終戦70年・日本敗戦史(122)中韓は「中華思想」から日本のように『開国・国際主義』に脱却できず、福沢諭吉は業を煮やし 「朝鮮〝独立″のために起つべし」と開戦を主張⑤
2015/08/09
終戦70年・日本敗戦史(122)
<世田谷市民大学2015> 戦後70年 7月24日 前坂俊之
◎『太平洋戦争と新聞報道を考える』
<日本はなぜ無謀な戦争をしたのか、どこに問題が
あったのか、500年の世界戦争史の中で考える>⑦
日清戦争はなぜ起きたのか
ー日中韓認識ギャップ(思い違い)から戦争へ
日清戦争1ヵ月前の新聞報道を読む⑤
以下の日清戦争の原因を見ると現在の中国、韓国、北朝鮮との
対立と全く変わっていない。中韓は「中華思想」から日本のように
『開国・国際主義』に脱却できず、福沢諭吉は業を煮やし
「朝鮮〝独立″のために起つべし」と開戦を主張
日本、朝鮮へ神速の出兵、日清戦争開戦となる。
〔解説〕李鴻章は駐日支那公使汪鳳藻の情報で日本の内情をつかんでいた。解散につぐ解散で、議会周辺は壮士横行し、内乱のような混乱であり、とても朝鮮に出兵するなど思いもよらぬ形勢であり、またその能力はないというものである。李鴻章は「好々」(ハオハオ)と勇み立ち、遂に火事場泥棒の出兵となった。
清兵のこの上陸は、この汪鳳藻から日本政府に公文で通知してきたが、それは一方的通告でしかも牙山上陸後のことだった。伊藤博文が李鴻章との間に取り決めた天津条約では「出兵する場合は行文知照」-互いいに知らせあうということになっていたのだが、この条文を李鴻章自身が破ったことになり、陸奥外相はこの尻っぽなつかまえて、日本が堂々と出兵する大義名分とした。後の汪鳳藻は帰国を命ぜられ、その情報が甘かったとして入牢となった。
朝鮮政府が援兵を支那に乞うた、という電報は、清兵が牙山に上陸する前の、明治二十七年六月1日深更、外務省に入っていた。翌二日は議会解散の重要閣議のある日で、陸奥外相はこの電報を手に閣議に出席した。この席上、陸奥は「清国の出兵実現すれば、居留民保護のため、わが方も相当の軍隊を派遣しなければなるまい」と申入れると、閣議は異議なくこれを承認した。伊藤首相はこの閣議決定を参謀総長有栖川宮、同次長川上操六に伝えるとともに参内、明治天皇に朝鮮派兵と議会解散を報告申し上げた。(以上は秘録「日本の百年(上)」(木下宗一著、人物往来社、261頁)
福沢諭吉の「朝鮮〝独立″のために起つべし」の社説(明治27年7,24、時事新報)
韓延の有司いかに頑迷なりとはいえ、眼前に日本の大軍が戦備を整えて京城の内外に充満するを見ながら、倣然恐るる気色なく、既に諾したる約束を無視して我が正当なる要求を拒絶するとは、いかにも大胆千万の仕打ちにして、ほとんど本気の沙汰とは思われざれども、また退いて考うれば、朝鮮政府をしてこの向こう見ずの処理に出でしめたるものは、彼の胸中自ら頼む所のものあるがためなり。
その頼む所のものとはなんぞや、いうまでもなく支那政府の後楯すなわちこれなり。
そもそも支那は世界に類なき頑固守旧の腐敗国にして、これを朝鮮に比較すれば国土の大小こそ異なれ、その腐敗の加減はまさしく同様にして、支那人の眼をもってするときは朝鮮の国事に改革すべきものなく、
強いて改革といえば夫子自ら改めざるべからざるはどの次第なれば、この際日本の挙動を見て心に快しとせざるは分かり切ったることにして、今は公然日本に向かって論ずべき議論もなく、またこれを論ずるの気力もなく、ただ陰に同類の朝鮮政府を教唆、煽動して、もって日本の政略を妨げんとするのみ。
その証跡の既に事実に寂然たるものを挙ぐれば、例えばかの李鴻章より朝鮮政府に送りたりという電文中に、「内に徳政を修め、皇恩に負くなかれ。倭窺放し、あえて狡毒を恃(たの)み、ただ視る天兵一挙、石をもって卵を圧するに異なるなきなり」云々の語のごときは、日本に対し無礼千万なる言葉にして、朝鮮人を教唆するの手段なりと認めざるを得ず。
今日に至りて押し問答は無益なり。一刻も猶予せず、断然支那を敵として我より戦いを開くにしかざるなり。これまで我が国が平和の方針を取りたるは支那が我に対して末だ直接の損害を加えざりしがためなれども、今日はしからず、
李鴻章、袁世凱の輩があらゆる手段を尽くして韓延を教唆したるその証跡の明白なれば、我が国はこの際なんの躊躇する所かあるべき、直ちに開戦を布告して、もって懲罰の旨を明らかにすると同時に、彼支那人をして自ら新たにするの機を得せしむるは、世界文明の局面において大利益なるべし。
またここに看過すべからざるは朝鮮政府の所行なり。彼が一度我が要求を承諾して後、なんのいわれもなくこれを拒絶したるは、いかにも我値至極の挙動にして、我が国に対しはなはだしさ
無礼を加えたるものなれば、支那に向かって開戦すると同時に、その同穴狐狸の違約罪をも礼さざるべからず。朝鮮の小弱、これを討つはいささか気の毒に似たれども、多年来彼等の脳裏に染み込みたる支那崇拝の迷夢を覚破するには弾丸、硝薬に勝るものあるべからず。
聞く、我が兵の一部分は既に水原に向かって進行したりという。軍機はもとより知るべき限りにあらざれども、我輩はその進軍のなお進んで牙山兵を破ると同時に、朝鮮政府に向かっても大いになすことあらんを希望するものなり。
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