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日本リーダーパワー史 ⑮ 日本のケネディー王朝・鳩山家4代のルーツ・鳩山和夫の研究②

   

日本リーダーパワー史 ⑮ 

日本のケネディー王朝・鳩山家のルーツ・鳩山和夫の研究②
                  
前坂 俊之
          (静岡県立大学国際関係学部名誉教授)
 
 
   鳩山民主党の誕生は日本の議会政治120年の中で、初めての本格的な政権交代である。

   鳩山由紀夫の曽祖父の鳩山和夫は東大から明治八年米国に国費留学生として米コロンビア、エール大学に留学し、エール大学では万国公法(現在の国際法)を勉強して法学博士号を取得した日本で最初の人物である。アメリカの民主主義について最初に勉強した日本人といえる。

   鳩山和夫は帰国して日本で代言人となり、徳川封建幕藩体制から日本を近代法治国家にするために、国民の人権を尊重擁護する弁護士を育成するために,日本弁護士会を創設した、日本で初めての弁護士である。

   その英語力、万国公法(英米法)などに精通した能力を井上毅、大隈重信などに買われて外務省取調局長、翻訳局長、外務次官となり、不平等条約に苦しめられていた日本で,その条約改正の担当者となり、国際法の知識とネイティブと互角に渡り合える英語力、タフネゴシエイタ―を発揮して数々の外交勝利を勝ち取った。

   教育に特に力を入れ日本社会近代化するためには教育以外にないとして明治二十三年、東京専門学校(早稲田大学の前身)の校長になった。

   その国際的な能力をかわれて政治家にも引っ張られ東京府議会議員から明治二十六年衆議院議員に当選、二十九年、衆議院議長(憲政党員)にもなった。

当時の日本の政治は薩長藩閥官僚政治で凝り固まっており、鳩山のような岡山県の勝山藩出身、東京育ちの人間は大臣にもなれなかったが、「米国でみた2大政党の政権交代がぜひ日本でも必要だ」との信念から、大隈重信らと行動を共にしていた。当時では野党的立場であり、今の民主党とその立場は重なってくる。

   以上の意味で、鳩山由紀夫は祖父の鳩山一郎以上に、この曽祖父の鳩山和夫の米大学院博士号、政治スタイル、外交術、教育方を学ぶ必要がある。

   徳川封建時代をチェンジして、アメリカ民主主義の根本原理を日本に導入して、日本に友愛と博愛、人類愛を根づかせてに、藩閥、官僚国家から米国のような民主国家にしようとした和夫の活躍については日本の政治史の中ではあまりページが割かれていない。そこで彼の生涯を鳩山一郎の文章の中から紹介する。
                               
(昭和11年6月「東京日日新聞」より)
 
 
      
 『私の父(和夫)は十三歳で海保弁之助の漢学塾に入り、明治三年十五歳で大学南校に入った。十六歳以上という規則ではあったが、真島藩―中国作州勝山藩の改称-では他に適当な人物が見当らなかったと見えて、父を貢進生として推薦した。

文部省が認めたのか、藩で偽って届けたのかは不明であるが、ただ一人の少年として入学し、法律科に進んだ。海外留学の議がまとまり十九歳の時、第一期文部省留学生の一人として、法学では小村寿太郎、菊池武夫、斎藤修一郎の諸氏と共に米国に留学し、コロンビァ、エール大学に学んだ。

留学生選抜の試験の時に、あまり熱心に勉強し七晩も不眠不休の努力を続けた結果、完全な歯は一枚もないぐらいに浮いてしまい、留学中の日記にも、何日続けて本を読んだとか、また頭痛に悩まされたとかということが記されている。

私が父から直接聞いた話に、両大学の図書館にある判決例の総てを読み、また如何なる書籍が如何なる場所にあ完か、その書名と位置を悉く暗記したということがあるからよほど勉強したものであろう。
                                    
 明治八年の米国行日記には「この行や文部省の命を奉じて法学のため米国へ往くなり。抑も予の法学に志すや、この奉命の時にあらず、その初め英字に志すの時自ら諭るところあり、

日く、人将に勉強せんとする必ず目的とするところ無かるべからず、拠って思ふに今世に生れて為すところあらんとするには須く法律を学ぶを要す、即ち開成学校法科を専門として明治八年六月本科第三級を終りたり。

一に法学といふ時は未だ茫乎として分明ならざる如し。余が研究せんとするものは万国公法にて当時交際の盛なるに嘗て最も必要なるものなり。

然るにわが国未だこの最要の学に捗りたるもの少きが故に、洋人を傭うて顧問に備へざるべからず、鳴呼、日本人のはじたるべき事実に非ずや、

故にこの行に際して、余は決然万国公法の薙奥を極むるにあらざれば、また、再び故国に帰らざるの意を固む」と、目的を述べ彼地では国際法を学び帰朝後も大学で国際法を講じたのであった。

法学の知識の外に語学は頗る錬達で、私の大学生時代にも、英語の不可解な場合には屡々父に教えを乞い訳解してもらったのであるが、この両者を実際に生かした例は外交官時代にこれを見るのである。

 明治二十三年の三月に桑港(サンフランシスコ)より手形の偽造犯人力ンボスという男が横浜に逃げて来たので、米国政府より我外務省宛に逮捕依頼を打電して来た。父はすぐ返電した。「もし犯人引渡し条約を締結するならば逮捕しょう」と。

当時治外法権により外国領事は勝手に犯人を逮捕して本国に送還していたのであるが、直ぐ米国から条約締結承諾の返電が到着したので、父は送られた人相書によって犯人を捕え米国領事に引渡した。その後間もなく犯人引渡し条約が締結されたのであった。

 
 日本人が外国の商標を偽造した場合は、各国の公使からの抗議により外務省は内務省に、それから地方長官に通牒して、偽造した者を召喚して説諭しその商標の使用を中止させたというのが当時の状態であった。
しかし父は英国の異議に対し直接公使館に赴いて「日本の今日でいえば特許局というものがあって、そこで登録された外国の商標を造れば明かに偽造になるけれども、外国で使っているものを日本人が日本で模造しても決して偽造にはならぬ。

日本の法律に従えば問題はないが外国の法律を日本が遵奉する義務は何もないではないか」という正論を吐いたのでその後かかる抗議は跡を絶つに至った。

 私が中学時代学んだことのある米国のナショナル・リーダーは日本で翻刻出版したものであったがこれに対し米国公使より、文書をもって差止めを迫って来た。

また父は出掛けて行って「こういう文書を受けようとは予想もしなかった。私が米国におった時、英国の本が沢山米国で翻刻出版されているので私も多く読んだが、米国で行われているものを日本が真似したからといって、版権侵害になるのは不都合ではないか、この抗議書はそちらにお返ししょう」と弁駁した。

その結果、米国の本を日本で出版しても版権云々の文句をきくことなく、ナショナル・リーダーはずっと使用されることになったのである。

         関連記事鳩山和夫①http://maesaka-toshiyuki.com/detail?id=224

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