前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

終戦70年・日本敗戦史(148)『日本敗戦前日の8月14日、宮城事件で斬殺された森赳近衛師団長の遺言 <なぜ日本は敗れたのかー11の原因>

      2015/08/26

 

終戦70年・日本敗戦史(148)

<世田谷市民大学2015> 戦後70年  7月24日  前坂俊之 

◎『太平洋戦争と新聞報道を考える』

<日本はなぜ無謀な戦争をしたのか、

どこに問題があったのか、

500年の世界戦争史の中で考える>㉕

『日本敗戦、8月14日、宮城事件で斬殺された

森近衛師団長の遺言

<なぜ日本は敗れたのかー日本降伏11の原因>

1945(昭和20) 年8月15日、日本は降伏した。この前日、陸軍省の幕僚や近衛師団の若手参謀がクーデター未遂事件(宮城事件)をおこし、近衛師団長の森赳(たけし)中将 に畑中健二少佐らが降伏に断固反対して決起をうながしたが、森師団長が拒否すると、畑中少佐は発砲し、森師団長は斬殺された。

森赳(たけし)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E8%B5%B3

この森中将は陸軍最後の逸材だった。明治27 年(1984)、高知生まれで生まれで、陸士第28期。秋山好古が興した騎兵科出身である。森は日露戦争には従軍していないが、陸軍大学校戦史教官(騎兵 大佐)時代に、日露戦役における第三軍(乃木軍)の運用について、旅順要塞の攻略戦、奉天会戦の包囲作戦の両作戦などの図上研究や満州での約二週間にわた る実地教育を生徒に教えており、透徹した戦史観の持ち主として周囲から一目置かれていた。参謀本部員、参謀本部付(支那研究員)、関東軍参謀、第6軍、第19軍参謀長として南方戦線にいた。

昭和二十年三月、いよいよ敗戦は決定的となってきた。陸軍は最悪事態を予想し、帝都の治安と宮城守護のため、その人物、識見から南方戦線にいた近衛師団長を抜擢された。島貫節重・大本営陸軍参謀(中佐)34歳は森の陸大教官当時の教え子であり、いよいよ8月に入り、最後の瞬間が迫ってきた段階で、広島原爆投下のあとに、森近衛師団長を防空壕内の師団司令部に数回訪ね、一、二時間、時局と陸軍の明治以来の作戦の総括を論じたことがあった。

この時以来、30数年後に島貫中佐は日露戦争を戦略面から分析した「福島安正と単騎シべリア横断」(原書房、1979年)「戦略日露戦争(上下)」(原書房、1980年刊)なる名著をモノにしている。

島貫は日本の決定的な敗北を目前に控えて、森に尋ねた。

「私は満州事変、支那事変、大東亜戦争と連続十余年従軍し、今最後になってみて、満州事変までは概して正しい行き方であったと思いますが、いかがでしょうか」

「君は満州事変では第一線の小・中隊長として活躍していたのでそう考えるのだ。特に支那事変以降は逐次軍の中枢部に勤務して戦争全般を観て実態を知るよう になったから、満州事変までは正しかったがその後は駄目だったと信じているのであろう。しかし満州事変以前の陸軍のあり方についても今後はその真相を、 しっかりと検討しないと、何が今日の最悪事態を招くようになったのか原因の追求ができないように思う」と指摘した。(「戦略日露戦争(下)」(516P)

森中将はさらに続けてこう述べた。

「結局において日露戦争まで遡って考えないと、最も控え目な結論さえも出てこない」と、日本陸軍の発足から滅亡までを総括した。

①  明治陸軍は明治十年の西南役当時は明治建軍の後始末に追われ、明治十五年軍人勅諭下賜によって初めて近代国家の軍の基礎が発足した。

②  大山陸軍卿が川上操六、桂太郎の両大佐以下に命じて 欧州視察をさせ、その結果、兵制をドイツに見習うことに決め、日清戦争を予期して明治十八年、初めて対外防衛に着手した。ドイツのメッケル少佐から兵制・編成・戦術等の基本について教わった。

③  そして十年後の明治二十七年日清戦争となったが、これは清国軍が余りに旧態依然の無力、徴兵制による近代軍でなかったので日本の肉弾、体当たりの特攻精神に、逃げるばかりで清国は負けてしまっただけであった。日本軍が強かったというよりも、清国軍が弱すぎたのである。

④ この頃早やロシヤのシべリヤ鉄道敷設宣言があって、めざす国防の相手はロシャであることが判り、内地では八甲田山の雪中行軍や小川原湖の氷上通過訓練などすべて満州の冬期極寒に堪えてロシャ軍に打ち勝つための訓練に熱中していた。

⑤ しかし防寒装備を例にとってみても準備や研究は出来ておらず、兵器、弾薬、軍備はどんなに急いでも限度があり、西欧列強程度の近代国防態勢に追いつくまでには相当、の期間を要するというのが実態だった。

⑥ と ころがひとたび日露戦争に勝利すると、それが本当の実力で勝ったのだと錯覚を起こし、一躍、五大強国にのし上がったように思いあがった。当時の世界情勢が いかに日露戦争に影響し、日本に有利に作用したかの認識もなく、そのため今後の日本をどのようにしたらよいかという真面目な考え方は排斥されてしまった。 日露戦争の成果の上にあぐらをかいた連中のためにせっかくの成果も喰いつぶされてしまった。

⑦ 満州事変などは日露戦争後、25 年もたったの1931年(昭和六年)に勃発したがすでに末期的症状で、陸軍が政府を引きずりまわし、陸軍中央部は関東軍に引っかけられ、関東軍司令官は石 原作戦参謀(中佐)に追随するなど下剋上もはなはだしく、テンでバラバラでこれではとうてい国家戦略、国家政策などはないに等しい。

⑧ 日露戦争をはじめ、各戦争、出兵についての戦略情報が軍の徹底した秘密主義のため余りにも秘密され、閉鎖的な扱いを受けて、その史実、記録等の文献も全く整備されていない。ここに日本軍の非近代的な後進性と無知の欠陥が包蔵されている。

⑨ 大正時代になって日露戦史に関する普及と研究の必要が叫ばれ、参諜本部戦史課を中心にして「日露陸戦新史」の編集が試みられた。

そして大正十二年頃までに当時生存中の従軍将校全員から従軍体験記を掟出させて協力を乞い、また物故された重要人物の手記等をも参考にして、従来知らされなかった新しい記録を相当盛り込み、しかも一般の人々にも判り易く簡潔に記述するといった適切な試みであった。

⑩ 大正十二年といえば関東大震災の年だが、二十年前の日露戦争を考え直してみようとすることは大いに意義があり、当時の戦史謀勤務の沼田多稼蔵大尉(陸士第二十四期、後に陸軍中将で終戦)は、この「日露陸戦新史」は立派な編集原稿が完成していた。

⑪ と ころが残念ながら最後の公刊の段階で、従来と同じく軍の機密保持と称して、せっかくの記録の中から機密事項の大部分が削除されてしまった。

それでも従来の 公刊日露戦史よりは、邁かに簡潔にまとめてあり、一時は若い将校たちからも愛読されていたが、その後は絶版となった。今次、敗戦の憂き目をみて初めて事の 真実を悟った状況であった。いかに秘密一点張りの頑迷固ろうな非近代的な無知によって、日本軍の進歩改善が阻害されていたかが判る。

以上のような内容を島貫に語ったという。((「同書」(518-519P)

森 中将はこの数日後に自らの部下たちによって殺害されてしまう。

森の遺言ともいうべきこの日本陸軍の反省の弁を聞くにつけ、この日本軍の宿病ともいうべき近代合理的精神の欠如、秘密隠ぺい主義、敗因を研究をしない体質はその後の日本の官僚制度、政治制度、国民、政治家、官僚も含めて全く払しょくされることなく同じ体質が続いていることに愕然とする。

私がこの連載で一貫して述べている『ガラパゴス日本「死に至る病」(オウンゴール)」なのである。

 - 戦争報道 , , , , , , , , ,

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

オンライン講座/ウクライナ戦争と日露戦争を比較する➄』★『日本最強の外交官・金子堅太郎のインテリジェンス➂』★『ルーズベルト大統領だけでなく、ヘイ外務大臣、海軍大臣とも旧知の仲』★『外交の真に頼れるのものはその国の親友である』★『内乱寸前のロシア、挙国一致の日本が勝つ、とル大統領が明言した』

   2011年12月18日 日本リーダーパワー史(831) …

『オンライン/明治外交軍事史/読書講座』★『森部真由美・同顕彰会著「威風凛々(りんりん)烈士鐘崎三郎」(花乱社』 を読む④』★『川上操六は日清戦争は避けがたいと予測、荒尾精の日清貿易研究所を設立しで情報部員を多数養成して開戦に備えた』

2015/12/23    2015/12/27日本リーダー …

「Z世代のための日本リーダーパワー史研究』★『電力の鬼」松永安左エ門(95歳)の75歳からの長寿逆転突破力③』が世界第2の経済大国』の基礎を作った』★『人は信念とともに若く、疑惑とともに老ゆる』★『葬儀、法要は一切不要、財産は倅(せがれ)、遺族に一切やらぬ。彼らが堕落するだけだ」(遺書)』★『生きているうち鬼といわれても、死んで仏となり返さん』

2021/10/06  「日本史決定的瞬間講座⑫」記事再録 …

no image
『日中コミュニケーションギャップを考える』(2005/6/30)②―『中国人の行動原理とは‥』★『日中間の戦争/歴史認識のギャップ、中国人の日本観、日本イメージ』

『日中コミュニケーションギャップを考える』(2005/6/30)②   …

『オンライン講座・日本インド交流史の研究』★『大アジア主義者/頭山満」★『リーダーシップの日本近現代史』(307)★『インド独立運動革命家の中村屋・ボースを<わしが牢獄に入っても匿うといった>頭山満』★『★『世界の巨人頭山満翁について(ラス・ビバリ・ボースの話)』★『タゴールとの会見』

日本風狂人伝⑭ 頭山満・大アジア主義者の「浪人王」 https://www.ma

no image
近現代史の復習問題/記事再録日本リーダーパワー史(236)ー<日本議会政治の父・尾崎咢堂が政治家を叱る。 日本一の政治史講義を聞く①>「150年前の明治中期の社会、国民感情は、支那(中国)崇拝時代で元号を設定し、学問といえば、四書五経を読み書きし、難解な漢文を用い、政治家の模範の多くはこれを中国人に求めた」

2012年2月23日/日本リーダーパワー史(236)   <日本 …

no image
★『 地球の未来/世界の明日はどうなる』 < 東アジア・メルトダウン(1070)>★『北朝鮮の暴発はあるのか?』★『人間は後ろ向きに未来に入って行く(ヴァレリーの言葉)』●『過去の歴史的な知見にたよりながら未来を想像し、後ろ向きに歩むので、未来予想は誤りやすい』★『それでも、北朝鮮の認識と行動のルーツを知ることは一歩前進ではあろう』

C  1894(明治27)年の日清戦争のそもそも原因は、朝鮮に起因する。 という …

no image
日中北朝鮮150年戦争史(1)『金玉均暗殺事件が日清戦争の発火点の1つ』朝鮮政府は日本亡命中の金玉均の暗殺指令を出していた①<金大中拉致事件(1973年)と全く同じ手口>

 日中北朝鮮150年戦争史(1) 『金玉均暗殺事件が日清戦争の発火点の1つ』 朝 …

no image
知的巨人の百歳学(114)徳富蘇峰(94歳)の長寿人生論「体力養成は品性養成とともに人生の第一義。一日一時間でも多く働ける体力者は一日中の勝利者となり、継続すれば年中の勝利者、人生の勝利者となる』★『世界的作家の執筆量ベスト1は一体だれか。『近世日本国民史』(百巻)の徳冨蘇峰か?!』

 知的巨人の百歳学(114) 体力養成は品性養成とともに人生の第一義。 …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(176)記事再録/★「国難日本史の歴史復習問題」-「日清、日露戦争に勝利」した明治人のインテリジェンス⑥」 ◎「ロシアの無法に対し開戦準備を始めた陸軍参謀本部』★「早期開戦論唱えた外務、陸海軍人のグループが『湖月会』を結成」●『田村参謀次長は「湖月会の寄合など、茶飲み話の書生論に過ぎぬ」と一喝』

   2017/05/11 /日本リーダーパワー史(805) …