前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

終戦70年・日本敗戦史(74)開戦の「朝日,毎日など新聞紙面」ー「 英東洋艦隊の主力2戦艦を撃沈〔毎日〕、プリンス・オブ・ウエールズ爆沈

      2015/05/15

 終戦70年・日本敗戦史(74) 

大東亜戦争開戦の「朝日,毎日などの新聞紙面から」ー

英東洋艦隊の主力二戦艦を撃沈〔昭和16年12月11日 

東京日日〕、プリンス・オブ・ウエールズ爆沈

(大本営海軍部発表10日午後4時5分)

帝国海軍は開戦劈頭より英国東洋艦隊、特にその主力艦二隻の動静を注視しありたるところ、九日午後、帝国海軍潜水艦は敵主力艦出動を発見、爾後帝国海軍航空部隊と緊密なる協力の下に捜索中、本十日午前十一時半、マレー半島東岸クアンタン沖において再び同潜水艦これを確認せるをもって、帝国海軍航空部隊は機を逸せず、これに対し勇猛果敢なる攻撃を加え、午後二時二十九分、戦艦レパルスは瞬間にして轟沈し、同時に最新式戦艦プリンス・オブ・ウェールズはたちまち左に大傾斜、暫時遁走せるも、間もなく午後二時五十分、大爆発を起こし、ついに沈没せり。ここに開戦第三日にして早くも英国東洋艦隊主力は全滅するに至れり。

海戦史に燦たる戦果

英東洋艦隊の主力は開戦第三日の十日、、南国海軍潜水艦部隊の果敢なる追跡と帝国海軍航空隊の必殺行の前に、豪華なる殿堂の崩るるごとくあえない全滅を

喫した。極東に風雲急を告ぐるや、ネルソン提督の伝統に海軍国を誇る英海軍は、その陣容において最も新鋭を謳われ、大西洋上に遊戈(ゆうよく)していた戦艦プリンス・オブ・.ウェールズ号新編東洋艦隊の旗艦と決定、従来一隻の戦艦をも保有せぬ東洋艦隊の飛躍的強化を計った。

新旗艦プリンス・オブ・ウェールズ号は直ちに高速戦艦レパルス及び新造巡洋艦マウリテアスを初め一、二の駆逐艦、一隻の潜水艦を引き具し、英本国警備の重大任務を離れ、急遽大西洋を南下、十一月十八日、アフリカ南端ケープタウンを通過し、経済速力を無視せる最大速力をもって東航、

さる二日、シンガポールに入港したものであったが、わが無敵海軍の絶大なる実力を信ぜず、マレー半島への敵前上陸を敢行しっつあるわが護送船団を狙い、軽々しくマレー東沖に出動したため、旗艦プリンス・オブ・ウェールズ及びレパルスの両戦艦以下の大艦列はわが潜水艦の発見するところとなりヾその猛烈な食い下がりの追跡をうけるうち、ついにわが海鷲の鋭い鉄爪に捉われ、シンガポール到着後わずか旬日にして、その巨体をマレー半島東海岸の藻屑と化したのはあまりに悲惨であるとともに、不敗の海軍力を過信していた英国民の失神的驚愕は察するに余りあるところである。

開戦第一日、ハワイ真珠湾を長駆奇襲し米戦艦二隻を轟沈、四隻を大破せしめたわが帝国海軍航空隊は、いままたこの戦史に比類なき赫々たる大戦果を挙げたことは、わが全国民をして感謝の感涙にむせばしむるとともに、全世界を驚倒せしめているに違いない。太平洋にある米海軍の全戦艦九隻のうち六隻を、南西太平洋に通航せる英戦艦二隻のすべてを屠り去ったあとの全太平洋制海権を、全く帝国海軍が掌握するのも近い。

今後英米海軍に残された反撃力は、潜水艦による洋上ゲリラ戦術のほかなきに至った。

開戦前米海軍が企図したる対日通商破壊のゲリラ戦は、その太平洋艦隊の主力を秘庫に現存せしめての作戦計画であったのだから、その間雲泥の相違がある。

この英米両海軍大敗戦の縁由するところは、一にかかって彼らが帝国海軍の独創的存在と必殺の戦法につき過小評価を行っていたところにあり、日本海海戦のあとその大戦勝に鴇らず、営々辛苦、血の錬成を重ね、臥薪嘗胆、待つあるを恃んだ帝国海軍の偉大なる沈黙が、まさに興亜のため爆発したのである。

確実なる情報によれば、撃沈されたる旗艦プリンス・オブ・ウェールズには英東洋艦隊司令長官フィリップス提督は明らかに搭乗していた。提督の生死は未だ不明であるが、一掬の涙、同提督の胸中に棒ぐるのもまた武士道である。

真珠湾における、マレー沖における、これら戦史を隔絶せる壮烈無比の大全戦をはじめ、全太平洋に亘る激烈なる各戦闘において帝国海軍の損害極めて軽微、艦艇にして一の損傷もなきは全く驚異に値し、周章狼狽せる米英側が一隻の日本航空母艦を撃沈せりとしきりにデマ放送しっつあるは笑止の限りである。

僻然たる帝国海軍がこの大戦果を前にして、航母一隻の損害を蔽うことは絶対になく、戦果報告の確実をもっぱら念としていることは、全国民とともに信頼して足れりである。戦果は莫大である。

しかし日・米英の総力戦はむしろ今後に本格的な相貌を呈するのである。塙らざる日本国民の大覚悟は、このマレー沖の戦勝によって更に固められなくてはならな

い。

英海軍最大の損失〔上海本社特電十日発〕

ロンドンからの報道によれば、チャーチル英首相は十日下院で、「プリンス・オブ・ウェールズ号の撃沈は今次戦争開始以来、英海軍が蒙った最大の損失」と発表、ロンドン市民に大衝動を与えていると。

〔リスボン十日発同盟〕 ロンドンから十日、リスボンに達した報道によれば、英海軍省は戦艦プリンス・オブ・ウェールズ号並びにレパルス号の撃沈を確認した。

 海軍航空隊、必殺の急降下燵撃〔昭和161213日 東京日日〕

〔上海本社特電十二日発〕 某地来電によれば、わが無敵海鷲によって轟沈されたレパルス号乗り組みの英水兵は当時の状況につき、左のごとく生々しい報告をもたらした。

英艦隊は九日、マレー東海岸沖合を沖へ沖′へと波浪を蹴って進行中、旗艦プリンス・オブ・ウェールズの橋頭に、「本艦隊は日本艦隊を発見し、これと戦闘を開始せんとす。われらは敵輸送船を奇襲攻撃し、日本海軍戦艦○○と一戦を行うべし。余は各自がその任務を完了せんことを確信する。東洋艦隊司令長官フィリップス中将」という信号旗が翻った。

やがて同日夕、日本艦隊が近くにあることが判明し、わが艦隊はぐっとコースを変えた。十日朝十一時頃、突如待機命令が下ると同時に、○機から成る

日本空軍編隊が爆音高く〇○フィートの高度を保ちつつ、一瞬わが艦隊に肉薄して来たと思う間もなく、爆弾の雨が降り注がれ、ほとんど全部がわが二檻に命ヰした。その一つはレパルス号の艦載機格納庫を打ち破り、大火災を起こした。

両艦は必死になって高射砲、機銃で応戦したが、日本爆撃機は今度は魚雷攻撃を開始した。ウェールズ号は艦尾をやられ航行不能に陥った。そこで日本空軍は止めを刺すつもりでか急降下爆撃をはじめ、レパルスは最初艦首に、続いて中央部、艦尾と続けざまにやられ、物凄く動揺したと思った瞬間、ぐっと左傾しはじめた。われわれは救助艇を出そうと努めたが、あまり突然に左傾したため不可能であった。

われわれはチリヂリバラバラになって、油でまっ黒くなった海中に飛び込んだ。ウェールズ号からは優々と天に沖する黒煙が空一面を蔽い、ぐるりと一廻りして徐ろに海中に沈んで行った。

最後の瞬間にフィリップス提督とリーチ艦長が、ブリッジからズルズル海中に落ちてゆくのが見えた。これがわれらの旗艦の最期であった!

 - 戦争報道

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
日中韓対立のルーツ『日清戦争』を日本の新聞はどう報道したのかー徳富蘇峰,福沢諭吉、朝比奈知泉らの主張は・①『対朝鮮発言権は日本のみと』(徳富蘇峰)

  日中韓対立のルーツ『日清戦争』を日本の新聞は どう報道したのかー徳 …

『Z世代のための日本戦争学入門⑦』『1872年(明治5年)―岩倉遣米欧使節団がロンドンに到着(英タイムズ1872年8月20日記事)★『鎖国を脱し未知の国際社会の仲間入りした未開国日本のトップリーダーたちの見識の高さを中国のトップと比較して激賞した』

  2012/09/22  日本リーダーパワー史(322)記 …

日本リーダーパワー史(633)日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(26) 『川上操六参謀次長の田村怡与造の抜擢①<田村と森鴎外にクラウゼヴィッツ兵書の研究を命じた。これが日露戦争の勝利の秘訣となった>

 日本リーダーパワー史(633) 日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(26)   …

 片野 勧の衝撃レポート⑥「戦争と平和」の戦後史⑥『八高線転覆事故と買い出し』死者184人という史上最大の事故(下)■『敗戦直後は買い出し列車は超満員』▼『家も屋敷も血の海だった』★『敗戦直後、鉄道事故が続発』●『今だから語られる新事実』

  「戦争と平和」の戦後史⑥   片野 勧(フリージャーナリスト) 八 …

no image
現代史の発掘①-『記事再録/ 太平洋戦争と大本営発表の真相』

<2005年1月>  『兵は凶器なり』(45)    15年戦争と新聞 …

『オンライン/明治外交軍事史/講座』★『森部真由美・同顕彰会著「威風凛々烈士鐘崎三郎」(花乱社』 の背景を読む➄』日中友好の創始者・岸田吟香伝②『 楽善堂(上海)にアジア解放の志士が集結』★『漢口楽善堂の二階の一室の壁に「我堂の目的は、東洋永遠の平和を確立し、世界人類を救済するにあり、その第一着手として支那(中国)改造を期す」と大書』

     2013/02/19『リーダーシップの日 …

no image
(まとめ記事再録)『現代史の復習問題』★ 『ガラパゴス国家・日本敗戦史②』150回連載の16回~30回まで』『日本の最も長い日(1945年 8月15日)をめぐる死闘―終戦和平か、徹底抗戦か①』 ★『終戦を死闘の末になんとか勝ち取った首相官邸と外務省』★『問題は「サブジェクト・ツー」の解釈』★『『大日本帝国最後の日 -かくして「聖断」は下った!』

(まとめ記事再録)『現代史の復習問題』★ 『ガラパゴス国家・日本敗戦史②』150 …

『Z世代のための日本スリランカ友好史』★『 日本独立のサンフランシスコ講和条約(1951年)で日本を支持したジャヤワルデネ・スリランカ大統領』★『同大統領ー感謝の記念碑は鎌倉大仏の境内にある(動画)』

2014/11/30 記事再編集 瀬島龍三が語る『日本の功績を主張したセイロンの …

no image
『ガラパゴス国家・日本敗戦史』㉙『来年は太平洋戦争敗戦70年目<アジア・太平洋戦争での全体の犠牲者も 十分調査されていない

·      &nb …

『昭和戦後の戦略的宰相の系譜講座』★中曽根康弘元首相の戦略とリーダーシップ』★『「戦後総決算」を唱え、国内的には明治以来の歴代内閣でいづれも実現できなかった行財政改革「JR,NTT,JTの民営化」を敢然と実行』★『「ロン・ヤス」の親密な日米関係だけでなく、韓国を電撃訪問し、日韓関係を一挙に改革し、胡耀邦氏と肝胆合い照らす仲となり、日中関係も最高の良好な関係を築いた、有言即実行型の戦後最高の首相だった』

    2019/12/14 &nbsp …