終戦70年・日本敗戦史(144)石井四郎ー「悪魔の細菌部隊」731部隊を創設、中国でコレラ戦を展開
2015/08/26
終戦70年・日本敗戦史(144)
<世田谷市民大学2015> 戦後70年 7月24日 前坂俊之
◎『太平洋戦争と新聞報道を考える』
<日本はなぜ無謀な戦争をしたのか、
どこに問題があったのか、
500年の世界戦争史の中で考える>㉑
忘れられた戦争犯罪ー731部隊
https://ja.wikipedia.org/wiki/731%E9%83%A8%E9%9A%8A
石井四郎―「悪魔の細菌部隊」731部隊を創設、中国でコレラ戦を展開
1945(昭和20)年8月13日までは旧満州(中国東北部)のハルビン市の南方20キロの平房(ピンパオ)に「関東軍防疫給水部」(特殊部隊731、石井部隊)があった。
32キロ四方の広大な敷地は鉄条網に囲まれ「何人といえども関東軍司令官の許可なくして、立入るべからず、立入った者は射殺する」の立入り禁止区域で憲兵隊が厳重に見張っていた。
この中に飛行場2つと拉浜(らひん)線にながる停車場があった。その真中に丸ビルの3倍という本部の建物。この周囲もレンガ塀でとりかこみ、その上に通電有刺鉄線が張りめぐらされ、憲兵がたえず厳重監視していた。
これが「悪魔の飽食」といわれ、秘密のベールに覆われた「殺人工場」、恐怖の生物兵器工場であった。この建物はマルタ(生体実験用の人間)を閉じ込めている監獄を中心に、中庭をはさみ12階建の建物が取り巻く形で建っており、高い煙突がそびえる。
この焼却場の煙突は生体実験のすんだマルタを証拠隠滅のために完全焼却するもので、約4000人の中国人、ロシア人、朝鮮人、モンゴル人がここで殺戮された。
2007年7月22日、私は旧満州国の戦跡ツアーに参加(12人)して、ここにカメラ取材にきた。731部隊はソ連軍の侵攻に慌てて証拠隠滅をはかり、本部を爆破し、全てを燃やし、生き残っていた『丸太』たち全員を毒ガスで殺害、列車にのって命からがら日本に向け帰国の途についたのは8月13日で敗戦の二日前である。終戦から60年以上経過しての現地取材であった。
破壊した本部建物はほんの1分が残っており、罪証陳列館になっていた。建物の一部は小、中学校として使われていたのには驚いた。ボイラ-施設跡と2本の巨大煙突の下の残骸部分の大きな高い
壁面の1部として残っており、当時をしのばせる。夏草が生い茂る中での荒涼としたレンガつくりの大量殺人工場跡は、アウシュビッツ収容所と並んで人類が冒した最悪の戦跡として心も凍る思いで私は呆然と立ち尽くした。この時、われわれ一行以外に訪れる人はなかった。
罪証陳列館に入ると、うす暗い電気のもとで、通路の壁面に731部隊の蛮行、残酷な行為の数々が説明解説した写真パネルが並ぶ、逆面は鉄格子のなかで人体実験の中の蝋人形、拷問、注射している人蝋人形が再現されていた。コレラ菌入りのネズミを入れて投下したというカメがたくさん山積になっていた。一刻も早く立ち去りたいほど陰惨な雰囲気が伝わってくる。
この原稿を書いていた6月26日にインターネットでこの博物館の画像をチェックしたが、まるできれいさっぱりとした明るい展示場に変っていたのには違和感を覚えた。
石井四郎が731部隊の創設者
さて、この731部隊の創設者が石井四郎である。石井は1892年(明治25)6月に、千葉県山武郡芝山町(加茂)の地主の4男に生まれた。少年期より抜群の秀才で京都帝大医学部をトップで卒業、細菌学、衛生学、病理学で博士号を取得した超エリート軍医ある。
1921(大正10)年に陸軍軍医中尉となり東京第一陸軍病院に勤務、24年に軍医大尉、昭和2年には京都帝国大学総長の娘と結婚した。石井は細菌学の道をすすんだが、当時の日本を代表する北里柴三郎、野口英世など輝ける医学者がいずれも細菌学の先輩なので、同じ道を進んだのではないだろうか。
1925(大正15)年のジュネーブ国際会議では第一次大戦でドイツ軍が史上初めて使用した毒ガス、細菌兵器を禁止することになり、ジュネーブ議定書(化学兵器の使用禁止)が決定した。昭和3年4月、石井は陸軍から化学・細菌戦に適応した日本軍の体制づくりの研究を命ぜられ欧米に派遣された。昭和5年4月まで足かけ3年にわたりヨーロッパ、米国、カナダなど20カ国以上を回り、第一次世界大戦中の毒ガス兵器の歴史と各国の対応、細菌戦、生物兵器の研究実態も調査した。その結果、世界でもトップクラスの毒ガス・細菌兵器の専門家となった。
1931(昭和6)年1月、軍医少佐に昇進。同時に軍医学校教官に任命された。ここで生物化学・細菌戦部隊の創設を提唱した。
「鉄資源に乏しいわが国には細菌兵器は安上がりで最も有効な兵器である」と陸軍の首脳部に提言した。石井は180センチを超える巨漢で、演説がうまく、迫力があった。しかも、細菌戦という未知の兵器では世界的な権威でもあり、通常兵器に比べわずかな資金で多大の殺傷力のある毒ガスと細菌兵器の威力に軍部は注目した。ドイツの場合は極秘に開発を続けていたが、米英は取組みがおくれており、石井はそこをうまくPRした。
1932(昭和7)年に石井は「石井式細菌培養缶」「石井式濾水機」を次々に開発、同年8月にハルピンの田舎に細菌兵器防衛研究所の設立にこぎつけた。この時、機密保持のため、石井は東郷と名を変えた。研究所は東郷部隊の暗号名で呼ばれた。
昭和10年、陸軍軍医中佐に昇進、11年には 東郷部隊が正式な部隊となり、これを関東軍防疫給水部と編成して、石井部隊が正式に誕生したのである。1938(昭和13年)8月、陸軍軍医大佐に昇進して、細菌戦を指揮した。
こうして冒頭に紹介した「秘密のベール」に包まれた悪魔の殺人工場が出現した。
731部隊の編成は、石井隊長以下約3000人がおり、その内訳は、本部がハルビンで石井四郎中将以下約1300人が従事、支部は梅拉爾、牡丹江、孫呉、林口、大連にあった。
その組織概要はーー
第1部=研究部はペスト・コレラ・チフス・ジフテリア・凍傷・ガス、壊疽などの研究と菌の培養。
第2部=実験部は細菌爆弾などの開発や細菌戦のさいの気象条件の研究。輸送機七機の飛行班がある。
夢3部=防疫給水部は対農作物攻撃用細菌の研究。
第4部=製造部は各種細菌の大量培養。
第5部=教育部は細菌兵器を扱うための特殊教育。
第六、第七、第八部が、医務部、庶務部・通信連絡部。
となっていた。
同部隊では200種にのぼる細菌を開発し、その1ヵ月の細菌生産能力はペスト菌300キロ、炭痕菌500—700キロ、コレラ菌1000キロ、細菌爆弾は3000発を保管していた。これにより、石井部隊は、寧波作戦、常徳作戦などの細菌戦を秘密裏に実施した。
生物兵器の開発と同時に、ここで丸太を使ったあらゆる戦慄すべきな人体実験が行なわれた。
生体解剖、毒殺実験、人間を生きたまま凍らせる冷凍実験、縦列に並ばせたマルタを射撃して何人倒せるかを試す貫通〟実験、気密室に入れて徐々に空気を抜いていく〝真空″実験、人体に空気を注射する試験、ペスト、コレラ、ジフテリア、天然痘、獲紅熱、パラチフス、ガス壊痕の生菌による感染実験、耐熱の実験。血液を抜いていく試験、馬や猿の血液と交換する試験など、人間が考えつくあらゆる残酷な実験がおこなわれたのである。(いいだもも共著「戦後って何なんだ?」現代書林)(1988)「帝銀事件のナゾと特殊部隊731」
太平洋戦争開戦後わずか5ヵ月後の1942年(昭和17)4月18日、米軍B25爆撃機のドゥリットル爆撃隊の本土初空襲は「米軍の本格的な反攻は1943年から」とタカをくっていた大本営に一大ショックを与えた。B25は爆撃のあと「中国の飛行場に着陸した」に情報を得て、大本営は直ちに中国の各飛行場、慶軍飛行場の破壊、占拠を命令した。
この結果、1942年5月、石井隊長は731部隊の全部長会議を開き東京からの命令を伝えて、「わが部隊は中国軍隊に対し、地上汚染法による細菌攻撃を実施。日本軍は大攻勢を展開したのちに戦略的撤退を行い、その退却中に細菌攻撃を行なう」と指示、ペスト菌、コレラ菌、腸チフス菌、パラチフス菌、炭疽菌を使用して約160人の細菌部隊を出撃させた。
この中国作戦は常石敬一編訳「標的・イシイ―731舞台と米軍の諜報活動」大月書店(1984)などによると、中国における三回の生物兵器の使用は、ノモンハンでの使用と比べると大規模なものであった。飛行機を使って空から病原体を散布した寧波に対する攻撃の模様は、ハバロフスク裁判においてN・孫呉支部長は「同記録映画を見た」と次のように証言している。
「ぺストで感染されたノミの特殊容器が飛行機の胴体に装着され、飛行機の翼に撒布器が取付けられている。中国の農村上空で飛行機の翼から煙が出るが、この中にペストノミが撒布された。作戦は成功し飛行機は着陸し、飛行機を消毒する様子、先ず飛行機から石井中将が姿を現われた。」
中国の保健省の発表では、この寧波ペスト菌作戦による犠牲者が99人にのぼった、という。
証言に「ペストノミ」というのは、石井の約15年にわたる生物兵器研究での最大の成果で、裸のぺスト薗ではなく、ノミの体内にペスト菌をいれることで、取り扱いが容易になり、菌の寿命も伸び、空から散布も可能となった。1944(昭和19)年には、ペストノミを素焼き製の容器に収納した石井式細菌爆弾も開発した。
結局、こうした細菌戦のみえない攻撃で、中国での犠牲者は一体、何人にのぼったのだろうかか。
東京新聞(2011年10月16日付)によると、「731部隊」の細菌戦による被害者は2万6000人と記録した極秘文書が日本で発見された」と報じている。この極秘報告書で、「太平洋戦争中に中国で細菌武器を6回にわたり作戦に使用し、2次感染者を含む感染者は2万5946人にのぼった」という。
戦後のGHQとの取引で戦犯の免責を獲得
731部隊は、敗戦直前に日本に極秘で逃げ帰り、石井隊長らは戦犯追及を恐れて東京などの隠れ家を転々として行方をくらませていた。
米軍諜報部隊は石井と731部隊員を探しだしてきびしく訊問し、全資料と実験のデータの提出を求めた。その結果、731部隊の実戦、研究開発と比べて米側の生物化学兵器開発の遅れに大きな衝撃を受けた。
米陸軍細菌化学戦基地フォート・デトリック研究所の研究員らは「石井部隊の資料は何百万ドルの出費と長年にわたる研究成果であり、このような資料は我々の実験室では得らない。データーを入手するための支出は、はした金にすぎず、格安の買い物である」として石井以下の部下の免罪嘆願をした。(「生きていた! 日本陸軍〝細菌部隊“ 森村誠一『週刊宝石』,81年11月14日号)
石井は731の関係者の戦犯免責条件に取引し、GHQにそっくりデーターを提供する代わりに、訴追を免れる工作を行った。
「石井部隊の技術情報はソ連には流れておらず、戦犯裁判を行なえば明らかになる、石井グループは米国に全面協力して大部の報告書と人体実験の間と動物のスライド八千枚の提供に同意した。米国の防衛と安全保障上、公判は避けるべきである。」と戦犯免除決定をマッカーサーは下した。(同上)
この結果、731部隊の中枢はアメリカ軍公衆衛生課(PHW)の保護下に組み込まれ、その後も細菌の研究・開発を続けた。冷戦の激化で対ソ連戦の生物兵器開発の一助を担った。1950(昭和25)6月に勃発した朝鮮戦争では(石井隊長、北野政次ら幹部)も参加して、コレラ菌散布の石井式細菌爆弾が使用された、という。米軍はベトナム戦争でも枯葉剤散布や化学兵器を使用して、731部隊の研究を発展、継続したのである。
石井は晩年、新宿区内に医院を開業、キリスト教に入信し、近所の人々のけがや病気は無償で治療をしていたという。]1959(昭和39年10月9日,67歳でガンで亡くなった。
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