前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

日本リーダーパワー史(417)『軍部テロと闘った不屈の新聞人・菊竹六鼓ー世界の報道人100人」に選ばれた』

      2015/01/01

 日本リーダーパワー史(417

軍部テロと闘った不屈の新聞人・菊竹六鼓(福岡日日新聞
(現・西日本新聞)―

<人権と民主主義を守るため報道の自由>に貢献した「20世紀の
世界の
報道人100人」に選ばれた

 

<歴史読本(201210月号)に掲載>

 

前坂俊之(静岡県立大学名誉教授)

 

〔世界が認めた報道人〕

 

 いま、世界的なグローバリズムの嵐の中で、日本丸は沈没寸前だが、それだけに政治を監視するメディアのカが問われている。昭和政治史の分岐点となった5・15事件で軍部テロを敢然と批判した新聞人・菊竹六鼓の勇気と見識こそ大きな教訓となる。

菊竹は、人権と民主主義を守るため報道の自由に貢献した「20世紀の世界の報道人100人」の一人に選ばれた。

 

 昭和七年(一九三二)五月十五日、犬養毅首相(当時七十七歳)は、首相官邸で国家革新をねらう若手海軍将校に襲われ「話せばわかる」と言った瞬間、「問答無用」 と拳銃で射殺された。

 この結果、第一回総選挙以来の政党政治家の犬養首相の死とともに議会政治は終止符を打たれ、以後、軍閥ファッショ政治となり、日本は戦争への道を転落していった。この時、軍部テロを真正面から批判したものは菊竹ら少数だった。

 

 菊竹六鼓(本名・淳)は明治十三年(一八八〇)一月、福岡県生業郡福益村(現うきは市)で生まれた。二歳の時に骨髄炎で左足が不自由になったが、早稲田大学を卒業、福岡日日新聞社(現・西日本新聞)に入社。明治四十四年に編集局長となり、のちに主筆となった。

 足は何度か手術したが失敗し、〝ビッコ″となったが、六鼓はこれを号とした。反骨精神が旺盛で、軍人の政治関与を批判し、憲政擁護、議会政治を守る強い信念をもっていた。

また、〝木鐸記者〃 意識にこり固まっており、若い記者には 「ウソは絶対に書くな」「新聞記者は裁判官より清潔でなければならぬ」と、口ぐせのように言っていた。

 

〔軍部台頭への猛烈な批判〕

 

 五・一五事件が発生したのは夕方だったが、直ちに号外を発行した。翌朝、出社した菊竹編集局長は「ふだんとかわらずやりましょう」 と訓示し、さっそく論説の筆をとって「首相兇手に斃る」を上野台次整理部長に出した。

 上野は感動し、「この社説は夕刊に載せたい。夕刊社説は例のないことですが…・‥」というと、菊竹は「ヨウ、ゴザッショウ」と、二段組で掲載することになった。以後、菊竹は激越な軍部批判の論陣をはる。

 

・翌十七日 「あえて国民の覚悟を促す」

・十八日  「宇垣総督の談」

・十九日  「騒擾事件と与論」

・二十日  「当面の重大問題」

・二十一日 「憲政の価値」

 

と、六日連続で火を吐くような論説を書きつづけた。

『朝日』『毎日』などの全国紙の社説は1,2回と軍部批判の口を閉ざす中で、菊竹は「テロは言語道断」と追及し、「陸海軍の政治介入、軍紀の乱れは国を破滅させる」と警告し、返すカタナで、言論の力が一番必要とされる時に沈黙した『朝日』『毎日』などを「魂を売った」とまできびしく批判した。

〔徹底抗戦〕

  こうした菊竹の軍部批判は、おひざ元の久留米歩兵第十二師団や在郷軍人会、右翼から激しい抗議となってバネ返った。

 第十二師団は久留米支局に対し出頭を命じ、「社説は軍部を誹謗するものであり、取り消せ!」「福日の社説は軍部攻撃を改めない。今、軍部を攻撃する輩をピストルで撃ち殺すぞ」と脅した。

また、同師団と在郷軍人会は 『福岡日日』 の不買同盟をもくろみ、片倉衷大尉は脅迫状を出し、福岡日日新聞社を航空機から爆撃する、とのウワサが飛びかった。これに対し、菊竹は一歩もひかず、脅迫電話には「国を想う気持はあんた方に一歩も劣りはせん」と激しくやりあった。

菊竹は毎朝、徒歩で出勤しており、身の危険を心配した社は車の送迎を申し出たが、これも断わった。

 永江真郷(まさと)副社長は「正しい主張のために、わが社にもしものことがあっても、それはむしろ光栄だ」と励まし、不買運動を恐れた販売担当者が「このままでは会社がつぶれるかも……」と泣きつくと、「バカなことを言ってはいかん。日本がつぶれるかどうかの問題だ」と気を吐くなど、社をあげて全面支援した。

 

 菊竹はどのような気持ちでこうした社説を書いたのか。

「今、私は日本の誰よりも最もよく君国を憂い、日本をこの危機から救うために有力な発言をなしうる地位にあることを誇らしく思います」と、長女にあてた手紙に心情を吐露している。

 

 これから五年後、日本を破局への道にひきずっていった軍国主義の末路を見ることなく、菊竹は昭和十二年(一九三七)七月、五十七歳で亡くなった。  

 

 

●≪記者ありき・菊竹六鼓 – 前坂俊之アーカイブス 

  

日本リーダーパワー史(95 5・15事件で敢然とテロを批判した菊竹六鼓から学ぶ<ジャーナリストの勇気とは・・>

http://maesaka-toshiyuki.com/detail?id=499

 

まとめ<菊竹六鼓>

 http://maesaka-toshiyuki.com/tag/320

 

http://www.toshiyukimaesaka.com/wordpress/?tag=%E8%8F%8A%E7%AB%B9%E5%85%AD%E9%BC%93

 - IT・マスコミ論 , , , , , , , , , ,

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

『倉敷美観地区動画3本付ー21世紀型の米国・利益至上資本主義が地球環境をつぶす!」★『100年以上前に公益資本主義を実践した経営者は倉敷紡績(現クラレ)を創業して社会貢献に尽くした大原孫三郎を学ぶ①』★『江戸時代、明治の街並み蔵が残る』岡山県倉敷市の「美観地区」の『大原美術館」』

 2022/06/01  『単に金もうけだけしか考 …

no image
『F国際ビジネスマンのワールド・ビジネス・ウオッチ(220)『スマホ、タブレットが高すぎるappleから低廉高品質のHuaweiに切り替わるのはもう時間の問題です』

『F国際ビジネスマンのワールド・ビジネス・ ウオッチ(211) > htt …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(201)-記事再録/『世界を魅了した最初の日本女性―世界のプリマドンナ・三浦環―アメリカ、ヨーロッパが熱狂した「蝶々夫人」です』★『 1918年11月、第一次世界大戦の休戦条約の祝賀の凱旋式がニューヨークのマディソン広場で開催、ウィルソン大統領の演説の後に三浦環が歌い、大喝采を浴びた。』★『十五年間の米国滞在中、ウィルソン、ハーディング、クーリツジと三代大統領の前で歌い、ホワイトハウスに何度も招待された』

    2015/11/13日本リーダーパワー史(192) …

no image
日本メルトダウンの脱出法(552)ー W杯サッカーの完敗はー「死に至る日本病」(ガラパゴス・ジャパンシステム)である

   日本メルトダウンの脱出法(552)   &n …

no image
世界/日本リーダーパワー史(965)ー2019年は『地政学的不況』の深刻化で「世界的不況」に突入するのか』④『2021年の米大統領選でトランプ再選の目はない。』★『今年は日本は外交決戦の年になる,安倍首相の地球儀外交の真価が問われる。』

2021年の米大統領選でトランプ再選の目はない。 中間選挙の結果、米議会は下院は …

no image
『テレワーク/日本興亡150年史集中講座①』2018年は明治維新から150年『第3の敗戦(国家破産)を避ける道はあるのか』 ★『2020年新型コロナウイルスと地球環境異変によるパラダイムシフト(文明の転換)で、世界秩序、システムも大変革に見舞われれている』★『2030年まで<超高齢化/衰退日本>サバイバルできるのか』

  2013/03/23 発表   <まとめ>『日本興亡15 …

no image
終戦70年・日本敗戦史(59)15年戦争(満州事変→日中戦争→大東亜戦争)をよく知る ための目からウロコの方法論(活字より動画)①

 終戦70年・日本敗戦史(59) 15年戦争(満州事変→日中戦争→大東亜戦争→敗 …

no image
記事再録/日本リーダーパワー史(980)-『昭和戦後宰相列伝の最大の怪物・田中角栄の功罪ー「日本列島改造論』で日本を興し、金権政治で日本をつぶした』★『日本の政治風土の前近代性と政治報道の貧困が続き、日本政治の漂流から沈没が迫っている』

 2015/07/29 /日本リーダーパワー史(576)   …

no image
世界/日本リーダーパワー史(964)ー2019年は『地政学的不況』の深刻化で「世界的不況」に突入するのか』➂『●ファーウェイ事件で幕を開けた米中5G覇権争い』

世界/日本リーダーパワー史(964) ●ファーウェイ事件で幕を開けた米中5G覇権 …

no image
●<近藤 健の国際深層レポート>『米大統領選挙を見る眼―米国の人口動態から見た分析』

<近藤 健の国際レポート>   ●『米大統領選挙を見る眼―米国の …