前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

『Z世代へのための<日本史最大の英雄・西郷隆盛を理解する方法論>の講義⑳』★『「敬天愛人」民主的革命家としての「西郷隆盛」論(<中野正剛(「戦時宰相論」の講演録より>)』★『西南戦争では1万5千中、9千人の子弟が枕を並べて殉死した天下の壮観(中野正剛)』

   

 

   日本リーダーパワー史(464)記事再録

「敬天愛人」民主的革命家としての「西郷隆盛」論⑤<中野正剛(「戦時宰相論」の講演録>

 

西南戦争)戦死者の墓は九千に達するとか称せられています。一個の野人・西郷吉之助を中心とし、一万五千の子弟が身命を賭して蹶起し、そのうち9千人までも枕を並べて討死するとは、じつに天下の壮観であります。

私はシナの革命も見て来ました。ロシアの革命の跡をも尋ねました。しかし覚悟の前で若者がこれほど花々しく死んだ例は、不幸にして未だ見たことがありません。

しかし岩崎谷の最後まで南洲翁にお供した門人子弟達が事敗れ、死に面しても、一人のこれを恨む者なく、身の負傷をも疲労をも打忘れて、先生のこのお姿がお痛ましいとて、互いに涙を催したと伝えられております      

挺身難に当るの心

私は南洲翁五十年祭典に先だち、南洲翁に関する講演や記述はずいぶんあさりました。しかもその大部分が南洲翁が十年役に投ぜられたことを遺憾とし、贔屓(ひいき)の引倒し的に弁解を試みんとし、「あれは南洲翁の心事ではなかった。部下の若者らが血気にはやって、南洲翁を誤ったのだ」と。それでは南洲翁の価値は三文にもならなくなってしまいはしませんか。

 

南洲翁は額一枚書かされても、敬天愛人と揮毫(きごう)する人であります。韓国問題を議論しても、国を挙げて道に殉ぜよと切論する人であります。私学校の壁に綱領を掲げて

行うべしとつき詰める人であります。その人格は薩南の大自然と幕末の大機運とに養われ、陽明学の本旨を会得して、必ず一個の大見識を出して結論に到達する人であります。彼の鍛錬せられたる一大自然児の思想は、幕府時代の御用儒学を一蹴して、堅く人間性の根低を握りしめ、忠君愛国の大義も、これを運用する妙は、一身の内的至上命令に置く人物であります。

しかして南洲翁は維新の革命児であります。身を挺して難に当り、時の政府の罪人となることは、少年時代からの経歴につき物であります。言い換えれば南洲翁は最初から謀叛人となりかねまじき性格の人物であります。

もしそれ不穏の行動という点をあげれば、いわゆる征韓論の議用いられず、参議陸軍大将という要職にありながら、ほしいままに官を辞して故郷に帰ったことそのことが不穏であります。

いわんや陸軍少将・桐野利秋、同篠原国幹以下鹿児島出身の軍人らが、政治に干与すべからざる身でありながら、政治上の理由により相つれて野に下るなどということは、並大抵の不穏ではありません。

さらにいわんや私学校の壁に題して、一見穏かなような文句ではあるが、「一身を顧みず踏み行う」とか、「一向難に当る」とか書きつくるに至っては、血の気の盛んな若殿原が尋常では収まらぬことは解り切った道理であります。西郷は挙兵に号令せずとも、その勢いを作った責任は彼にあります。

しかるに、いよいよ子弟が蹶起するに及び、一人冷静になり澄まして、おれの知ったことではない、おれのいう通りに静まらねば、おれは寺にでも入るという風に出られたなら、それではまるでシナの革命家見たようで何の妙味もないではないか。

事ここに至りてすべての責任を一身に負い、綺麗さっぱり若殿原に酬いなんと出られたところ、何の説明も申訳もいらぬではありませんか。

明治の元勲政府は西郷の朝鮮に対する意見に反対したが、西郷の方ではこの問題のためには身命を賭し、国を挙げて道に殉ずべきものと解釈したのであります。

そこで平常の哲学通りに命を捨てる順序まで発展して来たことについて、何の不思議もないのであります。たとえあの時に兵を挙げることは南洲翁の本意ではなかったにせよ、あの外交問題と人心一新問題で命を捨てることは、西郷南洲平生の哲学の命ずるところであったのであります。西郷はその形勢の発展につき自らその責任を感じ、少しも心に残ることはなかったろうと思います。

浄光妙寺には南洲翁の墓を囲んで、桐野、村田以下十年役戦没者の墓が、塁々として立ち並んでおります。その中には十六歳を年少とし、同姓の兄弟三人までも討死した墓石も見出されます。

肥後、日向、薩摩を通じて、戦死者の墓は九千に達するとか称せられています。一個の野人西郷吉之助を中心とし、一万五千の子弟が身命を賭して蹶起し、そのうち9千人までも枕を並べて討死するとは、じつに天下の壮観であります。私はシナの革命も見て来ました。ロシアの革命の跡をも尋ねました。しかし覚悟の前で若者がこれほど花々しく死んだ例は、不幸にして未だ見たことがありません。

 

しかし岩崎谷の最後まで南洲翁にお供した門人子弟達が事敗れ、死に面しても、一人のこれを恨む者なく、身の負傷をも疲労をも打忘れて、先生のこのお姿がお痛ましいとて、互いに涙を催したと伝えられております。

 

 南洲翁はその子弟達とは反対に自分一身の進みかたで、かくも一万数千の人の子を損うたことに対し、実に忍びざるの思いがあって心で泣いておられたでありましょう。

この忍びざるの心こそは幾千の子弟をして命を捧げて悔いざらしむる神秘的引力でありまして、五十年後の今日「南洲翁は謀叛する気はなかった。門人達に誤られたのだ」などいう軽薄な言葉を泉下に甘受することは、南洲翁としてどうしても出来ないところであろうと思います。

 

現代では一婦人の愛を得れば、これとともに水に投じて悔いざる青年もあります。その説くところの恋愛至上主義も心を虚しうして承われは、かえって同情すべき点があります。しかるに南洲翁は鬼をもひしぐ血気の若者一万人に囲繞(いじょう)せられ、その崇敬、その愛着の的となりて、神仙のごとく死するにおいて、大丈夫の本懐これに過ぎたるはなしといわねばなりません。

勝海舟翁が「腕の力もためしみて、心にかかることもなし」と羨望的嘆声を発せられたのももっとも千万であります。

 南洲翁は少年時代から現存する秩序にとりては、常に危険なる人物であったのであります。しかしながらそれが時の権力者に危険なるにかかわらず、人間性の根本を把腹するにおいて、動かすべからざるものがあったのであります。これ故にたとえ賊名を被っても、大衆の心は不思議にも南洲翁に吸い寄せられるのであります。

洲翁は常に「一人の無辜(無実)の者を殺して、天下を奪うことをなさず」ということをもって、王道の要点なりとせられました。
これを積極的に言い代えれば、「一人の無辜の者を救うためには、いつなりとも一命を投げ出す」ということになりますが、南洲翁は即ちその人であったのであります。

 

水に溺れんとする子供一人を救うがためにも、着物を脱ぎすてて素裸にならねばなりません。場合によりては自分も溺れて死ぬかも知れません。いわんや天下を導き蒼生を救わんがためには、常に一身を挺して難に当る覚悟がなくてはなりません。

 南洲翁の道念は人間性に出発しております。故に時の権力者の方式には必ずしも合わぬことがあります。しかしながら、真に独創自発の個性を養い、関連有為の人材を作ろうとするならば、修養の第一義をこの奥深き人間性の涵養に置かねはなりません。

この個性を修めずして、単なる忠孝の声色を強いると、そこに幾多の忠孝を渡世とする俳優を生じます。猿でも芝居を教えれば大石内蔵之助を演じます。しかしそれは畢寛人格なき猿の演劇であります、故に躍っている最中に粟一つ投ずれば、たちまち歯をむき出して本性を現わします。

 

今日の教育は滔々としてこの弊害に流るるものではありませんか。南洲翁の五十周年祭典に際し、愛国を呼号して起てる愛国青年会諸君のために、私の偽らざる南洲観を告白した次第であります。(昭和二年)

<「人間中野正剛」緒方竹虎 著 潮書房 1956年>より              

 - 人物研究, 戦争報道, 現代史研究, IT・マスコミ論

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
メディア接触度チェックリストのアンケートについて

      メディア接触度チェックリストのアンケートについて <国際コミュニケー …

no image
世界が尊敬した日本人(87)究極の個人サービス「クロネコヤマト」宅急便を創設 した小倉昌男(80) 

 世界が尊敬した日本人(87)      究極の個人サービス …

no image
終戦70年・日本敗戦史(113)◎『太平洋戦争と新聞報道を考える』(日本はなぜ無謀な戦争をしたのか、どこに問題があったのか>

                                     終戦7 …

『オンライン現代史講座/日本最大のク―デター2・26事件はなぜ起こったのか』★『2・26事件(1936年/昭和11年)は東北大凶作(昭和6ー9年と連続、100万人が飢餓に苦しむ)が引き金となった』(谷川健一(民俗学者)』

『2・26事件(1936年/昭和11年)は東北大凶作(昭和6ー9年と連続、100 …

no image
日本メルダウン脱出法(644)「アールグレイの由来は」Googleの新検索、「日本に危機をもたらした東京大学の大罪」など8本

 日本メルダウン脱出法(644) 「アールグレイの由来は」……Google、質問 …

『オンライン/長寿学入門『超高齢社会日本』のシンボルー 真珠王・御木本幸吉 (96)、ラーメン王・安藤百福(96)に学ぶ 「食を選んで大食せず、うまいものは二箸(はし)残し、胃腸と一緒に寝る」(御木本幸吉) 『人生に遅すぎることはない。五十歳でも、六十歳でも、新しい出発はある』(安藤百福)

96歳 真珠王・御木本幸吉 (1858年3月10日―1954年9月21日) いわ …

no image
『F国際ビジネスマンのワールド・ニュース・ ウオッチ(233)』-『Shohei Ohtani fever is really heating up in Angel Stadium』★『大谷が自己の可能性を信じて、高卒 即メジャーへの大望を表明し、今それを結果で即、示したことは日本の青年の活躍の舞台は日本の外、世界にこそあることを示唆した歴史的な事件である』

『F国際ビジネスマンのワールド・ニュース・ ウオッチ(233)』 Shohei …

no image
『昭和史キーワード』終戦直後の東久邇宮稔彦首相による「1億総ざんげ」発言の「 戦争集結に至る経緯,並びに施政方針演説 』の全文(昭和20年9月5日)

『昭和史キーワード』 終戦直後の東久邇宮稔彦首相による「1億総ざんげ論」 (戦争 …

no image
百歳学入門(240)-『生き方の美学』★『死に方の美学』★『山岡鉄舟、仙厓和尚、一休禪師の場合は・・』

人間いかに生き、いかに死すべきか 脚本家の橋本忍氏が7月19日に亡くなった。 1 …

no image
オンライン動画/昭和戦後史を決定的に動かした人物講演動画』★『元東大全共闘議長・山本義隆講演会 (1時間40分)』★「近代日本と自由 ―科学と戦争をめぐって―」 2016年10月21日(金)

  チャンネル大阪自由大学 チャンネル登録者数 1720人 山本義隆講 …