前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

日本リーダーパワー史(565)明治維新のトリガー/民主主義と開国論を唱えた草莽崛起(くっき)の人 ・吉田松陰こそ真の革命家②

   

syouinn 日本リーダーパワー史(565)

明治維新のトリガー・山口県萩市の吉田松陰生誕地を訪れる②

民主主義の理念と開国論を唱えた草莽崛起(くっき)の人

・吉田松陰こそ「知行合一」の真の革命家、

松下村塾で行われた教育実践は「暗記ではなく議論と行動」②

前坂俊之(ジャーナリスト)

幕末、明治史研究家の松浦玲氏によると、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%B5%A6%E7%8E%B2

松下村塾は「1855年(安政2)暮れに松陰が出獄して実父の杉百合之助の家に預けられ.その幽室で近親者に講義を始めると.久保塾の門人もこちらに流れ込み.これがすなわち松下村塾とみなされるようになった。

出獄直後に講じたのが(孟子)で.これは36年(講孟余話)としてまとまった。続いて講じたのが(武教全書)で.同年に(武教全書講録〉ができあがった。松下村塾の双璧とみなされる一久坂玄瑞と高杉晋作が入門したのは57年と思われる。この年.松陰は獄中で知り合った富永有隣が出獄したのを迎えて松下村塾の師とした。

杉家宅地内にあった小屋を修補して塾舎としたのもこの年である.これには久保も協力し表向きの塾主は久保だが、事実上の主宰者は松陰という形が確定した。講義内容は時事に及ぶことが多く.それが若者たちを引きつけた。58年に塾生が増加したので塾舎を拡張し.また藩から家学教授の許可を得た。松下村塾は最盛期に達し,その名前は全国的に知られるようになった。日米修好通商条約をめぐる問題(条約勅許)が大詰めにきたので,松陰も強く刺激きれて各種の対策案をつくり.塾生もしだいに政治活動に引きこまれるようになった」という。

takasugi「松下村塾」塾生の松蔭の人格を語る

松陰の性格、人柄は謹厳実直、厳格ではと思われるが、そうではなく、激烈なことは嫌いで、ごく穏やかで温厚・柔和な人で、いつも平常心、怒ったことなどあまりなかった、という。

「松陰は常に張子房の人となりを慕って、世上の僚慨家は大嫌いだと言っていた。世の人は松陰を激烈な人のように思うが、激烈ということは嫌いで、ごく穏やかで柔和な人だった。常に人に向って、平素沈着でなければ非常の時に狼狽するものであるから、粗暴・過激なことがあってはならめとも言い聞かせていた。ある時、高杉晋作が江戸で犬を斬ったという話を聞いて、大いに怒って戒めたことがある。

松陰自身は平素怒った顔を見せたことがないというほどで、その殺された時に首を受け取りに出た人の話では、首が笑い顔をしていたということである。慷慨・激烈なことが嫌いで、柔和・温厚を尊んだのだった。」(同前)

「松陰は酒も飲まず、煙草も吸わず、至って謹直だった。松下村塾を主宰していた頃、ある日煙草を吸っているものがいたのを戒め、煙管を持っているものにことどとく自分の前に出させ、これをこよりで結んで繋ぎ、天井から垂らしておいた。

酒を飲まなかったからといって、甘い物や餅などを好むということもなく、常に大食することをみずから戒めていた。だから格別食後の運動を今の者のようには心がけなかったが、胃腸を悪くしたことはなかった。(松宮丹畝「松陰先生の令妹を訪ふ」同前掲載)

松蔭の真骨頂は思索の人である以上に知行一致の実践

松陰は膨大な著作を残したが、それは日記、書簡、孟子講読などの断片的な思想的な萌芽といってよい文章で、体系的なものではない。ただ、そこには烈々たる気迫と変革への情熱と誠志がみなぎっている。松蔭の真骨頂は思索の人である以上に知行一致の実践の徒であり、有言実行の人、21回猛士を自称したように、何度失敗してもやる烈士(革命家)なのである。言葉だけの武士、政治家、学者を最も軽蔑していた。

それだからこそ、わずか2年ほどの「松下村塾」での教育で門弟・高杉晋作、久坂玄瑞らを筆頭に伊藤博文、山県有朋ら約30人の少年隊に革命精神を吹き込み、それが革命隊となって長州藩を動かし、怒涛となって明治維新を実現したといえる。

野山獄で76歳の重罪人を筆頭に11人の囚人をわずか8ヵ月ほどで真人間に生き返らせたその教育力、人格感化力は「一誠 兆人を感じせむ」(精神は万人を動かす)というように驚異的であり、超人的でさえある。結局、伊藤、山県らが牛耳った明治藩閥政府は偉大な師の実像を歪めて皇国史観に利用したのである。松蔭はその「至誠の人格」から密航の罪を認め、その上、バカ正直に幕府の大官暗殺計画まで幕府役人に打ち明けたためついに死罪を申し渡される。安政6年(1859)11月21日、江戸伝馬町の獄で打ち首となる。

「松陰が江戸で首を斬られた時の最後の態度は、実に堂々としたものだった。松陰の首を斬った山田浅右衛門吉利は、先年まで生きていて四谷に住んでいたが、その話ではいよいよ首を斬る刹那の松陰の態度は、真にあっぱれなものだったということである。悠々として歩を運んで来て、役人どもに一揖し、「ご苦労様」と言って端座した。その一糸乱れぬ堂々たる態度には、幕吏も深く感嘆した。(松村介石「王陽明と現代思想」『東洋文化』第一号掲載)

辞世の句は「此程に思ひ定めし出立を けふきくこそ嬉しかりける」。享年30歳。

 - 人物研究

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image

日本リーダーパワー史(68)   勝海舟の外交コミュニケーション術・至 …

no image
『世界が尊敬する日本人⑥初代ベンチャービジネスの真珠王・御木本幸吉(08、05)

世界が尊敬した日本人(6) 初代ベンチャービジネスの真珠王・御木本幸吉      …

『トランプ大統領と戦う方法論⑰』★『明治の国家参謀・杉山茂丸の国難突破・交渉力を見習え」➃』★『軍事、外交は、嘘(ウソ)と法螺(ほら)との吐きくらべで、吐き負けた方が敗れる』★『杉山35歳は一片の紹介状も持たず単身渡米して金融王・モルガンを煙に巻き、1億3000万ドル(約1900億円)の融資に成功した。』★『その時のタンカの切り方』

 2024/11/15/記事再編集 2014/08/09 /日本リーダ …

『Z世代への百歳学入門』★『知的巨人たちの百歳学(126)『野上弥生子』(99歳)「私から見るとまだ子供みたいな人が、その能力が発揮できる年なのに老いを楽しむ方に回っていてね」

  2015/09/25 知的巨人たちの百歳学(126) 『 …

no image
日本の「フィランソロピ―」の先駆者だった『新聞界の巨人』毎日新聞の中興の祖・本山彦一

  経済週刊誌『エコノミスト』を創った新聞界の巨人   <日 …

『リーダーシップ・無料電子図書館を読む』『高杉晋作伝』(東行先生遺文)-NHK「花燃ゆ」は『まるで少女マンガ』のノリのお粗末

『リーダーシップ・無料電子図書館を読む』―『高杉晋作伝』(東行先生遺文) 東行先 …

鎌倉海水浴場(由比ガ浜、材木座海岸)のサーファー数百人(7月31日午前700)-台風がそれたので波低し、それでも日曜日とあってサーファーラュシュの賑わい。

前坂俊之チャンネルー湘南海山ブラブラ日記

東京国立博物館で開催の「運慶」展(9/26ー11/26)は入場者が60万人を突破する大人気』★『運慶仏像を間近に見ることが出来る鎌倉杉本寺を紹介する』★『その裂ぱくの大迫力にエネルギーをもらう』

  上野の東京国立博物館で開かれていた「運慶」展(9/26日から11/ …

no image
★「 熊本地震から2ゕ月」(上)『地震予知はできない』ー政府は約3千億円を つぎ込みながら熊本地震まで38年間の『 巨大地震』の予知にことごとく失敗した。(上)<ロバート・ゲラー東京大学理学系教授の 「地震予知はできない」の正論>

          「 熊本地震を考える」 『地震予知はできない』ー政府は約3千 …

no image
日本メルトダウン(1005)ー『  プーチン訪日を批判報道する中国――対中包囲網警戒も(遠藤誉)』●『中国、日露首脳会談「成果なし」に安心?』★『中国の大気汚染、北部23都市で最高レベルの「赤色警報」発令へ』◎『中国の毛ガニが浮き彫りにする汚染危機の根深さ 香港当局が発がん性物質を検出、浄化作戦のモデルの湖が・』●『中国人頼みのカジノは必ず失敗する(李小牧)』●『爆買い客が中国に持ち帰った最も貴重なお土産とは? 日本流ビジネスを自分たちのモノにしていく中国人』●『韓国、中国人観光客の大暴れ多発が社会問題化…飲食店に酒持ち込み無銭飲食、殺傷&暴行多発』

日本メルトダウン(1005)   プーチン訪日を批判報道する中国――対 …