終戦70年・日本敗戦史(140)A級戦犯・徳富蘇峰は「支那事変(日中戦争)は世界戦史上、最も愚劣な戦争」と指摘、敗戦の原因は「リーダーの不在」「他民族を理解する能力の欠如」「教養のない日本人」など挙げる
終戦70年・日本敗戦史(140)
<世田谷市民大学2015> 戦後70年 7月24日 前坂俊之
◎『太平洋戦争と新聞報道を考える』
<日本はなぜ無謀な戦争をしたのか、
どこに問題があったのか、
500年の世界戦争史の中で考える>⑱
A級戦犯・徳富蘇峰は「支那事変(日中戦争)は世界戦史上、最も愚劣な戦争」と指摘、敗戦の原因については
①リーダーの不在、明治のリーダーや英米の指導者比較しても圧倒的に小物ばかりだった。
②日本は東亜民族を指導する資格、能力がなかった。
③他民族を理解する能力に欠けていた。
④形式的、独善的な官学教育(東大)が日本を亡国にした
⑤「日本人に教養がなかったこと」。
前坂 俊之(ジャーナリスト)
A級戦犯の「大日本言論報国会会長」・徳富蘇峰は「支那事変(日中戦争)は世界戦史上、最も愚劣な戦争」とこき下ろす。
①支那事変(日中戦争)は蘆溝橋事件の1発から、ただ鹿の後を追っかけ追い廻わし、へトへトになった挙句が大東亜戦争となった。何のために戦うたか、なぜ戦うのか。国民自身も、誰れ一人これを知る者はなかった。当局者も、ただ支那人が抵抗するために、戦ったという以外に、大義名分はなく、いわば戦争をするために、戦争をしたという外なかった。
②日本の兵站線が、釜山に始まり、鴨緑江を渡り、満洲を経て長城に入り、遂に支那を東西に横断し、大東亜聖戦の開始の際には、支那の国境を超えてベトナム、タイ、シンガポール、マレー半島まで拡大した。広き支那に、多き支那人を、追い回しても、10年はおろか、100年を経ても、支那が滅亡しないことは、その五千年の歴史が、これを証明している。
③5年間、日本軍が支那内地を占領したが、一人の支那人も、心服させたことはない。ただ、国民党政府、蒋介石の政権を作り上げるために、御奉公をしたに過ぎなかった。
『徳富蘇峰終戦後日記』より
A級戦犯・徳富蘇峰の『なぜ日本は敗れたか』その原因①
①東條英機ら軍人、近衛文麿ら政治家、指導者に人物が欠乏したこと。
明治の伊藤博文、山県有朋、山本権兵衛、児玉源太郎ら指導者と比べても10分の1から百分の1以下の器、能力しかなかった。
②また米英中ソの首脳者、指導者とくらべてあまりに器が違いすぎた。
③<日本は東亜民族を指導する資格、能力がなかった>
④わが大和民族が、東亜の盟主たる役割を果すには余りにお粗末で、東亜民族の指導者たる資格がなかった。台湾統治50年、朝鮮統治40年の歳月に疫病を駆逐し、産業を起こすなどでは幾つか成功したが、人については、一大失敗をした。
朝鮮が、日本の手を離れる時に、朝鮮人の誰一人として涙を流す者はなかった。それが今度は、支那大陸よりアジア大陸、太平洋諸島の人心を収攬するなぞは初めから無理であった。
(55)ーA級戦犯・徳富蘇峰の『なぜ日本は敗れたか』原因②
<日本人の本質的欠陥は異民族を理解できず、自分の気持ちを押し売りすること(今も同じ=異文化コミュニケーションの失敗、無理解)>
①日本人は、異民族や自己以外の者の心理状態を、洞察するには、ほとんど無能力で相手の気持はさっぱり判からず、自分の気持を押売する傾向がある。台湾や朝鮮で失敗したのもこの欠陥。今度の戦争ではいっそう露骨に、無軌道に、乱暴に行われた。
そのために、同じアジアの黄色人種ながら、日本人より白人を慕う結果をきたした。日本人は野蛮人でもなければ、悪人でもない。しかし相手構わず、己れの欲するところを、他に施して相手方の迷惑を招き、やがては怨みを招いた。
②「教養の欠乏である」。
わが大和民族は、世界の隅っこにおける田舎者であって、世界の風が、どこを吹いているかわからず。国民的教養という水準は極めて低調。この戦争で、いわゆる捕虜虐待事件なども、別に日本人が残酷であったというではない。ただ田舎者が、田舎流儀を、無遠慮に振り回わして、世界の物笑いとなった
形式的、独善的な官学教育(東大)が日本を亡国にした
①日本軍の略奪、暴行、虐殺などの事実は兵の素質の低下と、教育の欠陥が存在する。教育そのものが間違っており、教育によって、日本は亡ぼされたと言っても過言でない。
②わが官学教育は、形式的、独善的な教育であった。自分の知っている事を最善と思い、自分のなすことを最上と思い、相手が何者であるかには一切無頓着であった。(過去の方法を踏襲し、記憶するだけで、応用問題や、問題解決能力は全くなかった)。
③軍事ばかりでなく、一般の政務も同じで日本の政治が官学の法学士政治であって、その以外に活動する事を知らない結果、一切の政治は、全く机上における文書政治となって、書類さえ物を言えば事実はどうでもよいという事になった。
④泰平無事の時には、形式的で、人よがりの独善流でも、何とかくやっていけるが、一旦緩急あれば、なすところを知らず、茫然自失に至った。
関連記事
-
-
『オンライン講座/日本興亡史の研究⑧』★『児玉源太郎の電光石火の解決力④』★『明治32年1月、山本権兵衛海相は『陸主海従』の大本営条例の改正を申し出た』★『この「大本営条例改正」めぐって陸海軍対立が続いたが、児玉参謀次長は即座に解決した』
2017/06/01 日本リーダーパワー史(8 …
-
-
日本リーダーパワー史(508)日中韓150年戦争史②「日清の戦争は文野の戦争なり(文明の衝突なり」(福沢諭吉)
日本リーダーパワー史(508) …
-
-
オンライン動画/昭和戦後史を決定的に動かした人物講演動画』★『元東大全共闘議長・山本義隆講演会 (1時間40分)』★「近代日本と自由 ―科学と戦争をめぐって―」 2016年10月21日(金)
チャンネル大阪自由大学 チャンネル登録者数 1720人 山本義隆講 …
-
-
『日中歴史張本人の 「目からウロコの<日中歴史認識><中国戦狼外交>の研究①』★『自国の改革を計るには日本に習う』★『義和団の乱では日本の態度が欧米各国より公明正大、正義の軍であると認めた』★『坂西は衰世凱(北洋通商大臣直隷総督)の外交事務のトップにスカウトされた』
2014/11/24 2015/ …
-
-
『オンライン・日中国交正常化50周年記念講座』★『日中関係が緊張している今だからこそ、もう1度 振り返りたいー『中國革命/孫文を熱血支援した 日本人革命家たち①(1回→15回連載)犬養毅、宮崎滔天、平山周、頭山満、梅屋庄吉、秋山定輔ら』
2016/07/25」/記事再録『辛亥革命/孫文を熱 …
-
-
『Z世代のための日本金融史講座①』★『総理大臣と日銀総裁の決断突破力の研究』★『アベクロミクスの責任論と<男子の本懐>と叫んだ浜口雄幸首相は「財政再建、デフレ政策を推進して命が助かった者はいない。自分は死を覚悟してやるので、一緒に死んでくれないか」と井上準之助蔵相を説得した』
「逗子なぎさ橋通信、24/06/20/am800] 2019/10/23 &nb …
-
-
『Z世代のための日中韓外交史講座』㉑」★『憲政の神様・尾崎咢堂の語る「対中国・韓国論②」の講義⑩尾崎行雄の「支那(中国)滅亡論」を読む(上)(1901年(明治34)11月「中央公論」掲載)』
2013/07/07 日本リーダーパワー史(392)記事再編集 前坂 俊之(ジャ …
-
-
『Z世代のための日本戦争学入門⑦』『1872年(明治5年)―岩倉遣米欧使節団がロンドンに到着(英タイムズ1872年8月20日記事)★『鎖国を脱し未知の国際社会の仲間入りした未開国日本のトップリーダーたちの見識の高さを中国のトップと比較して激賞した』
2012/09/22 日本リーダーパワー史(322)記 …
-
-
『オンライン講座/日本戦争報道論②」★『ガラパゴス国家・日本敗戦史』⑮『 戦争も平和も「流行語」と共にくる』(下)決戦スローガンとしての『流行語』★『強制標語に対して、人々は「贅沢は敵だ」→「贅沢は素敵だ」●「欲しがりません勝つまでは」→「欲しがります勝つまでは」●「足りん足りんは工夫が足りん」→「足りん足りんは夫が足りん」とパロディ化して抵抗した』
2014/10/18 記事再録 月刊誌『公評』<201 …
-
-
『中国紙『申報』からみた『日中韓150年戦争史』⑮ 「甲申事変をめぐる英、米、仏,ロシアの外交駆け引き」(英タイムズ)
『中国紙『申報』からみた『日中韓150年戦争史』 日中韓のパーセプションギャ …
