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日本リーダーパワー史(34) 良心のジャーナリスト・桐生悠々の戦い②<個人誌 『他山の石』での批判活動>

      2018/07/26

 
日本リーダーパワー史(34)  

 

良心のジャーナリスト・桐生悠々②
            
<個人誌 『他山の石』での批判活動>
 
                       前坂 俊之
                   (静岡県立大学名誉教授)
 
桐生は立憲統治下の国民として、ジャーナリストとして、「言いたいこと」ではなく、 「言はねばならぬこと」を言いきった。このため、生活権も奪われてしまったのである。
桐生がこうした二度にわたる『信濃毎日』退社を起こし、数々の筆禍事件の末に悟ったことは、言論抵抗は組織で行うことは不可能という悲しい結論であった。個人で行う以外にない、と悟った桐生は独力で『他山の石』を創刊、これにたてこもって筆が折れるまでたたかい、刀折れ矢尽きて憤死する。
『他山の石』の創刊満二周年記念号(一九三六年六月五日号)で悠々は次のように書いた。
「当時、私がこれによって与えられた教訓は彼等と戦うには組織ある力を以てすることが不可能であり、結局、単独の力を以てしなければならないということであった」
大新聞は、〝巨大な権力″をもっているように見えて、攻撃にはじつにモロイ。 敵は一番の弱点に攻撃を加え悠々が「直接、私自身(桐生)に害を及ぼさないで、間接に人を害する結果を見、この結果は私自身の性質上堪へ能わない」というやり方であった。
 
さて、悠々がたてこもった『他山の石』は約四十頁の小冊子で毎月二回発行された。 部数は三百から四百五十部のミニコミ誌である。値段は一部五十銭、維持会員は毎月三円と当時の貨幣価値でも高すぎるものであった。
しかし、これのみによって桐生の家族計十三人の生活が一切まかなわれており、高価にしなければやっていけなかった。内容は翻訳の得意な桐生が広く外国の文献をあさってその概要を紹介、「緩急車」という論評欄で政治や世相を桐生が縦横無尽に批判、その本領をいかんなく発揮した。
のちに読者の投書や論文も一部に掲載したが、それ以外のすべては悠々が一人で 翻訳し、執筆した文字どおりの個人誌であった。
 
組織内からの言論戦は不可能となった桐生はすべて独力でギリギリのたたかいを 挑んだのである。一九三四(昭和九)年六月に『名古屋読書会第一回報告』として創刊、同年十二月に『他山の石』と改題、一九四一(昭和十六)年九月までの八年間、軍部ファシズムの狂暴な嵐とペン一本で凄惨なたたかいを展開した。
 
いわば、日本のジャーナリズムの苛酷な〝実験″でもあった。悠々は当時の言論のおかれた立場と国民の状況について、「緩急車」を設けた最初のコラム「三猿の世界と死の世界」(一九三五年二月五日号)でこう位置づけた。
 
7・・私たちは今『三猿』の世界に棲む
 
「言論機関は、今二重の監督の下にある。内務省の監督と更にこれよりも強力な陸軍省の監督の下にある。内務省を無事パスしても陸軍省の監督権にぶつ衝ると、それは理も非もなく罰せられる。……私たちは今『三猿』の世界に棲む。何事も、見まい、聞くまい、しやべるまい。否、見てはならない。聞いてはならない。しやべってはならない。『死の世界』に棲まされているのだ」と。
 
一九三二(昭和七)年の五・一五事件以来〝非常時″が声高に叫ばれた。悠々は「軍人や司法官が時めく時代、それは決して感心すべからざる時代である。だから、今日を非常時というのだ」「言論の自由を圧迫し、国民をして何物をもいわしめない。これが非常時なのだ」(一九三五年五月五日号)と陸軍の押しっけの〝非常時″を批判した。
 
反戦、反軍の立場を終始堅持した悠々はますます軍部、軍人がばつこする風潮を真正面からやっつけ、一九三五年八月十二日に起きた相沢三郎中佐が永田鉄山軍務局長を刺殺した事件などでも「陸軍内のギャング」と歯に衣を着せず批判した。
 
「正に是一ギャング」(一九三五年九月五日号)では「この卑怯なる行為は、当世流行のギャングの仕業とも見ることができる。街のギャングは今警察当局によって一掃されんとしつつある。陸軍内のギャングも、この機会において軍規粛正の名の下に、林陸相によって狩られるならば、或は禍を転じて福となし得るかも知れない」
 
一九三五年二月以降、天皇機関説問題にからんで国体明徴運動が高まるなかでの、「軍勅明徴問題」(一九三五年十一月五日号)では、「上官の命令即勅命たる軍部内において、しかし下剋上の弊風、しかも多数を恃んで、上を圧するに至るならば、その結果、それこそ国体を破壊しないであろうか。それが戦時に現われるならば、大変なことになりはすまいか。『国体明徴』問題を蒸しかえすものよ。冀くば脚下を顧みて、『軍勅明徴』問題が、そこに転がっていることを省みよ」と述べた。
 
8・・226 事件では「皇軍を私兵化して国民の同情を失った軍部」と批判
 
二・二六事件を予見し、軍閥の興亡をも射程におさめていたのである。 一九三六(昭和十一)年に入り、悠々が再々にわたって批判し、危倶していたとおり 軍部の下剋上、暗闘は二・二六事件となって暴発した。この時、タイトルもそのものズバリの「皇軍を私兵化して国民の同情を失った軍部」(一九三六年三月五日号)で胸のすく批判を展開した。「関東防空大演習を嗤う」とならんで、悠々の代表的なコラムである。
 
「だから言ったではないか」で始まるこのたたみかけるような文章は軍部のテロ、暴力に恐怖して縮みあがった人びとに異常な感銘を与え、賞賛が相次いだ。
「だから言ったではないか。国体明徴より軍勅明徴が先きであると。だから言ったではないか。五・一五事件の犯人に対して一部の国民が余りに盲目的、雷同的の讃辞を呈すればこれが模倣を防ぎ能はないと。だから、言ったではないか。疾くに軍部の妄動を誡めなければ、その害の及ぶところ 実に測り知るべからざるものがあると。だから私たちは平生軍部と政府に苦言を呈して幾たびとなく発禁の厄に遇ったではないか」
 
「軍部よ、今目ざめたる国民の声を聞け。今度こそ、国民は断じて彼等の罪を看過しないであろう」この勇気ある発言は読者から圧倒的な反響を呼び起こし、『他山の石』の声価を著 しく高めたが、逆に官憲からの監視はますますきびしくなり、以後、発禁につぐ発禁となった。
 
大新聞はどうだったのか。
二・二六事件の発生から広田弘毅内閣の発足(三月九日)までの間に、『朝日』『東京『読売』の社説を見ると、『朝日』が十一回、『東京日日』が九回、『読売』が九 日日』回と一連の経過を取り上げた。しかし、内容はお粗末でいずれも真正面から軍部の病根に挑んだものはなく、目をそらしたものばかりであった。
 
『読売』「帝都に戒厳令布かる」(二月二十八日)は「今回の事件が決して単純なるものではなく、相当根抵的のものであるはいうまでもない。……同時に国民も亦、沈着と冷静を失ってはなるまい」
『東京朝日』「一億臣民一致の義務」(二月二十九日)は「五・一五事件より四年にして再びかくの如き事件を引き起したるは実に遺憾であるが、しかも今日この民心の平静なるは国体の尊貴と国民の忠誠に対する信念が固く国運の進展、国力の伸張に対しての希望が大なるためであり、国体の擁護は一億臣民挙国一致の分担する所なるを
信ずるがためである」と奥歯にものがはさまったものばかりであった。悠々の言論と比
べればその格段の差はいうまでもない。
太田雅夫著『評伝桐生悠々』(不二出版、一九八七年)によると、一歩も引かぬ『他 山の石』の発禁は二十四回、削除は四回の計二十八回に及んだ。発禁、削除の理由
は、▽反戦思想醸成が十件▽軍部の行動誹謗歪曲など六件▽対支方針の非難歪曲など五件、などで徹底した弾圧が加えられた。
『他山の石』は合計百七十七冊が刊行されており、全体での発禁、削除の占める割合は一五・八%である。年間では一九三五年から一九三八年まではいずれも六、七回の発禁、削除で年間発行二十四回のうち約四分の一にあたり、悠々の言論がいかに当局の痛いところをついたかを示している。
当然、よりきびしい監視の目が光り、「本誌は殆ど毎号、その筋から差押えられている」と一九三六年十一月三十日号ではその窮状を訴えている。
『他山の石』のコラムのタイトルをみただけでも、巨大な軍部を相手にただ一人敢然とたたかった悠々のそのすさまじい戦歴の一端を垣間みることができる。
「運のよい軍人」(一九三五年五月五日号)、「軍部復出酒張る」(同六月五日号)、「軍粛と軍部国政要望の一元化」(一九三六年四月二十日号)、「三百代言的言動」(一九三七年一月二十日号)「上層軍部の劣弱性変態」(同五月二十日号)、「武力と言力」(同六月五日号)といった具合である。
一九三七年七月七日に日中戦争が勃発、政府は「反戦、反軍、軍民離間を招く事 項」など事変に関する報道を大幅に制限し、事実は書けないに等しい状態になったが、悠々はこの通達全文を掲載して当局の姿勢を批判した。さらに何とか発禁、削除をかわそうと、自ら伏せ字を使い○○とした文章を掲載したが、発禁、削除は減らなかった。
言論を武器とする雑誌で発禁が重なれば、存立そのものが危うくなる。悠々は自ら の敗北を認めた。「記者の敗北」(一九三八年十月十日号)では「記者の敗北は既定の事実だ。何ぜなら二者の争いは権力と無権力の争いだからである。言論はいうまでもなく、組織に対して戦い得べき一つの武器であるけれども、この武器が取り上げられては無手である」
 
悠々はやむをえず妥協し、同年十一月二十日号からゲラ刷りの事前検閲を受ける ことになった。
当初、四百部前後あった『他山の石』の購読者は日中戦争がドロ沼に入る頃になる と、読者が応召されたり、当局の弾圧が購読者にも加わり、悠々への送金を妨害するなど減りつづけ、経営は惨憺たるものとなった。
悠々は貧乏のドン底に陥り、好きな酒を絶 ち、百姓生活で自給自足の生活を送り生活費を切りつめ『他山の石』の発行にうちこんだ。
 
9・・「畜生道に堕落した地球より去る」と 69 歳で壮絶死
 
一九四一年九月十日、悠々は口頭ガンのため六十九歳で亡くなった。太平洋戦争 が始まる約三ヵ月前である。晩年の悠々は医学書を読んで自らガンであうことを知っていた。県特高課と対立し、事前検閲を七月に拒否したため、八月以降、続けさまに発禁と なり、病状が急激に悪化したため「他山の石」廃刊の辞を読者に送った。
 
「畜生道に堕落した地球より去る」という悠々の壮絶無比な訣別の辞である。
 
「時偶小生の癖疾喉カタル非常に悪化し、流動物すら嚥下し能わざるように相成やがてこの世を去らねばならぬ危機に到達致居候故小生は寧ろ喜んでこの超畜生道に堕落しつつある地球の表面より消え失せることを歓喜居候も唯小生が理想したる戦後の一大軍粛を見ることなくして早くもこの世を去ることは如何にも残念至極に御座候」
悠々は死の直前、友人たちに「日本の軍閥がワシントンの戦犯法廷へ引きずり出さ れる最後の姿をみとどけないで死ぬのが残念だ(2)」ともらしていた、という。筆一本に良心と正義をかけた悠々は当初から生活では敗北を余儀なくされており、 貧窮のうちに憤死したのもいわば既定の道であったといえよう。
しかし、戦前の十五年戦争下で、戦争への道に敢然と抵抗したジャーナリストがほ とんどいなかったなかで、悠々こそその唯一の人なのである。悠々の妻、寿々さんは一九八一年十月二十二日の  NHK 教育テレビの『桐生悠々――あるジャーナリストの生涯』のなかで「悠々一人が軍部にとってあんなに邪魔に  なるものですかね」と語った。
<参考文献>
第 一九三大年六月号(復刻版『他山の石』 (1)「他山の石』 一九八九年九月 不二出版 2 巻)
213P 一九八七年刊 不二出版 『評伝桐生悠々−戦時下抵抗のジャーナリスト』太田雅夫著 (2)
232P 『同上』 (3)
 

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