフェア・プレーでなければならぬ。

 
更に二歩進んで相手に対する寛容(ジエネロシティ・トワーズ・オポネント)を有たねばならぬ、といぅのを読んだ時、父の教えてくれたのはこれだなと感じたのである。

政治上でも最初に英国労働党内閣が成立した際、蔵相スノーデンが財政演説をしたが、その時アスキスがこれを貴め、前蔵相の保守党のホーンも讃え議会において未だ曾て見ない名演説だと称したのは、当時労働党は議員総数六百余の中百六十余名かで過半数に充たぬ、それを直ぐ潰さずに演説を賞めるというのは確に相手に対する寛容が現れているものと感じた。

 
 
 
 

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