前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

『ガラパゴス国家・日本終戦史⑥ 「 ロジスティックで敗れた太平洋戦争」『1千兆円の債務を抱いて10年後の展望は?」

      2015/01/01

  

 

1年間連載開始―『ガラパゴス国家・日本終戦史⑥

 

<再録―日本リーダーパワー史(130 『自滅国家日本の悲劇』

ー迫り来る国家破産と太平洋戦争敗戦(2011/03/08

 

ジャック・アタリ『国家債務危機』(作品社、2011年)によるとー

 

世界史の法則とは覇権国家は必ず財政破綻に陥る

 

『900兆円の債務を抱だいて日本は10年後の展望ができるのか

 

3つの選択肢は(A)極端な緊縮財政(B)国家破産(C)最悪の場合は戦争


結論は(B)か(C)。

リーダーシップのない日本は(A)をやり切るパワーはない。

 

   前坂 俊之(ジャーナリスト)

 

 

ミッドウエーの惨敗、ガダルカナルをめぐる攻防が続いた1942年(昭和17)は太平洋戦争の潮目となった。
日米の資源、経済力、軍事物資、戦力、兵員動員力などの総合的な国力差がここで一挙に顕在化してきた。

 

個々の戦闘、小戦争での勝敗を決するものはその戦術、作戦以上にそれを背後で支える輸送力、補給戦、ロジスティックな軍事経済力
、いわゆる国力である。第2次世界大戦は文字通り、国民総動員の国家総力戦、国家科学工業戦になっていた。

 

その基本的な事実を日本軍はもちろん承知はしていたものの、緒戦の大勝利に酔って忘れてしまったのである。

 

米国の圧倒的な資源、経済力、戦力には日本は逆立ちをしてもかなわない。日本は資源少国で、主に米国などから資源を輸入して、それを加工して輸出する軽工業貿易国家であった。その輸入を止められたらひとたまりもない。

 

この地政学的な条件、月とスッポン、巨人と小人この圧倒的な差を見れば、最初から勝負にならないことは誰の目にも明らかであった。このため、軍も日米戦争には最後の最後まで二の足を踏んでいた。

 

昭和12年(1937)年7月、日中戦争が始まった段階での、日米の主要な軍需資源物資の差は、鉄は7分の1、石油は何と600分の1、電力は
4分の1、石炭は9分1などで、これらを総合して、国力差は約10分の1と見られていた。

 

これが、昭和14年には20分の1と倍にも広がり、開戦時の昭和16年になると40分の1と目もくらむほどの差となった。

 

森本忠夫『魔性の歴史マクロ経営学からみた太平洋戦争』(光人社NF文庫、1998年刊)によると、昭和15年の米国のGNPはほぼ1千億ドル、
日本は92億ドルで約11倍だったが、翌16年は12・7倍に開いた。この
GNPの上に総戦力は規定される。

 

昭和16年当時の日米の重要物資生産の比較を見ても、日本を1として米国はアルミの6倍、銑鉄、鋼鉄は12倍、石油は500倍、
自動車生産450倍、平均して78倍もの格差があった。

 

この圧倒的な格差が米国の石油の全面輸入禁止などの経済制裁で、ストップするのだから日本は崖っぷちに追い込まれた。

 

冷静にソロバンをはじく前に、思考停止状態となって『戦争によるほかに打開の途なし』と本末転倒の結論に達する。まだ戦争遂行のための石油ストックがあるうちに、『座して死を待つよりも、清水寺から飛び降りる気持ちで・・』(東条英機首相の言葉)で、窮鼠猫をかむで、開戦に踏み切ったのである。

 

その意味で日本側も戦争準備は十分できていなかったし、それ以上に米国側も全く準備していなかったので、緒戦の不意打ちで、いったんはダウンした。しかし、それは逆に『だまし討ち』『リメンバー・パールハーバー』で米国民を一挙に目覚めさせて、怒って立ち上がった超大国の『日本をたたきつぶせ!?』の猛ダッシュが始まった。

 

マクロな軍事力、米・英・ソ連・日本・ドイツ・枢軸国・国力の比較

 

マクロの数字で日米、各国の国力を年度別変遷でみてみると、超大国アメリカのその戦争遂行力の量的、スピードのすさまじさがよくわかる。
 

 

まず、軍事力のとてつもない格差は以下のの表をみていただきたい。

 

米国の軍事生産額は太平洋戦争開戦の41年が47億6千万ドル、米を除いた連合国(英・仏・ソ連などの合計)は165億ドル、枢軸国(日独伊の合計)は155億ドルである。米国の数字が低いのはまだ第2次大戦に参加していなかっため。(太平洋戦争は41年12月に開始)

 

大西洋、太平洋の両面で日独伊の枢軸国との戦争にはいった米国は42年は一挙に5倍の205億ドルにはね上がり枢軸国合計の
8割近くに接近し、43年には395億ドルではるかに抜き去る。44年には435億ドルで、1・5倍に達して早々と勝負をつけた。

 

その軍事力はイギリス、フランス、ソ連の連合国の合計をはるかに凌駕し、枢軸国など束になってもかなわないことがわかるし、日本単独
では太刀打ちできないことが子の厳然たる数字で示されている。

 

は各国のピークに達した1944(昭和19)年の軍事費を100としての年度別数字を比較したもので、その国の戦争遂行のスピード、
成長力を示している。これをみると、41年の開戦前には米国は準備をほとんどしいないことがわかる。

 

 

用意ドンとなって以降は42(昭和17)年は一挙に四倍の47と急増する。43(同18年)にはエンジン全開の91までに戦争経済を加速、ミッドウエーでの反撃、ガダルカナルからの飛び石的な猛攻撃がこの時期である。

 

これだけ短期間にスピーディーに反撃するだけの兵力動因、装備、軍事兵器の増産、総合的な軍事力・国力があるということだが、一方、日本は戦争開始2年後でもわずかに1・6倍、43年では1・4倍しか加速できず、日本国家の体質欠陥(決定が遅く、小出しの遂次投入、実行もスローモー)がここでも現れている。

 

巨人・アメリカと小人・日本の戦いは、眠っていた米国に真珠湾で1発くらわすと、目を覚ました巨人が走り出すと早いこと、早いこと・・、まるでオリンピックの陸上百メートル競技で米チームが長年独占しているように、予選落ちの日本とは格の違いを見せつけた。

 

日本の軍事生産力はすでに日中戦争の昭和14年にはピークを迎えており、そのうえに英米を新たに敵に回して戦う愚を犯したことを、この数字は示している。

 

 

 

                                                                                                            つづく

 - 戦争報道 , , , , , ,

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

『日本の外交力の弱さの復習問題』★『日清戦争の旗をふった福沢諭吉の日清講和条約(下関条約)から3週間後の『外交の虚実』(『時事新報』明治28年5月8日付』を読む』★『三国干渉(ロシア、ドイツ、フランス)の強盗外交に日本は赤子の手をひねられるように屈し、臥薪嘗胆する』

   2019/01/31  記事再録/ …

no image
 日本リーダーパワー史(753)–『日本戦争外交史の研究』/『世界史の中の日露戦争を英国『タイムズ』米国「ニューヨーク・タイムズ」は どう報道したか」を検証する①(20回連載)」★『6ヵ月間のロシアの異常な脅迫、挑発に、世界も驚く模範的な礼儀と忍耐で我慢し続けてきた 日本がついに起った。英米両国は日本を支持する」』

 日本リーダーパワー史(753)– 『日本戦争外交史の研究』 世界史の中の『日露 …

no image
日本リーダーパワー史(757 )―『トランプの政策顧問で対中強硬派のピーター・ナヴァロ氏「米中もし戦わば」(戦争の地政学、文芸春秋社刊)を読む」●「米中対話は不可能である」の結論は「日中韓朝対話も不可能であった」に通じる。」★「明治以降の日中韓朝150年戦争史は『エスノセントイズム」「パーセプション」「コミュニケーション」『歴史認識」のギャップから生まれ、『話せばわかるが、話してもわからないことが わかった!」、ならばどうするのか、難問を解かねばならない。

  日本リーダーパワー史(757 ) トランプの政策顧問で対中強硬派の …

「トランプ関税と戦う方法論⑬」★『日露戦争勝利と「ポーツマス講和会議」の外交決戦始まる①』★『ロシア皇帝ニコライ二世は「あの黄色子猿の日本軍」などは簡単に勝てる」と侮っていた』★『皇帝が寵愛したロシア総司令官・アレキセーエフと陸軍大将・クロポトキンの2重指揮体制が対立し分裂、混乱、敗戦した』

  2022/04/04 オンライン講座/ウクライナ戦争と日 …

no image
『オンライン/『日中韓500年/オンライン世界史講義①』★『世界的権威ベルツの日韓衝突の背景、歴史が一番よくわかる講義①』★『明治天皇のドイツ人主治医・ベルツ(滞日30年)の『クイズ『坂の上の雲』ーベルツの『日本・中国・韓国』五百年の三国志①<日露戦争はなぜ起こったのか>

 <2011/02/27 記事再録>   クイズ『坂の上の雲 …

no image
『オンライン/75年目の終戦記念日/講座➄』★『太平洋戦争下の新聞メディアの戦争責任論』★『新聞も兵器なり』との信念を堅持して、報道報国のために挺身したすべて新聞』★『戦う新聞人、新聞社は兵器工場へ』★『●大本営発表(ウソと誇大発表の代名詞)以外は書けなくなった新聞の死んだ日』

  2015/06/29 /終戦70年・日本敗戦史(101) …

no image
日本リーダーパワー史(508)日中韓150年戦争史②「日清の戦争は文野の戦争なり(文明の衝突なり」(福沢諭吉)

    日本リーダーパワー史(508)  …

『Z世代のためのウクライナ戦争を知るための日露戦争講座』★『日露開戦2週間前の『仏ル・タン』報道ー『日本国民は自分たちの力と軍事力に対する節度の感覚を失っている。中国に勝利して以来,日本はロシアにも簡単に勝てると思い込んでいる』★『対露同志会がメンバーを旅順や満州,ウラジオストックに派遣して,極東におけるロシアの状況を調査している』

  2017/01/13 『世界史の中の日露戦争カウントダウ …

no image
日本リーダーパワー史(515)-日清戦争120年②開戦のきっかけとなった高陞号事件での東郷平八郎の国際性

  日本リーダーパワー史(515) 日中韓150年パーセプシ …

no image
終戦70年・日本敗戦史(91)「終戦」という名の『無条件降伏(全面敗戦)』 の内幕<ガラパゴス日本『死に至る病』は続くのか>➂近衛、東條、海軍、天皇の思惑が違った東條開戦内閣の誕生

 2015年6月3日終戦70年・日本敗戦史(91) 戦後70年を考える …