前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

日本リーダーパワー史(413)『中国の沙漠を甦らせた奇跡の男・遠山正瑛』<歴史読本(2009年3月号)

   

  日本リーダーパワー史(413

『中国の沙漠を甦らせた奇跡の男・遠山正瑛

<歴史読本(20093月号)に掲載>

 

前坂俊之(静岡県立大学名誉教授)

 

[中国への感謝と贖罪]

 

 地球温暖化や沙漠化対策が世界の緊急課題となっている今、中国・ゴビ沙漠の不毛の大地に三百万本ものポプラの木を植え、緑をよみがえらせた奇跡の男・遠山正瑛が注目されている。

 遠山正瑛は明治三十九年(一九〇六)十二月、現在の山梨県富士吉田市に生まれた。昭和八年(1933)、京都帝国大学農学部を卒業後、外務省の国費留学生として中国へ農業研究のために渡った。広大な沙漠を知るとともに、黄河の大洪水で農地も家屋も流された農民の悲劇を目の当たりにして、衝撃を受けた。

 

昭和十二年、日中戦争が勃発、遠山は中国軍からスパイ容疑で拘束されたが、車で命からがら脱出して帰国した。わずか二年間の留学だったが、中国人から親切にしてもらった。

 帰国後は、鳥取大学農学部教授となり、鳥取砂丘で砂地農業に取り組んだ。「不毛の砂地で農作物はできない」という常識を打ち破って、スプリンクラ1を日本で初めて導入し、

メロン、イチゴ、ブドウなどの高級果物の栽培に成功した。「乾燥地研究センター」を設立して所長を務め、日本の砂地農法、砂漠緑化の第一人者となった。

 

 昭和四十七年、六十五歳で鳥取大学を退官した遠山は、中国の沙漠緑化に本格的に取り組んだ。人口十三億の中国は、国土は日本の二十五倍だが、耕地面積はわずか十一%しかない。しかも沙漠面積は日本の国土の四倍。毎年、東京都にも相当する両横が沙漠化しており、百万人以上の農民が土地を失い、食糧難は年々深刻化していた。

 

 遠山の沙漠緑化への情熱は、二千年以上に及ぶ日中友好の歴史もさることながら、日中戦争などの侵略に対して賠償を一切求めず、逆に旧満州の残留孤児を親身に養育してくれ

た中国側への感謝と、贖罪、恩返しの気持ちからであった。

 

〔やれば、できる〕

 

 遠山は中国に何度もわたり、「沙漠緑化は食糧増産につながり、戦争を防ぎ、世界平和への道だ」と要人たちを説得して回ったが、「不可能なことだ」と相手にされなかった。

だが、「やれば出来る。やらなければ、出来ない。続けさえすれば、いつかは成功する」と遠山は日本でボランティアを募り、募金を集めて、苗を買って独自に植栽に取り組んだ。

 

 昼は気温四十度を突破する沙漠は、夜はマイナス十度にもなり凍てつく。乾燥に強く、根が短期間に1メートルも伸びるくずのタネを黄河流域に何万粒もまいたが、芽は遊牧の羊に食べられて失敗した。

 

 今度は成長の早いポプラの木を植えるとともに牧冊をつくって羊を防ぎ、砂防と緑化の一石三島の作戦を考えた。内蒙古自治区のゴビ沙漠に一本一本、ポプラの木を植え統けた。

これには中国人も驚き、アリがゾウに立ち向かうようなもの、とあきれかえって見守った。

  平成3年〈1991)、やっと中国科学院も協力を示し、遠山も「日本沙漠緑化実践協会」を設立、内蒙古自治区クプチ沙漠で本格的にモデル地区を作って取り組むことになった。

この時、遠山は八十四歳。一年のうち三百日近くも現地でテントに寝泊りしながら、毎日十時間以上も黙々と植え続けた。


〔 三百万本のポプラ 〕
 

「地球環境も食糧問題も日中は運命共同体」との遠山の熱心な呼びかけに、日本側のボランティア、献金が続々集まり、十年間に延べ七千人が沙漠との戦いに海を越えた。平成七

年八月、ポプラの植林は累計でついに百万本を突破、平成十三年十二月には三百万本を達成し、不毛の地は立派なポプラ並木がつらなる緑の農地によみがえった。

 

 まさに、「愚公、山を動かす」の奇跡がおこったのである。江沢民前国家主席は、遠山と二度にわたり会見し、その貢献を高く評価した。現地では遠山に感謝して銅像が建てられたが、中国で生前に銅像が建てられたのは毛沢東と遠山の二人だけという。

その台座には「九十歳の高齢ながら、たゆまず努力し、志を変えなかった」と彼を讃える言葉が刻まれている。 

 平成十三年、国連「人類に対する思いやり市民賞」を、平成十五年にはアジアのノーベル賞「ラモン・マグサイサイ賞」を相次いで受賞した遠山は、「沙漠化を防ぐだけではダメ。農地にかえないと五十年後人類の半分は餓死する。全世界の沙漠を緑に変えたい」と語っている。「奇跡の人」遠山は平成十六年二月、九十七歳で亡くなった。

 

<遠山正瑛氏>

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%A0%E5%B1%B1%E6%AD%A3%E7%91%9B

 

砂漠緑化の研究家・遠山正瑛氏が逝去 享年97

http://j.people.com.cn/2004/03/01/jp20040301_37131.html

 - 人物研究 , , , , , , , , , , , ,

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
<クイズ『坂の上の雲』>明治陸軍の空前絶後の名将・川上操六論④とは・友人徳富蘇峰による・・

<クイズ『坂の上の雲』> 明治陸軍の空前絶後の名将・川上操六論④・ 前坂俊之(戦 …

no image
知的巨人の百歳学(125)- 世界が尊敬した日本人/東西思想の「架け橋」となった鈴木大拙(95)②『禅の本質を追究し、知の世界を飛び回る』

2013年9月22日記事再録/  世界が尊敬した日本人   &nbsp …

no image
日本リーダーパワー史(449)「明治の国父・伊藤博文が明治維新を語る①」明治時代は<伊藤時代>といって過言ではない。

      日本リーダーパワー …

no image
『中国紙『申報』からみた『日中韓150年戦争史』㊳興亜説について(榎本武揚の興亜会の設立)明治23)年8月

     『中国紙『申報』からみた『日中韓150年 …

no image
「日本敗戦史」㊴徳富蘇峰が語る『なぜ日本は敗れたか』⑤「昭和天皇の帝王学とリーダーシップー明治天皇と比較」

『ガラパゴス国家・日本敗戦史』㊴   『来年は太平洋戦争敗戦から70年目―『日本 …

no image
日本リーダーパワー史(575)明治維新革命児・高杉晋作の「平生はむろん、死地に入り難局に処しても、困ったという一言だけは断じていうなかれ」①

 日本リーダーパワー史(575) 明治維新に火をつけたのは吉田松陰であり、230 …

no image
日本リーダーパワー史(254) 川上操六(33)『眼中に派閥なく、有為な人材を抜擢し、縦横無尽に活躍させた」

日本リーダーパワー史(254)  空前絶後の参謀総長・川上操六(33) ◎「日清 …

no image
日本リーダーパワー史(737)『大丈夫か安倍外交の行方は!?』-プーチン大統領と12/15に山口県で首脳会談開催。長州閥は外交には弱く、伊藤、山県とも『恐露病患者』で日露戦争で外交失敗、『日ソ中立条約」の松岡洋右外相も大失敗の連続①

 日本リーダーパワー史(737)  ★『大丈夫か安倍外交の行方は!?』- プーチ …

『Z世代のための最強の日本リーダーシップ研究講座㊱」『120年前の日露戦争勝利の立役者は明石元二郎と金子堅太郎』★『金子は米国ハーバード大学出身で、同窓生のルーズヴェルト米大統領を日本の味方につけた<金子工作>』★『「明石元二郎大佐による「帝政ロシア破壊工作の<明石工作>の謎を解く』

  『金子工作』『明石工作』と日露インテリジェンス戦争の内幕 &nbs …

no image
『リーダーシップの日本近現代史(15)人気記事再録/『日本の最強の経済リーダーベスト10・本田宗一郎の名語録

記事再録/日本リーダーパワー史(80) 日本の最強の経済リーダーベスト10・本田 …