前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

池田龍夫のマスコミ時評(57)●『オスプレイの事故検証抜きで配備を急ぐ』●『原子力委員会が企んだ「秘密会議』

   

 
 池田龍夫のマスコミ時評(57)
 
オスプレイの事故検証抜きで、配備を急ぐ(7・13)
●『
原子力委員会が企んだ「秘密会議」」(7・11)
 
池田龍夫(ジャーナリスト)
 
    ●『オスプレイの事故検証抜きで、配備を急ぐ(713)
 
 米海兵隊のオスプレイ(垂直理離着陸機MV22)配備への不安が広まっている折、7月11日米国南部で訓練中に緊急着陸するトラブルがまたも発生。回転翼の不調が重なって発生して不時着したらしいが、重大とことだと言わざるを得ない。
 
        沖縄県知事、重ねて配備中止を要請
 
 仲井真弘多沖縄県知事は7月12日、防衛省に森本敏防衛相を訪ねて会談、「沖縄への配備中止を再度要請する。事故原因を究明し、県民の不安を払拭してほしい」と迫った。「首相官邸と相談する」と答えただけの森本氏の姿勢に、仲井真氏は「(防衛相からは)いい返事をいただけず、失望した」と、憤懣をぶちまけていた。
 
       「グアムに一時陸揚げして再考を」
 
 12日の衆院予算委員会でも、多くの議員がオスプレイ配備に関する質問を森本防衛相に浴びせたが、「米側の配備計画に変更ない模様で、米側からの事故原因報告を待っている」と、相変わらずの消極的答弁を繰り返していた。
「オスプレイを載せた輸送船は現在、太平洋のどの辺にいるか」との質問に対し、森本氏は「グアム付近と聞いている」と答弁。すかさず、「それならグアムに一時陸揚げして、再考すべきではないか」と追及された森本氏は「米軍が民間会社に依頼した船について、日本が口を出すわけにはいかない」との逃げの姿勢に、失望させられた。
藤村修官房長官も11日の記者会見で「緊急着陸、予防着陸はオスプレイに限らず民間機でも少なからずある。こういう事例はしょっちゅうある。防衛省が念のため(米側に)
照会すると聞いている」と、まるで他人事のようだ。
 
        山口県知事も、岩国への陸揚げに反対
 
 米側は山口県・岩国基地にオスプレイを陸揚げする方針だが、二井開成山口県知事は「ますます安全性に疑問が出てくる。安全性が確認されてない状況で(陸揚げの)日にちの通報があっても反対する」と述べており、〝試験飛行〟の対象地域となる本土自治体の反発も強い。
 
沖縄、本土を問わず国民の不安感が高まっているのに、真剣に打開策を示そうとしない野田佳彦政権の対米追従姿勢への不満は募るばかりである。
 
 
 
◎『原子力委員会が企んだ「秘密会議」」(7・11)』
 
 
 内閣府原子力委員会(近藤駿介委員長)の「秘密会議」について、毎日新聞6月6日付朝刊が特報した裏工作には驚かされた。原子力委は原発推進側だけを集めて「勉強会」と称する秘密会議を23回も開いていおり、この席に原子力員がどう加担していたか注目されており、同紙は次のように報じている。
 
        「委員長ら5人全員の出席」認める
 
「原子力委は昨年11月17日の第1回会議に5人の原子力委員全員が出席していたことを明らかにした。
これまで近藤駿介氏(東大名誉教授)、佐藤達治郎氏(委員長代理・元電力中央研究所参与)、秋葉悦子氏(元日本消費者生活アドバイザー・コンサルト協会常務理事)の3委員の関与が分かっていたが、新たに大庭三枝・東京理科大准教授と尾本彰・東工大特任教授の2委員の出席が判明した。
 
5人の出席について近藤委員長は5日、記者団に『今後の原子力政策の全体像を論議した。(事業者に)全体像を理解してもらわないとデータ作成を依頼できない』と正当性を主張した。しかし、秘密会議では長期的な原子力政策(原子力政策大綱)を論議する<新大綱策定会議>で使う議案の原案を事前に示し、事業者から意見を聞いていたことなどが既に判明している。
 
策定会議メンバーは第三者による検証を求めているが、政府内には『原子力委が決めるべき問題ではない』との声があり、近藤委員長も『政府にお任せしている』と述べ、手法や時期が未定であることを明らかにした」
 
東電から〝手当て〟を貰っていた尾本彰委員
 
内閣府原子力委員会の原子力政策の失態が明るみに出て、その責任が厳しく問われている。中でも尾本委員は、東京電力技術部長、国際原子力委(IAEA)原子力部長を歴任した原子力技術者で、原子力委の実力者とみられている。
 
衆院予算委に続き、7月10日の参院予算委に参考人招致され、東電との腐れ縁が水野賢一議員(みんなの党)の追及によって明らかにされた。非常勤とはいえ、尾本氏は「昨年の3・11後、今年3月まで東電から毎月多額の顧問料を受け取っていた」事実が暴露されたのである。
 
「とんでもない話で、受け取ったカネを返済し被災地に回し、即辞任すべきだ」と詰め寄られた。「立場上、受け取っていた金額を明らかにできない。まして勝手に辞任するわけにいかない」との逃げの弁明で時間切れとなった。「首相には、罷免する権限があるはずだ」とも迫られ、原子力委は信頼を失墜するばかりである。
 
誰も責任を取らずに、1年4カ月も放置
 
3・11後」に首相交代はあったものの、原子力委をはじめ通産省原子力・安全保安院の責任の所在が、1年4カ月後になっても明確に示されないのは何事であろうか。国会事故調が7月5日に出した提言7項目を読み返し、早急に実行してもらいたい。
 
(いけだ・たつお)1953年毎日新聞入社、中部本社編集局長・紙面審査委員長など。
 
 

 - 現代史研究 , , , , , , , ,

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
知的巨人の百歳学(114)徳富蘇峰(94歳)の長寿人生論「体力養成は品性養成とともに人生の第一義。一日一時間でも多く働ける体力者は一日中の勝利者となり、継続すれば年中の勝利者、人生の勝利者となる』★『世界的作家の執筆量ベスト1は一体だれか。『近世日本国民史』(百巻)の徳冨蘇峰か?!』

 知的巨人の百歳学(114) 体力養成は品性養成とともに人生の第一義。 …

no image
知的巨人の百歳学(126)『天才老人/禅の達人の鈴木大拙(95歳)の語録』➂★『平常心是道』『無事於心、無心於事』(心に無事で、事に無心なり)』★『すべきことに三昧になってその外は考えない。結果は死か、 生か、苦かわからんがすべき仕事をする。 これが人間の心構えの基本でなければならなぬ。』

 記事再録/百歳学入門(41) 『禅の達人の鈴木大拙(95歳)の語録』 …

no image
日本興亡学入門⑤ 『リーダーと知識人不在の日本の悲劇―脳死状態の日本』

日本興亡学入門⑤                                 …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(200)-記事再録/『日露戦争の勝利が日英米関係の転換となり、日米戦争の遠因となった』★『日露戦争勝利は「日英同盟」、米国のボーツマス講和会議斡旋のおかげなのに日本は自力で勝ったと思い上がり、おごりを生じた。』★『②日米関係を考える上で、〝歴史の教訓″は1924(大正十三)年七月一日に施行された排日条項を含む「外国移民制限法」である。』

    2015/08/05 /終戦70年・日本敗 …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(150)再録★<『英タイムズ』(1906(明治39)年12月28日付記事)が報道したよくわかる日本史『海洋民族/海洋国家日本の900年の歴史★蒙古襲来から日露戦争までの海の道>―今こそ、第3の鎖国を解き、アジア太平洋海洋国家へ飛躍しようせよー

    2011/11/28 &nbsp …

no image
日本メルトダウン脱出法(753)「今後2年のマーケティングの変化は過去50年を凌ぐ 柳井正氏に聞く」●「世界各地で試される米国の力ーオバマ政権は「強い米国」のイメージを修復できるか?」(英FT紙)

  日本メルトダウン脱出法(754) 今後2年のマーケティングの変化は …

no image
日本リーダーパワー史(674) 日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(56)●『福島安正大佐は『情報鎖国』『情報低国』時代に世界的な戦略情報家、インテリジェンスに』「シベリアには英仏独のスパイが50年前から活動、対ロ戦争は英、仏、独のいずれかを味方としべし」

 日本リーダーパワー史(674) 日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(56)   …

日本の最先端技術『見える化」チャンネル/「2019NEW 環境展」(3/13)ー「リョ―シンのAI選別ロボット」は、従来「人」の手で行われていた廃棄物の選別工程をAI(人工知能)が自動化します

日本の最先端技術『見える化」チャンネル 「2019NEW 環境展」(3/13)ー …

no image
日本リーダーパワー史(628)日本国難史にみる『戦略思考の欠落』 ㉑「日清戦争は明治天皇は反対だったが、川上操六、陸奥宗光の戦争であった」「 戦争は避けることばかりを考えていてはますます不利になる」(マッキャベリ)

 日本リーダーパワー史(628)  日本国難史にみる『戦略思考の欠落』 ㉑  『 …

「オンライン・日本史決定的瞬間講座②」★「日本史最大の国難をわずか4ヵ月で解決した救国のスーパートップリーダーは一体誰でしょうか?」★『何度も死からよみがえった不死身の大人物ですよ』

鈴木は「海戦の勇士」「不死身の貫太郎」 鈴木貫太郎(1868年(慶応3)1月―& …