前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

日本リーダーパワー史(868)『明治150年記念ー伊藤博文の思い出話(下)ーロンドンに密航して、ロンドン大学教授の家に下宿した。その教授から英国が長州を攻撃する新聞ニュースを教えられ『日本が亡びる』と急きょ、帰国して止めに入った決断と勇気が明治維新を起こした』★『ア―ネスト・サトウと共に奔走する』

   

 

イギリスの公使に泣きつく

 

井上はなんという名だったか覚えぬ、そうしてその宿屋に泊って居って色々考へたが、どうしても陸路では長州まで帰ることが出来ぬ、出れば必ず捕へられるに相違ない。金は少々は持って居ったが、金は何んの用もなさぬ、去りとて海路を取って行く便はなく、ほとんど策に窮して居った。

 

そこで段々様子を聞いて見ると、最早十日を出ずして各国の軍艦が下の関を砲撃に行くという話である。軍艦は幾艘かときくと、十八艘だといふ、是れは到底仕方がない。

それならイギリスの公使に泣きつかう、身をイギリス公使館に投ずるより仕方がないと覚悟をした。その時は横浜に公使館があったので、直ぐにウオルコックという「ミニストル」の許に行って頼んだ。
この時は今のサトウも、シイボルトも、ラウダも、皆居って大概、日本語を知って居った人のみだから誠によかった。ウオルコックの所に行って、実は私等ほ「プリンス」から言い付けられて、ヨーロッパに行って居ったが、この度戦争が始まるということを聞いて容易ならぬ事と考へて帰って来たが、この戦争を止める積りである。
私共、其位の言い分は貫くから、どうぞ私共を長州まで送って呉れぬかとこう頼んだ。所がそれはお前達が帰った所がちっとも長州の勢は止らぬ、最早こちらでは大概極めて居るからと云う論であったから、マーどうぞ私ども折角ヨーロッパからそのために帰って来たのである。

 

私共きっとこの戦争は止めて御目に掛ける積であるから、是非どうか御依頼を申したいと懇々言った所が、それでは待って呉れ、一つフランス、アメリカ、オランダの公使にも相談しょうといふことになって、この各公使とそれから、イギリス、フランスの水師提督なども会合して、こういうことが起ったが、どうであるか、是れを送ってやるかどうかといふ評議になった。

アーネスト・サトウも一緒に長州に入る

その評議でそういう訳なら強て戦争を好む訳でないから送ることにしようと云ふことになって、その席へ来いと云ふから其所に行った、さうするとお前達は送って呉ろといふから送ってもやらうが、船は何地に着けようかと言ふから、海図を出して長州の海岸へは砲撃の虞あれば、船が着けられぬから豊後の姫島に着けて呉れと頼んだ、宜しい着けてやる。
そんな、その返答をするに何日掛るかと言ふから、何日というても其地から山口に行って、また姫島まで帰って来なければならぬから、どうしても往復の日数が掛るから、どうぞ二週間待って呉れ、評議もしなければならぬからと言った。

所が一週間より待たれぬ、待って呉れ、待たれぬというのでとうとう十二日間待つという約束をして、乃ちイギリスの軍艦一般とフランスの軍艦一般と都合二隻で送られた。

 

サトウもこの時一緒に行った、そうして姫島に着いてから私共両人は漁船を雇うて周防の国の戸海と云ふ所に行った、三田尻の直き近辺であるが、船着きだからそこに着けて呉れと言って戸海に上陸した。ところが長州はその時は攘夷論の極点に達して居る時で、男子は勿論、婦女に至るまで白鉢巻で袴をかけて長刀を使うというような騒ぎである。

ところが我々は散髪であって、漸く人に頼んで横浜で単物を一枚買って貰ったきりで、大小を差したり袴を着けたりするようなことは出来ぬ。それから戸海から三田尻といふ所まで二里ばかりあるが、そこに代官をして居った湯川平馬という男を知って居るから、早駕籠で行って実はこういう訳で帰って来たのだから、山口まで急に行かなければならぬ。

 

それまで身体が安全に保てぬと困るから、どうぞ貴様に頼む、やって呉れぬかといふと、それならやつてやらうとなって、そこで袴羽織に着物と大小を借り集めて揃ったが、山口に這入るには途中に関門があってなかなか厳重だ。

 - 人物研究, 戦争報道, 現代史研究

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
日本リーダーパワー史(95) 5・15事件で敢然とテロを批判した菊竹六鼓から学ぶ②<ジャーナリストの勇気とは・・>

日本リーダーパワー史(95) 5・15事件で敢然とテロを批判した菊竹六鼓から学ぶ …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(164)記事再録/『袁世凱の政治軍事顧問の坂西利八郎(在中国25年)が 「日中戦争への原因」と語る10回連載』●『万事おおようで、おおざっぱな中国、ロシア人に対して、 日本人は重箱の隅を小さいようじでほじくる 細か過ぎる国民性が嫌われて、対立がエスカレーとし戦争に発展した』

       2016/09/13日中韓 …

no image
  ★「日本の歴史をかえた『同盟』の研究」- 「日本側の日英同盟成立までのプロセス」⑦『伊藤博文が露都で日露協商の交渉中に、元老会議は日英同盟 の締結に賛成した。伊藤は日英同盟に反対し、その条約案 の修正を求めた。』

  ★「日本の歴史をかえた『同盟』の研究」- 「日本側の日英同盟成立までのプロセ …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(275)★『日露インテリジェンス戦争を制した天才参謀・明石元二郎大佐』 ロシア革命での情報活動①

    2015/02/23 &nbsp …

no image
終戦70年・日本敗戦史(99)『大東亜戦争とメディアー<新聞は戦争を美化せよ>『メディアコントロールを 検証報道で本質に迫れ』⑦

  終戦70年・日本敗戦史(99) 『大東亜戦争とメディアー<新聞は戦 …

no image
日本リーダーパワー史(889)-NHKの『西郷どん』への視点<自国の正しい歴史認識が なければ他国の歴史認識も間違う>●『今、日中韓の相互の歴史認識ギャップが広がる一方だが、明治維新、西郷隆盛、福沢諭吉への日本人の誤認識がそれに一層の拍車をかけている』

日本リーダーパワー史(889)- NHKの『西郷どん』―自国の正しい歴史認識が …

no image
高杉晋吾レポート⑫「脱原発」「脱ダム」時代の官僚像ーー元、淀川水系流域委員長 宮本博司氏インタビュー(中)

高杉晋吾レポート⑫   ダム推進バリバリの元国交省エリート、宮本博司が …

no image
『中国紙『申報』からみた『日中韓150年戦争史』⑪「中国が行っている冊封の儀と属国の国力強化について」

      『中国紙『申報』からみた『日中韓150 …

no image
日本メルダウン脱出法(642)「歴史無知の安倍お友達内閣と自民党の面々が近衛戦時内閣の『日中・日米外交の失敗』を再び繰り返すのか

日本メルダウン脱出はこれでは無理か!?(642) 「安倍お友達内閣と自民党の歴史 …

no image
日本リーダーパワー史(682)日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(61) 『世界史の中の『日露戦争』ー (英国『タイムズ』米国「ニューヨーク・タイムズ」は「日露戦争をどう報道したか」を読む(20回連載の11回~20回)

日本リーダーパワー史(682) 日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(61) 『世 …