前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

日本リーダーパワー史(239)『坂の上の雲』児玉源太郎こそ日本最高の戦略家ー『原剛氏(軍事史学会副会長)』の講演会

   

日本リーダーパワー史(239)
 
<『坂の上の雲』の最高のリーダシップとは誰か>

児玉源太郎こそ日本最高の戦略家である―

原剛氏(軍事史学会副会長)の『日露戦争と
児玉源太郎』講演会
 
       前坂俊之(ジャーナリスト)
 
リーダーシップの神髄とは何か①
総合判断力・決断力(胆力)、調整組織力ー
 
 
2月26日、「自然環境と人間性生活を考える会」主催で鎌倉生涯学習センターで 原剛氏(元防衛研究所戦史部所員、軍事史学会副会長)による『日露戦争と児玉源太郎』の講演会が開かれた。
原氏(74歳)は防大卒、陸上自衛隊の勤務が長く最終階級は1等陸佐。現・防衛研究所図書館調査員である。今回、放送されたNH­Kスペシャルドラマ「坂の上の雲」の軍事考証を手掛けるなど、日本軍事史の専門家で特に、国土防衛史が専門で『明治期国土防衛史­』(錦正社、2002年)なる著書がある。
今回の講演テーマは明治期のトップリーダーの児玉源太郎の日露戦争での戦略、リーダーシップについてで、日露戦争の経緯から、日­本軍の戦略,戦術、講和までのいきさつを軍事専門家の立場から詳細かつ、わかりやすく講演し、最後に「リーダーに最も必要なのは­総合判断力・決断力(胆力)、調整組織力。その基盤は私心(私欲)のコントロールにある」と結論された。

原氏は「日露戦争は児玉がおぜん立てして勝利し、幕引きまでやった、児玉源太郎の戦争であった。もし、児玉なかりせば日露戦争の­勝利ができたかどうか」と語り、「児玉源太郎は戦前の陸軍ではあまり評価されなかったが、単に軍人のワクをはみ出した台湾総督時­代の善政を含めて戦略を持った政治家、リーダーとしても傑出した人物であった」と高く評価した。
目下、日本ではグロバリゼイションによる政治的な混乱が続き「政治家、リーダーの真のリーダーシップとはなにか」「日本の近代史­のなかで真のリーダーはだれなのか」「日露戦争の真実」など歴史とリーダーシップの見直しが起きており、今回、大変時期にかなっ­た講演となった。この講演会の内容を原氏と「自然環境と人間性生活を考える会」の了解をもとに、公開します。(前坂俊之)


『日露戦争と児玉源太郎』のレジメ  原剛(軍事史学会副会長)

はじめに

山県有朋の歌碑—「越えばまた 里やあらむと 頼みてし 杖さえ折れぬ老の坂道」児玉源太郎の死を惜しみ歌った歌(江ノ島の児玉神社境内)・墓地  多摩墓地児玉を祀る神社 徳山の児玉神社、江ノ島の児玉神社銅像 満州新京(長春)の児玉公園・墓地  多摩墓地

日露戦争と児玉源太郎ー原剛氏の講演会(リーダーシップの神髄とは②

1 日露戦争の概要

日露戦争の意義—①朝鮮・満州の支配権をめぐる日露の戦い②日本が国際的地位を確立③アジア諸民族の独立気運を盛り上り④欧米の­帝国主義体制の中へ参入し大陸進出の基盤を確立

2 日露戦争の特色—①国家総力戦の先駆け②火力の威力発揮③交戦国外での 戦争④英露対立の中での戦争
3 日露両国の戦略
4− 日露両国の戦力
5−日露戦争の国内的影響—
①戦術思想、陸軍白兵主義、海軍大鑑巨砲主義、②中国人蔑視感

2 児玉源太郎の経歴、軍歴

(1)児玉源太郎の経歴概要
(2)児玉の軍制改革①国土防衛体制の整備~師団制、要塞建設 ②国土防衛基盤の整備~鉄道;道路、地図、工廠   ③戦術特に現地戦術教育~メッケルの教育導入
(3)人材の育成

3 日露戦争における児玉源太郎
積極作戦計画、開戦指導
(1)参謀本部次長・ 降格人事・積極作戦計画 ・開戦指導・満州軍総司令部の編成
(2)満州軍総参謀長.積極作戦指導—ロシア軍の集結未完に乗じて決戦、旅順攻略問題、203高地攻略指導、遼陽,奉天会戦、戦­争終結指導

4 日露戦争後の児玉源太郎     ・満州経営問題・国防方針策定これらを積み残し燃え尽きた
おわりにリーダーに必要なのは総合判野力・決断力(胆力)調整組織力。その基盤は私心(私欲)のコントロールである。

 
 

 - 人物研究 , , , , , , , , , , , , , , , , , ,

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

★『鎌倉釣りバカ人生30年/回想動画記』➀(2011年から10年間)」★『Severe winter in KAMAKURA SEA』と『老人の海』=『ラッキー!大カサゴのお出ましじゃ』

    2011/02/13 「鎌倉カヤ …

『オンライン講座/三井物産初代社長/益田 孝(90歳)晩年学』★『『千利休以来の大茶人・「鈍翁」となって、鋭く生きて早死により,鈍根で長生きせよ』★『人間は歩くのが何よりよい。金のかからぬいちばんの健康法』★『 一日に一里半(6キロ)ぐらいは必ず歩く』★『長生きするには、御馳走を敵と思わなければならぬ』★『物事にアクセクせず、常に平静を保ち、何事にもニブイぐらいに心がけよ、つまりは「鈍」で行け。』

  2012/12/06 人気記事再録/百歳学入門(59) …

no image
<まとめ>『国難の日本史』『日本の決定的な瞬間にリーダーはどう決断、行動したのか』(ピンチはチャンスなり)

  <まとめ>『国難の日本史』    『 …

『オンライン講座/日本興亡史の研究④』★『日本史最大の国難・日露戦争で自ら地位を2階級(大臣→ 参謀次長)降下して、 陸軍を全指揮した最強トップ リーダー・児玉源太郎がいなければ、日露戦争の勝利はなかったのだ。 ーいまの政治家にその叡智・胆識・決断力・国難突破力の持ち主がいるのか?』★『予(児玉)は、全責任を自己一身に負担し、この責任を内閣にも、又参謀総長にも分たず、一身を国家に捧げる決心を以て熟慮考究の上、一策を按じ、着々これが実行を試みつつある』

  2017/05/22  日本リーダーパワー史( …

『オンライン講座/日本興亡史の研究 ⑲ 』★『戦略情報の開祖・福島安正大佐ー 明石元二郎の指導する「明石工作」は日英同盟を結んだ英国諜報局とは極秘の「日英軍事協商」を結び諜報の全面協力体制を築いた。福島安正、宇都宮太郎(英国駐在武官、宇都宮徳馬の父)がバックアップして成功する』

    2016/03/01  &nbs …

『リモートワーク/京都世界文化遺産/外国人観光客へお勧め/豊臣秀吉ゆかり醍醐寺をぶらり散歩動画(2016/09/04 /30分)』★『桃山時代の面影を残す秀吉ゆかりの古刹』★『秀吉が設計した三宝院の庭園の天下の名石・藤戸石』★『秀頼の作った西大門から入り広大な伽藍に向かう』★『本堂の金堂(国宝)は秀吉の命で紀州湯浅から移築、本尊の薬師如来像がある』★『西大門の仁王像、運慶、快慶以前の現物残る傑作、なぜ国宝でないのか』

★⒑外国人観光客へお勧めベスト①『京都古寺・醍醐寺」のすべて➀桃山時代を残す秀吉 …

no image
<日本最強の参謀は誰か-杉山茂丸>⑩伊藤博文や山県有朋ら元老、巨頭を自由自在に操った神出鬼没の大黒幕

    <日本最強の参謀は誰か–杉山茂丸>⑩ & …

no image
<クイズ>世界で最高にもてた日本人とは誰でしょうかーー「ハリウッドの王者に君臨した早川雪洲じゃよ」②

世界で最高にもてた日本人とは誰でしょうかーーー 「ハリウッドの王者に君臨した早川 …

日本リーダーパワー史(647)日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(40)<国難『三国干渉』(1895年(明治28)に碩学はどう対応したか、 三宅雪嶺、福沢諭吉、林ただすの論説、インテリジェンスから学ぶ』(1)『臥薪嘗胆論』①<三宅雪嶺〔明治28年5月15日 『日本』〕>

  日本リーダーパワー史(647) 日本国難史にみる『戦略思考の欠落』 …

『Z世代への<日本史難問クイズ?>『リンカーン米大統領が奴隷の解放宣言をしたのは1862年(文久2年)ですが、日本で中国人奴隷(苦力)を解放したのは一体誰でしょうか⑲』★『西郷隆盛(参議・実質総理大臣)です。横浜港に入港した『マリア・ルース号事件』(清国人苦力=奴隷230人をペルーに運ぶ途中)で人権尊重の観点から外務卿・副島種臣に命じて停船を指示・船長を告発させ、裁判後に清国に送り替えした』★『「国の本来の政治は軍備の不備を恐れず、一国の運命をかけても、正論を以てこれを貫くべし」』

2019/07/27  日本リーダーパワー史(858)/記事再録 &n …