『Z世代のための日本戦争学入門⑤』★『『日米戦争の敗北を予言した反軍大佐/水野広徳』★『⑯ 日記で時局批判、ヒトラーの本質を見抜く』★『ついに執筆禁止、疎開、死亡』★『『世にこびず人におもねらず、我は、わが正しと思ふ道を歩まん』』
水野は軍部独走の危険性を一早く指摘し、シビリアンコントロールの重要性を訴えていた。
-九三一年〈昭和六)九月に満州事変が勃発し、水野が危倶していたとおり、軍部の暴走が始まった。
水野は友人の松下芳男にあてた手紙の中で「(陸軍が)満蒙に対する国家の国策にまで容喙どころか、国策まで彼等の軍国思想によって指導せんとするのは越権増長のいたりです。(略)満蒙問題は兵力をもって解決し得ざること、従ってもし陸軍が満合併の為に現兵力を要するという腹があるならば極めて危険で且つ無謀であると信ずる」(同年七月二十日付)と陸軍の満蒙強硬論にたいして、警告した。
この2ヵ月後に満州事変は起きた。
以後、事変の拡大、軍閥の勃興、中国側の国際連盟への提訴による日本の孤立という推移に対して、松下への書信でいささかヤケ気味にこう述べている。
「連盟も駄目、軍縮も駄目、世界は軍国主義の昔に返って、何れかが倒れるまで軍備の競争を行い、日米戦争もやるべし、日英戦争もやるべしです。日本国民は今一度現代戦争の洗礼をうけなければ平和への目は醒めません」
水野は翌1932年(昭和七)十月に、日栄戦争仮想物語「興亡の此一戦」(東海書院)を出版した。しかし、東京の大空襲による火災被害のリアルな描写や日本が敗北するという内容によって、ただちに発禁になった。この時、水野は絶望感のただよった。短歌「国を憂い歎くとも何かせん、唯成るように成れよとぞ思う」を歌っている。
非常時が呼ばれ、軍ファシズムがますます高まる中で、水野の活動範囲はせばめられていく。一九三三年(昭和八)八月二十五日、水野は「極東平和友の会」の創立総会に出席したが、右翼の妨害にあい、途中で中止となった。
軍国が謳歌され、軍力、テロが吹き荒れる中で、平和運動は軟弱視されたが、水野は「世に平和主義者をもつて、意気地なしの腰抜けと罵るものがある。テロ横行の日本において、意気地なくして平和主義者を唱え得るであろうか」と反論し、平和を唱える真意をこう書いた。
「日本は今世界の四面楚歌裡に在る。いずれの国と戦争を開くとも、結局全世界を相手の戦争にまで発展せずには止まないと信ずる。日本の陸海軍がいかに精鋭でも、全世界相手の戦争の結果が何であるかは想像に難くない。」(「僕の平和運動に就いて」)
執筆禁止へ、歌に心境を託す
さらなる時局の悪化の中で、ついに水野は「筆を折って、言論界から退く」と松下への書信に書いた。昭和九年には、水野は自らの心境を次のような歌に託した。
「戦えば必ず勝つと己惚れて 戦さを好むいくさ人あり」
「わけ知らぬ民をおだてて戦ひの 淵に追ひこむ野心家もあり」
「わが力かえりみもせでタダ只管に 強き言葉を民はよろこぶ」
「戦えば必ず四面楚歌の声 三千年の歴史 あはれ亡びん」
「侵略の夢を追ひつつ敗独の 轍踏まんとす 民あはれなり」
「力もて取りたるものは力もて 取らるるものと 知るや知らずや」
一九三四、三五年(昭和九、十〉にかけて陸畢パンフレット事件、三月事件、十月事件、天皇機関説問題、国体明徴声明、永田鉄山暗殺事件などの軍部内の拡争がいよいよ激化していく過程でも、水野の見通しは的確であった。
「陸軍の朋党騒ぎが、どこまで発展することやら、前途は予測を許しません。もともと喧嘩相手がなくては日の暮せぬ連中ばかりだから、外部の相手が悉く屈服した今日、仲間喧嘩に花が咲くのは当然の成行きで、是も軍隊教育の一つの現われでしょう。
結局は外戦になるか、内乱になるか、何うせ血で血を洗うまでは治りますまい」(一九三五年十月一日付)と松下への書信に書いている。
この半年後に、陸軍の皇道派と統制派の抗争はついには、水野の予見通りに二・二六事件へと暴発した。
⑯ 日記で時局批判、ヒトラーの本質を見抜く
日中戦争、太平洋戦争へと刻一刻と坂道を転げ落ちていく中で、水野が評論を発表する場はせばめられていく。その分、本音は日記の中で吐露している。水野は日記を欠かさず書いていたが、空襲によって大部分が焼失し、現在、残っているのは昭和十四年分の一冊だけである。
この年はヒトラーがポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が勃発した年である。ヒトラーの無法にいきどおり、スターリンの帝国主義を批判し、イギリス、フランスの軟弱な姿勢に切歯やくわんする文句が随所にみえる。
「独伊軍事同盟成立す。日本もこれに参加せよと呼ぶ連中ある、危ないかな。あばれ武士、二人つれ立ち花見かな」(五月二十二日付)
ポーランドが分割された時点では「白昼の強盗なり、ソ連遂に侵略主義に堕す。資本主義国と異なる点ありや。スターリンも亦帝国主義の奴隷なりき、ヒトラー、ムッソリーニと何の異なるぞ」(九月二十二日付)
ヒトラーについては、至るところで厳しく批判している。
「彼に良心ありや。常識ありや。単に平和の破壊者たるのみならず、実に亦道徳の破壊者なり。彼を総統に頂き、依々として其の命を奉ずる独逸国民の良心を疑う。唾棄すべく、軽侮すべく排斤すべし。然るに今尚、独逸を尊奉し、ヒトラーを崇拝する日本
人の多きは馬鹿か阿呆か。正義を愛する者の恥とする所なり。ヒトラーの此の暴慢無恥なる声明に対し、戦争恐怖症の英仏の出方如何?」(九月三〇日付)と書いている。
今からみると、水野の警告や予言はごく常識的な思考であり、当然の指摘にもみえるが、今から約七十年前の時代状況の中で、あれだけくもりのない冷静、合理的な目と識見で時代の病理や推移を見つめ、的確に批判した知識人が何人いただろうか。
ついに執筆禁止、疎開、死亡
例えば、桐生悠々の有名な「関東防空大演習を嗤う」(昭和八年八月十一日付)は敵機が日本本土に来襲し、空襲にあえば木造家屋の多い都市は大きな被害が出るので、敵機本土内に入れないこと、バケツリレーなどの防空演習は全く無意味なことを主張した。
水野はこの十年以上も前に、空襲の恐ろしさ、日米の戦力、経済力の客観的な比較によって、「日米戦うべからず、戦えば必ず日本は敗れる」と声を大にして警告しており、その洞察力、先駆性は同時代の知識人と比べてもズバ抜けていると思う。反戦平和主義者として、軍国主義とファシズムの興隆に対して敢然と戦った水野への評価は、これまで決して高いとは言えない。
彼は自らを「社会主義看ではなく、国家主義者である」とある新聞で述べているが、決して国家主義者ではなく、自由主義者、リベラリストといった方が近く、科学的、合理主義的な思考の持ち主であった。
一九四一年(昭和一六)年二月、情報局は、「中央公論」編集部に対して、執筆者禁止リストを示したが、この中には清沢烈、馬場恒吾、横田喜三郎らと並んで、水野も入っていた。
太平洋戦争の敗北がいよいよ濃くなってくる中で、水野は四三年(昭和18)十月から、郷里の愛媛県越智郡津倉町の瀬戸内海の伊予大島に療養のため転地した。四五年(昭和20)になると、敗戦は確実との見通しを持ち、伊予大鳥で戦争の終結を待ち望んでいた。八月十五日、ついに敗戦。
翌日付けの松下への手紙の中で水野は「国を守る務忘れた軍人が政治を弄し、国ついに敗る、の感があります」と書いている。
「日本において最も緊急を要するもの国民の頭の切り換えであります。まず、第一に神がかりの迷信を打破すること。すべての生きた人間を人間として取扱うこと、生きた人間を神として尊敬したりするところから、神がかりの迷信が生まれてきます」
(九月二十七日付)と天皇制の廃止、国民の自由意志による政治体制を主張していた。この年十月十八日、水野は愛媛県今治市内の病院で死去した。享年71歳。
『世にこびず人におもねらず、我は、わが正しと思ふ道を歩まん』
水野の墓は松山市の正宗寺にあり、このような歌碑が建てられている。
戦争の時代と正面から対峙した平和主義者・水野の生きざまを象徴した歌ではなかろうか。
終わり
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